分子計算屋泣かせの化合物 (PM7法テスト結果)

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以前,環化付加反応基質を探索中に,分子内に2個のナイトロンを持つ4-oxo-4H-pyrazole 1,2-dioxide (次図) の窒素ー窒素(N-N)の原子間距離が1.659オングストローム(Å)と異常に長いことを見出した.炭素ー炭素の単結合の場合,通常は1.5-1.54程度であり,1.65Åまで伸びることは非常に珍しい.以前の記事を参照してほしい.

各種の分子軌道計算で構造を予測させても計算距離はばらばらである.表の赤字の部分だけに注目してほしい.実測値が1.659Åであるのに,計算法により1.508Åから1.806Åの間を示した.もしX線解析データがなかったら何を信じてよいか分からない代物である.なお,NーN結合以外の結合距離は計算法によるばらつきは小さい.

我々は実測値である単結晶X線解析データがあるので,どの計算手法が有効であるか判断することができた.

手軽に情報を得ることができる半経験的手法ならば,AM1, その改良版であるRM1が近い値をしめした.最近のパソコン(CPU core i7)による演算時間は0.16秒である.ノーベル賞で有名な密度汎関数法は,何千,何万倍も演算時間が必要であるが,結合伸長を再現する(CPU core i7 で12分24秒かかる).

私は,新しい分子軌道の手法が発表されるたびに,この化合物を構造再現テストに利用してきた.今回,StewartによるPM6, PM7(最新版MOPAC2012)をテストしてみたが,この化合物の結合伸長は再現できなかった.PM3 → PM6 → PM7と改良されていくにつれて,1.728,1.562,1.544という具合に短くなった.

演算時間が短く手軽に使用することのできる半経験的手法を使っている人は多い,もし実測値がなかったら,最新の方法であるPM6あるいはPM7の値を信じるだろう.結合距離の変化の影響を調べてみた.反応性の予測に用いるフロンティア軌道レベルを以下に示したが,N-N結合伸長を予測できたAM1法では大きなHOMOレベルの低下がみられた.

AM1 HOMO LUMO ENERGIES (EV) = -10.538 -1.713

PM6 HOMO LUMO ENERGIES (EV) = -10.190 -1.903

半経験的分子軌道計算や低級のab initio計算ではここで紹介したような問題が存在する.

結果的には,電子相関が加味された密度汎関数法によって問題の構造を再現できることが判った.以後,この化合物の環化付加反応性の予測にはAM1で概略の構造を求め,その構造をもとに密度汎関数法によって構造最適化を行った.

分子軌道計算による構造予測(遷移状態や中間体を含む)や反応過程の再現は反応機構の解明手段として無くてはならぬ存在になった.ところが,数多ある手法のどれを選ぶかは大変難しい問題である.反応基質あるいは生成物のX線解析がある場合は,それらの基本構造を再現する手法を選べば問題ないようである.

追記

・長いと言っても比較する類似化合物がないので,2個の窒素に付いた酸素のない化合物 (diazacyclopentadienone) の計算値と比較してみた.AM1では1.374Åであるので,0.25Åくらい結合が伸びていることになる.

・炭素ー炭素の単結合が0.1Å伸びると大騒ぎでになる.その2倍以上となると俄には信じてもらえない場合が多い.X線解析のミスではないか,あるいは結晶構造由来の分子間力による結合伸長ではないかと指摘される.それらの疑問に理論的に反論できる準備が必要であることは言うまでもない.本化合物の場合,結晶構造から切り出した2分子の相互作用は次図のとおりであり,Head to Taiiの関係で繋がっている.窒素原子とカルボニル酸素の分子間距離は約3Å,メチル炭素とN→O酸素の分子間距離は約3.3Åである.AM1法は2分子構造を再現するが,分子間相互作用によるN-N結合の変化は0.01Å程度である.

参考論文

• Enhanced Endo Selectivity in 1,3-Dipolar Cycloaddition of Pyrazolone N,N Dioxides with Dipolarophiles having Etherand Carbonyl Groups. Role of the Remarkably Long N-N bond, Y. Yoshitake, M. Eto and K. Harano, Tetrahedron Lett., 1998, 39, 2761-2764.

• Crystallographic and Molecular Orbital Studies of Pyrazolone N,N-Dioxides. The Exceptionally Elongated N-N Bond, Y. Yoshitake, M. Eto and K. Harano, Chem. Pharm. Bull., 1999, 47(5), 601-606.

• Thermal Reaction of Electron Deficient 4-Oxo-4H-pyrazole 1,2-Dioxide with Cycloheptatriene: The First Examples of the Formation of an Endo-[4π+6π]-cycloadduct and an Intramolecular 1,3-Dipolar Reaction Leading to a Heterocage, Koki Yamaguchi, Masashi Eto*, Yasuyuki Yoshitake, Kazunobu Harano,J. Phys. Org. Chem. 2013, 26, 64-69.

• ROLE OF CH/O AND CH/p INTERACTIONS IN STRUCTURAL STABILITY. EFFECT ON ENDO SELECTIVITY IN 1,3-DIPOLAR REACTION OF ELECTRON-DEFICIENT 4-OXO-4H-PYRAZOLE 1,2-DIOXIDES WITH N-SUBSTITUTED MALEIMIDES, Koki Yamaguchi, Kazunobu Harano, Masashi Eto*,Heterocycles 2013, 87(2) , 319-328.

(2013.11.14)