「南風」
酒場のマスターが泣いた。
何? この本と出会ったきっかけか? きっかけも何も、俺もこの本に出てるもんでな。大したあれじゃないが、その関係でこの本にゃ少しばかり詳しいって話だ。
うちはこの街で長いこと続いてる酒場でな、バール・リオンスって店だから近くに来たら寄ってくれ。うちの店は、この本で主に語られてるあの二人、ティーヴァとラーシェの行きつけだ。ああ、二人は二つ違いの姉弟でな、この辺じゃ知らん者はないが舞踏手とギタリストで、うちの常連客はだいたい目と耳の肥えた連中ばかりだが、みんな二人にゃそりゃあもう、いつだって喝采だった。
本を読みゃわかることだが、二人はこの街の生まれじゃなかった。南の港町出身で、両親が亡くなった後にあちこち流れて、そしてこっちへやって来たそうだ。まあよくある話と言ってしまえばそれまでだが、俺も、二人がこの街へ来るまでのことは、この本を見て初めて知ったさ。いろいろあったんだな。
で、これも本を読みゃわかることだが、当然、こっちへ来てからもいろんなことがあった訳だ。特に、姉弟がうちの店で、画家のルーベルトに会ってからはな。舞う女が描く男とめぐり会ったらどうなるかなんざ、まあ、訊かなくたって解るだろう。ああ、そこらへんの話は、テキレボアンソロっつったか、それに入ってるとかいう、『相剋』って話に少し出てくるらしいな。
まあ何せ、ひと筋縄じゃいかなかったんだ。ティーヴァは踊ることは生きること、って女で、ルーベルトは美しいものを描くのが全てって男だった。おまけにラーシェは演奏は神がかってたが、かなりの内気で姉にしか心を開かなかったしな。
その後のティーヴァたちがどうなったかって? ああ、そうだな。その話は、うちの店でしたらいい。まあ、結局は本を読んでもらうしかないが、店にはいいもんもあるから。
今、ひとつだけ言えるっつったら、俺があいつらの前で男泣きした日がある、ってことだ。店は昼から開けてる。いつでも、気軽に来てくれよな。
酒場のマスター さん