嵩山(たけやま)
観音菩薩像と展望の里山
群馬県 嵩山(大天狗)789m、中天狗760m、小天狗730m 2019年4月14日
(嵩山)群馬百名山
405
あの山は雪がすっかり融け
ヤブツバキやウメの花
この山はまだ雪に閉ざされ
頂上は真っ白な雪世界
でも、麓にはもう春が近づいている
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道の駅たけやまの西にある表登山道口に向かう。垣根のような灌木に咲いている黄色い花はレンギョウだろうか。道沿いには薄紫やピンクのシバザクラ。
「一の木戸」というのは、嵩山城の一番外側の門(大手門)跡とあり、上杉謙信と武田信玄の闘いのときの激戦地で、一番観音が安置されている。
その先の展望所に登ってみると、南に榛名山の諸山が見えた。視界いっぱいに広がる榛名の景観はすばらしい。その右(西)には真っ白な浅間山、左(東)には小野子山と十二ヶ岳。
中天狗から下った先に観音像の並ぶ広場があり、「実城の平」とある。嵩山城が陥落したとき、犠牲者の供養のため、嵩山百番観音が建立されたとある。
実城の平から大天狗への登りには長い鎖のある岩場がある。大天狗の頂上には、最高点の岩峰・女岩の少し手前に三等三角点と嵩山・頂上標識があり、最高点の女岩の上に祠が見える。ここにも旗立に竹が立ち、360度の眺望。北に見える谷川連峰が白く輝く。
実城の平から東登山道方面に下ると、途中に湾曲した白い崖を見る。立入禁止の道に入ってみると、白い崖の下に数体の菩薩像が置かれていた。そして「一升水」の標識。緩く湾曲した高く白い崖は、滑らかなヒダが広大な空間を創りだしていて、とても印象的。スミレが数本、咲いていた。
道の駅に戻ると、サクラやシバザクラが咲いていて、すっかり春の朝になっていた。白い小さな花はユキヤナギ?白い大きな花はコブシだろう。
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嵩山(すうざん、拼音: Sōng Shān ソンシャン)は、中国河南省登封市にある山岳群である。五岳の1つの中岳に数えられる。最高峰は標高1440mの太室山である。(wikipedia)
嵩山(たけやま)はたぶん、中国の嵩山(すうざん)に因んで名づけられた山なのだろうか。
嵩山の登山道は地理院地図には出ていない。ネット事前調査では道の駅たけやまに登山口があるようなので、明け方に少し歩いてみると道標を見つけた。コネロ・シューズを履いて軽装ででかけようとしたが、気温は低く、三つのピークに登ることになるので、上着(モンベル)を着込み、ザックをしょっていく。建物の西にある表登山道口に向かう途中でGPSを忘れたことに気づき、引き返す。垣根のような灌木に咲いている黄色い花はレンギョウだろうか。道沿いには薄紫やピンクのシバザクラ。「一の木戸」というのは、嵩山城の一番外側の門(大手門)跡とあり、上杉謙信と武田信玄の闘いのときの激戦地で、一番観音が安置されている。当時の嵩山城主は「城虎丸(当時18歳)」で上杉謙信方だったが、闘いの末、落城した。西隣には遊園地の滑り台などがあり、そこからつづら折りを登る途中に「標高634m、東京スカイツリーと同じ高さです」の掲示。この先にも観音菩薩像が現われる。
その先の展望所に登ってみると、南に榛名山の諸山が見えた。並び立つピークは左(東)から水沢山、二ツ岳、相馬山、烏帽子山、榛名富士(と思ったが、鬢櫛山だった)、掃部ヶ岳、居鞍岳のようだ。視界いっぱいに広がる榛名の景観はすばらしい。その右(西)には真っ白な浅間山、左(東)には小野子山と十二ヶ岳。
稜線に上がると「天狗の広場」というコルに東屋と「主要山域鳥瞰図」というのがあり、展望台から見た榛名の諸山はほぼ確認できた(榛名富士だと思ったのは鬢櫛山だった)。南端にあるピークの小天狗からは360度の眺望。その前に祠におまいり。旗立が岩の上に据え付けられ、長い竹が立っていた。北には真っ白な谷川連峰が見えていたが、やや霞んでいて少し雲もかぶっており、諸峰の同定は難しかった。
天狗の広場に戻り、北に向かう。カタクリが一輪。稜線中央のピークにある中天狗の頂上には石尊社という祠があり、お参り。中天狗から下った先に観音像の並ぶ広場があり、「実城の平」とある。嵩山城が陥落したとき、若き城主、城虎丸が山から飛び降りて自殺し、女性や子供が後を追ったという悲話があり、犠牲者の供養のため、嵩山百番観音が建立され、ここには秩父観音71体が安置された、とある。
