「手向けの花は路地裏に」

人生観察者だからたまらない。

人生は様々な人のそれと幾重にも折り重なっています。

独立した人生などというものは存在しません。Aの行動がBに作用して影響を与えるものですし、そのAの行動とてまた別のCの行動や影響を受けてのものでしょう。

こうした連環が古代より綿々と無限と繰り返されて現在があり、永続的に未来が敷かれているわけです。

それは作中の彼らにとっても例外ではありません。むしろ数々の人生の連環がもっとも端的に表れているからこそ、私にも見つけられと考えています。


まずこれとの出会いに触れておきましょう。といってもこれは簡単です。

私は「誰かの人生」に興味がありましてね、色々な事物を見聞しているのですが、これもそうした一環で出会った「誰かの人生」なのですよ。


本題に戻りましょう。


これはまさに「誰かの人生」が交錯、衝突する出来事が核となっています。人々が抱えるものは思惑であったり、誇りであったり、偶然であったり、様々です。

一応、主人公にはスリの少年が据えられているのですが、彼が全く関わっていない場面もあります。どころかメインとなる『正義の人』騒動に彼は本来的に無関係で、巻き込まれる側でしかないのです。他の登場人物にしたって、作中の出来事と無関係な部分が多かれ少なかれあります。

そうした糸が色々なところで絡み合い、織れあい、当人たちからすれば悲劇でしかない一つの狂騒的な事件が組みあがっていく。本書の醍醐味はあまたの人生のぐちゃぐちゃな混ぜあいにあると、私は能力を通じて読みました。

もっとも誰の人生も、えてしてぐちゃぐちゃなものですがね。


「お前はこの中に出ている誰かなんじゃないか?」ですか。

どうしてそんな突飛な発想をなさったのかはわかりませんが、まさかあなたは『この世界の誰かの人生が第三者の書物として読まれている』とでも言うのですか?

これは誰かの空想の産物にすぎませんよ。


ただ誇大だったのは事実です。

私は「他人の人生」そのものよりも、それぞれの人生の輝ける時期とその凋落、いわば黄金の落日といいましょうか、そこに興味があるのです。平穏な日常などつまらないだけですからね。

そうして私は願っているのです。黄金がもっと続く「誰かの人生」を見たいと。

そういう点では主人公の人生をもっと読みたいですね。きっと輝ける人生が待ち受けていて、たくさんの人生と交錯し、やがて没落すると、そう予感していますから。

レビュアー
人生観察者 さん

「手向けの花は路地裏に」(蒸奇都市倶楽部(シワ))

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