今日は洋風にしようか、それとも東洋風──をさらに分けて、和風か中華風にしようか。これは昼餉の悩みと似ているようで、実は違う。小説の話だ。
私にとって小説とは歴史研究の息抜きに、だいたい一時間程度の別世界見聞記として読むものである。その一時間は自分の見聞きしている現実、はたまた対峙している歴史とはまた異なる世界を覗き、浸りたいと願う時間だ。
だから余計に、冒頭のような悩みが生じる。とはいえ、どれかひとつを選んでも、選ばなかったふたつに想いを馳せてしまうことは自明の理だ。
ああ、それならいっそ、一冊で三つの世界を覗いてみたい──などと、我ながら優柔不断もここに極まれり、なことをつらつら思いながら歩いていたせいか、観光客で賑わう浅草寺を逸れ、通りの向かいにあるビルへと入ってしまっていた。
ふむ、『Text-Revolution』……これは噂に聞く同人誌即売会というものか?
興味を覚え、会場へと赴く。書き手がめいめいに抱く物語を、文章で紡いだ冊子たちのなかに、それはあった。
「和風・洋風・中華風全部載せした短編集!」などと、こちらに負けず劣らずの優柔不断──あるいは途方もない欲張りか──の所産としか言いようがない、一福千遥の『海力乱心』である。
愛してやまぬ酒に心ゆくまで浸りたいと願う、途方もない酒好きふたりが引き起こす珍騒動を描いた中華風の「海量金魚」、旅の男が長逗留している海縁の朽ちかけた楼での、女との寝物語から綴られる和風の「波頭の月」、引っ込み思案な少年、マルコが家出行で邂逅した「泪の海」は洋風の物語だ。
『海力乱心』所収の三編の物語は、世界をくるむ海を背景にしていながら、描かれる色はそれぞれ異なっている。あでやかな紅灯と漁師妓女の織り成す喧噪の影を映したかと見れば、ざわめきの奥の憂鬱を誘い吞みこむ、夜闇すれすれの紺藍色へと沈む。かと思えば、明けぬ夜の果てたあとの輝かしい曙光にまばゆく照らされる海は、もの思いを秘めてもなおあかるい。
そんな海を眺めやり、胸底に食い込んでいる思いや屈託を吐露する登場人物たち。物語のなかで、どこか浮世離れしていながら、現実というものにまずどう片足をつけるか否か試行錯誤しているような彼らだが、ひとつの物語を語り終えた後、その目に映る海の色は果たして変わったのか、どうか──ちょっと聞いてみたいような気がした。