2025年5月25日 復活節第6主日 礼拝説教要旨
(ヨハネによる福音書 14章23~29節)
イエスさまは「わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない」(27節)と言います。福音書では「エイレネー」と記されている「平和」という言葉、おそらくイエスさまが実際口にしたのは「サラーム」、ヘブライ語で言うところの「シャローム」だったでしょう。争いがないだけでなく、誰ひとり傷つくことの無い状態、神と人との関係があるべき関係になっており全ての人が平安のうちに過ごしている状態を表す言葉です。
イエスさまはそのような平和(シャローム)を弟子たちに、そして私たちに残し、与えてくださると言います。それも、世が与えるような方法ではないやり方で。今日の使徒言行録ではパウロが足の不自由な男性に「自分の足でまっすぐに立ちなさい」と宣言し、その男性を癒やしました。今のように福祉制度もなかった時代です。おそらくその男性は癒やされるその時まで誰かの施しによってしか生きることができなかったでしょう。しかし、パウロによって癒やされた後、彼は自分の足で立ち、自分の手で生活していく可能性を得ました。この男性に平和が示された瞬間でした。
この物語はとても象徴的です。キリストの平和は上から一気に押し寄せてくるのではなく、下から私たちの間から少しずつ少しずつ長い年月をかけて広まっていくものです。点と点が結びついていくように。パウロが「わたしたちも数は多いが、キリストに結ばれて一つの体を形づくっており、各自は互いに部分なのです」(ローマ12:5)と言うように、一人ひとりが聖霊に導かれ平和を与えられ繋がっていく。それはキリストの体へと結ばれていく出来事です。
(司祭ヨハネ古澤)