実城の平から大天狗への登りには長い鎖のある岩場がある。往路では鎖を掴まずに手と足で登る。大天狗の頂上には、最高点の岩峰・女岩の少し手前に三等三角点と嵩山・頂上標識があり、最高点の女岩の上に祠が見える。丸い女岩には登りにくいが、くぼみのところに鎖があり、それを使って最高点に到達。祠にお参り。ここにも旗立に竹が立ち、360度の眺望。北に見える谷川連峰が白く輝く。その右端の白い壁は川棚ノ頭と俎嵓のあたりかもしれない。下りは長い鎖を掴んで下降。
実城の平から東登山道方面に下ると、途中に湾曲した白い崖を見る。その下に古い道があるようだが、立入禁止になっていた。立木が邪魔でその白い崖を撮影できないので、立入禁止の道に入ってみる。すると、白い崖の下に数体の菩薩像が置かれていた。そして「一升水」の標識。こういう崖は戸隠山や鋸岳で見たことがあるが、緩く湾曲した高く白い崖は、滑らかなヒダが広大な空間を創りだしていて、とても印象的。スミレが数本、咲いていた。
一升水から少し下ったところに「弥勒穴」の標識が立っている。その道は荒れていたので途中で引き返したが、その下に案内も立っていた。穴の中に20番観音「みろくさん」が安置されていて、夫婦円満の神、目・耳・鼻・口など穴の病気に御利益、とあった。行ってみるべきだったか。
東登山道口は城跡の四角い広場の形をしていて、道の駅のすぐ近くに出る。黄色い大きな案内は五反田村のもので「岩登りをしないでください」とあり、霊山であること、ハーケンやボルトを打つと隙間が凍って岩を削るからとある。このあたりは中之条町のはずなので、五反田村は併合されたのかもしれない。「斎木三男が修復を手掛けた霊山嵩山三十三観音」という小さな案内は中之条町のものらしいが、2005年から2年間、「平成の大修復」が行われたとあり、山中の観音像を背負って下ろし、修復したとある。道の駅に戻ると、サクラやシバザクラが咲いていて、すっかり春の朝になっていた。白い小さな花はユキヤナギ?白い大きな花はコブシだろう(コブシは花の下に一枚、葉がついているが、タムシバにはない)。
山を越えて月夜野インターに向かうと突然、行く手に谷川岳が見えたので、道脇に停めて撮影。登り車線で追い越した車が先に行く。雨予報のはずが、いつのまにか快晴になった青い空に、谷川岳の白い巨体がそびえている。関越道に乗ってからも、谷川岳は何度も目の前に現れた。今日、ここを走っている人たちは幸運だ。
新潟から日沿道を北上し、道の駅朝日で温泉に入り、道の駅あつみで昼食休憩していると、岩浜の先の小島で釣りをしている人たちを見る。寒くないのかな。
道の駅たけやま
嵩山(すうざん、拼音: Sōng Shān ソンシャン)は、中国河南省登封市にある山岳群である。五岳の1つの中岳に数えられる。最高峰は標高1440mの太室山である。(wikipedia)
嵩山(たけやま)はたぶん、中国の嵩山(すうざん)に因んで名づけられた山なのだろうか。
ハイキング・コース案内図
嵩山の登山道は地理院地図には出ていない。ネット事前調査では道の駅たけやまに登山口があるようなので、明け方に少し歩いてみると道標を見つけた。コネロ・シューズを履いて軽装ででかけようとしたが、気温は低く、三つのピークに登ることになるので、上着(モンベル)を着込み、ザックをしょっていく。建物の西にある表登山道口に向かう途中でGPSを忘れたことに気づき、引き返す。垣根のような灌木に咲いている黄色い花はレンギョウだろうか。道沿いには薄紫やピンクのシバザクラ。「一の木戸」というのは、嵩山城の一番外側の門(大手門)跡とあり、上杉謙信と武田信玄の闘いのときの激戦地で、一番観音が安置されている。当時の嵩山城主は「城虎丸(当時18歳)」で上杉謙信方だったが、闘いの末、落城した。西隣には遊園地の滑り台などがあり、そこからつづら折りを登る途中に「標高634m、東京スカイツリーと同じ高さです」の掲示。この先にも観音菩薩像が現われる。
レンギョウ
薄紫のシバザクラ
ピンクのシバザクラ
一番観音
一の木戸の案内 「嵩山城の一番外側の門(大手門)跡地」
標高634m地点、「東京スカイツリーと同じ高さです」
展望所
その先の展望所に登ってみると、南に榛名山の諸山が見えた。並び立つピークは左(東)から水沢山、二ツ岳、相馬山、烏帽子山、榛名富士(と思ったが、鬢櫛山だった)、掃部ヶ岳、居鞍岳のようだ。視界いっぱいに広がる榛名の景観はすばらしい。その右(西)には真っ白な浅間山、左(東)には小野子山と十二ヶ岳。
