別に宗教家や物理学者になろうってわけじゃないです。
ただ普段ボーっとするときにこんなくだらないことを考えてたんで、
それを思うがままに書きなぐっただけ。
それをUPするからといって、誰に同意を求めることでもない。
まあ、このころの自分はこんなくだらないことを考えてたんだな。
と振り返る備忘録みたいなもんですw
誰もこんなもんまじめに読むやつはいない!
●「他」故に「我あり 」
他人あっての自分。そんな言葉をききますが、「他」あっての「我」ですね。人が(というより生きるもの以外も全て)「我」を意識できるのは、「他のなにか」があってこそ。
私、物理学的なことは信じます(正確には好きという感覚ですが。。)が、オカルトや宗教は一切信じません。「いきなり何をw」ともわれるかもですが、前置きしないとこの後の話が、しづらいので。。まあ、照れ隠しです。
「信じない」というのは、オカルトや宗教が信じている実態のない「何か。」であって、その教えなどを否定することではありません。元々、人のモラルやライフスタイルというものから、宗教からできて、今では宗教がモラルやライフスタイルの基礎。
要するに「私、~教信者です。」と言わずとも、思わずとも何かしらの宗教からきた道徳心などの中で生きているのです。日本みたいに宗教色の薄い国だと分かりづらいとは思いますがね。
●「宗教と学問の等価」
個人的には宗教と学問って実は大して変わらないものだと思ってます。
実際に「宗教」すなわち、神の存在を信じるといわれる「~教信者」だって、本当に神の存在を心底信じている訳ではない人がほとんどです。ただ、その教えや生き方が、自分のライフスタイルの教本となることに、共感するから「信じている」のです。もちろん心底「神」の存在を信じている人もいるとは思いますが。ある意味ごく一部の精神的な別の世界でつながっているのでしょうか。。。
一方、「学問」と呼ばれるものだって、宗教と同じく「何か?」を自らが作り上げる真実にを信じる事で成り立つ「教え」であることに宗教との違いがあんまりない。
私がもっとも「信じる」物理学だって、その昔は、地球の周りを他の星が回っているんだという、天動説をみーんな信じていて、「地動説」を唱えた人は、処刑されちゃうような時だってあった。
要するに信じていることを犯される事の拒否感は、宗教も学問も一緒。(まあ、天動説とかって、宗教と密接になってたというのもありますが。。) 今現在だって、「宇宙ってどんな物?」と言う問いに対して、出てくる答えは、物理学を信じる私が読んだってイエス・キリストの数々の逸話に近い諸説が散在しているのです。ただ、その時、その時見つけた何かから想像をめぐらせて、作った物語。地動説を信じた時代の人たちと、ゆるぎない真実がない点では大して変わらないのです。
また、歴史だって存在していたと思われるかけらをつなぎ合わせて、作った物語で、そのお話をまとめたのが、教科書だったりするので、経典や聖書などとあんまり変わらない。いろいろな物証から推測はしていても真実であるかは、時をさかのぼらないと誰も本当にあったと認識できないざっくりしたお話を信じています。
今の学問が全ての原理を現していない限り、学問はいつまでも宗教と似たり寄ったりなのです。
研究者は真実を追い求める修行僧のような存在であり、真実を得た!と悟った時に、神に近づいたと感じる信者と同等の快感があるのだと思います。だからその快感を共有するために、人に教え(学説云々。。)を説いて回るのかなと。まあ、勝手な生き物ですよねw
でも、人は考えることをやめてはいけない。宗教でも学問でも、真実や真理を追い求める事が、人としての本能だから。
●「生まれ変わる」
で、個人的には、誰もが「生まれ変わる」と考えてます。普通、「~時代の貴族」だのなんだのとまあ、適当なインスピレーションで他人から言われて、「ほぉ~」って思うかもしれませんが。。んなの、どうでもよいw
それは、私も99.9…% 信じません。「え?0.…1%は信じるの?」といわれると、「その可能性はなくはない」ですw でも、その可能性は限りなく0に近く、考え方によっては、100%に近く「中世の貴族にいずれ生まれ変わる」といえるかな。
では、何を信じてるのか?
多分「生まれ変わる」のには2つあると考えます。1つは、近世での生まれ変わり。2つ目は、遠い遠い遥か未来の生まれ変わり。でも、理屈は同じ、
「生まれ変わる」の定義としては、人またはそれ以外の形態に「生まれ変わる」のです。
●「近世の生まれ変わり」
まあ、最近日本で死ねれば、99.9%は「灰」になるんでしょうねw
「なーんだ、バッカみたい!当たり前ジャン!」
と、思うかもしれませんが、
「じゃあ、あなたは何から生まれたんですか?」
という問いには、「父、母」。いやいや、正確には父母が食べた何かの栄養から生成された精子と卵子が結びついてですね・・。
んじゃ、「あなた」が死んだ後に、2人のカップルがあなたを半年でも食べ続けた結果生まれた子供は、8割「あなた」という成分から出来たと思っても良いのでは?
