ようやく鴨川の水も春めいて、毛皮にやさしい季節になりました。暖冬とはいえ川は冷たいですから、ひだまりのあたたかさが身に沁みるのですよ。ニンゲンも冬によく死ぬのでしょう。ぼくらも冬を超えるのは苦労するのです。とはいえ、苦労して迎えた春や夏に殺されてゆく仲間を、ぼくは何匹も見送ったのですが。
ぼくらは日本にいるべき動物ではないという理由で、しばしばニンゲンによって殺されていますが、ぼくらだって日本に生まれたくて生まれたわけではありません。昔々、ぼくらは日本に連れて来られたのです。ということを、ぼくはひいひいひいばあさんに聞きました。ぼくらの故郷がどこにあるのか、もうだれも知りません。カピバラくらいの大きさはあっても、しょせんはでかいドブネズミですから、そうむつかしいことはわからないのです。
しかしね、ぼくはこう考えます。生まれる場所は選べないけれど、死ぬ場所くらいは選びたいと。ぼくの考える理想はですね、つまり墓なのですよ、墓、お墓なんです。生まれたくなくてもぼくらは生まれて、冷たい水の中でがんばって生きて、それなのに殺されてしまうのですよ。そんな仲間を何匹も弔ってきたのですが、墓だけがないのですね。
墓を作ろうと考えていたぼくのところに、この本がどんぶらこどんぶらこと流れてきたのは、たいへん都合のよいはなしでした。だからぼくは、これを贈り物か、あるいはおとむらいだと考えています。ヌートリアのおとむらい。ニンゲンもすべてがわるいわけではないなと思いました。
ぼくはこの本に出会えてうれしかったのです。ぼくは今まで、ニンゲンはひどい、あくまだ、と一方的に責めていた。でも、生まれたくなくても生まれてしまって、苦しんでいるニンゲンが、この世にはいるのですね。陸の上も、鴨川の水のように冷たい風が流れるときが、あるのですね。
だからぼくは、この本を墓標にしたいと思うのですよ。それが、ぼくにできるゆいいつのおとむらいですから。