平成熊本地震後は,阿蘇方面へ行くことは控えていたが,紅葉も見頃かと思い.近世,近代史の舞台になった二重峠の近くまで足を延ばしてみた.11月12日というのに,道中を含め紅葉を愛でるにはまだ早すぎたようだ.久しぶりに見る阿蘇山の山肌は外輪山を含めて地震による表土の剥がれが散見された.
参勤交代の二重ノ峠より標高差77m低い地点にある二重峠展望所(23号線)からの眺望は,2013年のGoogleストリートビューと比較して,大きな変化は認められなかった.甚大な山崩れが起こった場所は眺望範囲外にあり,米塚の地割れ等は遠見のため確認できなかった.
二重峠から見る阿蘇山塊は,見慣れた阿蘇涅槃像(根子岳を左側に見る)とはかなり異なるものである.大観峰からは,向かって左から根子岳,高岳,中岳,烏帽子岳,往生岳,杵島岳,米塚と続く.これに対し,二重峠からは,米塚,往生岳から始まり,根子岳の大部分は楢尾岳,高岳,中岳,杵島岳の山塊に隠れ,烏帽子岳,御竈門山,夜峰山と続く(次図).草千里(標高1100m)は杵島岳と烏帽子岳の間に位置する.
二重峠から見える山の帰属(地図をもとに作成)
2016年11月12日
2013年11月Google Streetview
それにしても,大津からミルクロード(339号線)の交通混雑は酷いものだった.立野を越える豊後街道(国道57号線)が山の崩落により不通になり,俄に重役を担わされた旧街道は悲鳴をあげていた.ミルクロードから分岐して阿蘇谷へ下る地点(標高635mの地点)までの9キロの道は,軽乗用車,普通車,バス,ダンプカー,タンクローリー等が数珠つなぎになってノロノロと坂道を上る有り様である.
注)大津町から阿蘇市二重峠に至る部分は清正公道(せいしょこどう)とも呼ばれる.参勤交代の二重峠は自動車道の二重峠よりミルクロード(339号線)を少し登った標高差77mの地点(直線距離314m,車道2.3km」にある.渡邊玄察の早川故事に下記の記載がある.関が原の合戦の際,加勢に赴く途中の清正は,二重峠で大阪留守居衆からの飛脚により「東軍の勝利」を知り,引き返したと書かれている.
「・・・・はや三成公,小西殿御生捕にて清正公御持病押て御出陣成りをらせられ候に,大津の上車帰の峠(二重ノ峠)にて,右之通飛脚大坂留守居衆より慥(たしか)に申來候由に付御引帰り大津より・・・・」(詳細は別稿)
参勤交代の二重峠より1km手前,菊池,大観峰への分岐点から23号線を赤水側へ1km下ったパーキングに展望所(標高610m)が造られている.展望所から3キロ下ると赤水の豊後街道(57号線)および内牧へ通じる149号線と合流する.
合成写真
プリウスのエコモードでは少しパワーが足りない坂もあるため,数回パワーモードに切り替える必要があった.長い時間ノロノロ運転が必要なため,故障を起す車も多いらしく,「整備不良」に注意を促す立看板があちこちに見受けられた.途中には,拡幅工事をしている場所もあり,さらには急ごしらえの簡易トイレも設置され,道路管理者の苦労の一旦を伺い知ることができた.
現在,阿蘇へのアクセスは本ルートと南阿蘇へのグリーンロードしかないが,冬季の道路凍結が心配である.その対策として,ミルクロードから分岐して赤水へ下る地点よりかなり前の地点からトンネルを掘る工事が本決まりになった.次図矢印部分(標高約480m)を約4kmのトンネルで結ぶとのことである.
二重峠トンネル位置図
斜面崩壊が発生したエリアは褐色点線部分
資料
合成する前の写真
Google Streetviewの画像
追記(20170522)