もちろん、うまれた「あなたは」一度、肉片となってるわけですから、前世の「あなた」を理解することは不可能でしょうがね。 そんな考え方をすると、今現在存在する私たちの前世は、魚や牛や豚や鳥、野菜などの可能性が大ですねww
そういう意味で、前世の中の1つにが「中世の貴族」の可能性は食物連鎖上ありえる。という意味での「0.…1%」ありえる。ということです。
まあ、近世での生まれ変わりは、ある意味、地球上の表層部の物質として存在する限り、「人に生まれ変わる」確立はグーンと高いですねw では、猛烈にマクロに考えると、「前世の私」や「中世の貴族」に生まれ変わる可能性はないのでしょうか?
●「遠い未来の生まれ変わり」
まあ、現在どこまで信頼性があるのか分かりませんが、宇宙の創世記説として「ビッグバン説」があります。強烈なエネルギーの1点から宇宙が始まったという説です。現在の宇宙は広がりつつあり、宇宙全体の質量にもよるらしいのですが、縮小してくことも説としてあります。
これが、縮小すると考えるといずれは、また最初の「強烈なエネルギーの1点」の状態に戻り、爆発して宇宙が創世される。と考えると、今の「我」があるのは、「無限の可能性」の中の1つの1時点の形態です。いずれ、前述のように「灰」なり何かに生まれ変わって~「ビックバン!」これを無限に繰り返すことで、いずれ今と同じ「我」に生まれ変わる(戻る?)可能性があるわけで、ある時点の「我」が「中世の貴族」となる可能性も無限回繰り返す中の1つとして、存在すると思います。
でも、これも可能性の1つで、真理ではないですね。少なくとも「我」が存在している「この世」でなんか、こんな人間型の形をした物体であるんだな。ってこと以外はまだまだ、真実はどこにもないのかも。。
●「一休み:人と光の等価」
人と光や熱なんて実は等価。アインシュタインの有名な式(E=mc2”質量とエネルギーの等価性”)という式が本当に正しければ、物体(正確には質量かな)とエネルギーは等価と言うことになります。
実際に核エネルギーなどは、物体の一部をエネルギーに変換することで、膨大なエネルギーが発生します。逆に膨大なエネルギーを凝縮すると物体に。。。今の科学では不可能なようですが、錬金術などといわれる技術は理論的にはありえるのでしょうね。
いままでの生まれ変わりはかなりマクロな考え方でしたが、もっとミクロなところに真実や真理があるのじゃないのかな。。
●「私ってなんじゃ?」
「私」ってとっても抽象的な存在。目の前にいる人は、「私から見たあなた」。じゃあ何を「あなた」と呼んでいるのか?。普通目の前にいる「人」と言う形の総体ですが、部分部分を切り取ってみると最後に残るのはなんだろう。
爪。今手先に生える爪は、先端まで「私」ですが、爪切りで切り取った瞬間切り離された爪は、「私」ではなくなります。事故で失った手、病気で切り取った内臓。どれを見ても、「あー私が目の前にある!」とはどうしても思えません。
「脳」これが私!?
まあ、人として生きるために最低必要な部分なんでしょうか。あー私って、脳みそなんだ。。。個人的になんか違う。じゃあなんだろう。。
●「ミクロの私は、ミクロな鉄と等価?」
一番初めに「他あっての我」ということを話していましたが、相対的自己認識という意味では、脳内だって相対的に何かのやり取りを細胞同士がやり取りした結果「自己」が存在できる。
要するに今人の脳として存在するミクロな物質の性質の集合体が「我」を映し出しているということですよね。個人的にはこれが真理なのかなって。物質を原子やそれ以上細分化した「クォーク」さらに細かくした何かがあれば・・・?
と噛み砕くと、鉄も私も組み合わせの違いからそれぞれの性質が生まれるのです。ただ、ただ、たまたま「人」という集合体の中の一部、「脳」の集合体が、こんな文章を書かせることで、その物質の性質の役割を果たしているだけです。
と言うことは、
この先数年、数十年と言う間に、おそらく灰や光(まあ熱量ですかね)になって、いづれ宇宙の藻屑となっていくこの「私」という物体。逆に遡れば、きっとミクロな存在の私の一部はもともとは、何か別の集合体で、そのころは、それ相応の性質に従って動いていたんだ。
水だったかもしれないし、酸素だったかも。もしかしたら鉄くずだったかも。。。
それでも、今はたまたまこんな性質の集合体になったんです。きっと灰となったときには、「灰」なりの役割を果たすべく動作をし続けるんでしょう。今の「私」だったり「脳」としての集合体の性質はこうして、生きていろんな本能を満たすことで、ミクロな私の一部を満たしているのだから、きっと燃えカスとなった私は、それはそれで、自然の原理にそって「幸せ」な未来がまっているんだな。きっと!
●あーぼーん
まあ、正しく物理や科学をお勉強している方からすると、何を適当に語ってるかなぁ~って、思うでしょう。
自分でもそう思うw
決して、こんな風に別のものにいづれ変化を遂げて、その挙句にそれなりの役割を果たすから、「今死んでもいいや!」なーんて思わない。
だって、今は今ですからw
こんなしょうもないことを考えるお味噌でも、本能に従って、いまはだめだよーん。といっていますw
さて、現実の世界にもどりますかw