麓の情景と榛名山
天狗の広場
カタクリ
主要山域鳥瞰図
榛名山: 水沢山、二ツ岳、相馬山、烏帽子ヶ岳、鬢櫛山、掃部ヶ岳、居鞍岳、古賀良山
竹竿のてっぺん
小天狗頂上
稜線に上がると「天狗の広場」というコルに東屋と「主要山域鳥瞰図」というのがあり、展望台から見た榛名の諸山はほぼ確認できた(榛名富士だと思ったのは鬢櫛山だった)。南端にあるピークの小天狗からは360度の眺望。その前に祠におまいり。旗立が岩の上に据え付けられ、長い竹が立っていた。北には真っ白な谷川連峰が見えていたが、やや霞んでいて少し雲もかぶっており、諸峰の同定は難しかった。
中天狗頂上と石尊社
実城の平の百番観音
天狗の広場に戻り、北に向かう。カタクリが一輪。稜線中央のピークにある中天狗の頂上には石尊社という祠があり、お参り。中天狗から下った先に観音像の並ぶ広場があり、「実城の平」とある。嵩山城が陥落したとき、若き城主、城虎丸が山から飛び降りて自殺し、女性や子供が後を追ったという悲話があり、犠牲者の供養のため、嵩山百番観音が建立され、ここには秩父観音71体が安置された、とある。
未城の平・案内
「未城の平」は城の中心の意。戦国時代に武田信玄に責められて落城した嵩山城の戦いの犠牲者の供養と霊山嵩山への信仰のため、嵩山百番観音が建立された。ここには71体(観音70体、阿弥陀如来1体)が安置されている。
大天狗への鎖場
大天狗頂上
大天狗頂上の祠
実城の平から大天狗への登りには長い鎖のある岩場がある。往路では鎖を掴まずに手と足で登る。大天狗の頂上には、最高点の岩峰・女岩の少し手前に三等三角点と嵩山・頂上標識があり、最高点の女岩の上に祠が見える。丸い女岩には登りにくいが、くぼみのところに鎖があり、それを使って最高点に到達。祠にお参り。ここにも旗立に竹が立ち、360度の眺望。北に見える谷川連峰が白く輝く。その右端の白い壁は川棚ノ頭と俎嵓のあたりかもしれない。下りは長い鎖を掴んで下降。
東登山道に下る
一升水
スミレ
一升水・全景
実城の平から東登山道方面に下ると、途中に湾曲した白い崖を見る。その下に古い道があるようだが、立入禁止になっていた。立木が邪魔でその白い崖を撮影できないので、立入禁止の道に入ってみる。すると、白い崖の下に数体の菩薩像が置かれていた。そして「一升水」の標識。こういう崖は戸隠山や鋸岳で見たことがあるが、緩く湾曲した高く白い崖は、滑らかなヒダが広大な空間を創りだしていて、とても印象的。スミレが数本、咲いていた。
弥勒穴の案内
穴の中に20番観音「みろくさん」が安置されている。夫婦円満、病気に対する御利益、お産の神として崇めらる。
一升水から少し下ったところに「弥勒穴」の標識が立っている。その道は荒れていたので途中で引き返したが、その下に案内も立っていた。穴の中に20番観音「みろくさん」が安置されていて、夫婦円満の神、目・耳・鼻・口など穴の病気に御利益、とあった。行ってみるべきだったか。
東登山道入口の鳥居
東登山道口は城跡の四角い広場の形をしていて、道の駅のすぐ近くに出る。黄色い大きな案内は五反田村のもので「岩登りをしないでください」とあり、霊山であること、ハーケンやボルトを打つと隙間が凍って岩を削るからとある。このあたりは中之条町のはずなので、五反田村は併合されたのかもしれない。「斎木三男が修復を手掛けた霊山嵩山三十三観音」という小さな案内は中之条町のものらしいが、2005年から2年間、「平成の大修復」が行われたとあり、山中の観音像を背負って下ろし、修復したとある。道の駅に戻ると、サクラやシバザクラが咲いていて、すっかり春の朝になっていた。白い小さな花はユキヤナギ?白い大きな花はコブシだろう(コブシは花の下に一枚、葉がついているが、タムシバにはない)。
岩登り禁止の表示
嵩山観音修復の案内
嵩山城跡町指定史跡の案内
河津桜
河津桜
白い花(ユキヤナギ)
コブシ
パンジー
谷川連峰: 俎嵓、オジカ沢ノ頭、谷川岳、高倉山、笠ヶ岳、白毛門、朝日岳
谷川岳
山を越えて月夜野インターに向かうと突然、行く手に谷川岳が見えたので、道脇に停めて撮影。登り車線で追い越した車が先に行く。雨予報のはずが、いつのまにか快晴になった青い空に、谷川岳の白い巨体がそびえている。関越道に乗ってからも、谷川岳は何度も目の前に現れた。今日、ここを走っている人たちは幸運だ。
小島で釣りをする人
道の駅あつみで昼食休憩していると、岩浜の先の小島で釣りをしている人たちを見る。寒くないのかな。