牧師の小部屋 ㊸
大阪教区には「手話通訳の会つたえて」というグループがあります。教区主催の礼拝などで説教台 の近くを見て頂くと、手話通訳をしている方を見つけることができます。長年教区の礼拝を中心に聖餐式や説教の手活通訳をされてきました。その「つたえて」も、皆さん年齢を重ねてきたため、今までのような活動を続けることが体力的にも厳しくなり、今年一杯の活動かなと言っています。 何年か「つたえて」のチャブレンをさせて頂いているのですが、手話は言葉の本質を手で表すのだなと感じることがしばしばあります。
例えば「悔い改める」という言葉。 これは「メタノイア」というギリシア語で「方向転換」を表す言葉ですが、何を基準にしての方向 転換かと言えば神さまに向き直る意味での方向転換です。ですから、「メタノイア」を丁寧な日本 語に訳せば「神さまに向き直ること」となると思うのですが、これを手話で表すと右手の親指を立てて(goodの形)、左手の人差し指を立てて、左人差し指を右手横からゆっくり離していき、途中でUターンをして右手横に戻す、となります。親指は神さまで人差し指は私たち人間。人間があらぬ方向へ進んでいき、あるときはたと気づいて神さまの方へ戻っていく。これが手話で表す「悔い改め」です。とても言葉の本質をついた表現です。
親指は神さまで人差し指は私たち人間。人間があらぬ方向へ進んでいき、あるとき「はた」と気づいて神さまの方へ戻っていく。この大斎節、私は神さまの方向を向いているか、ちょっと振り返ってみましょう。キリストの暖かさを改めて感じる機会になるのではないでしょうか。
(司祭ヨハネ古澤)
牧師の小部屋 ㊷
ある方宛に3年前の5月にお送りしたメールを読み直す機会がありました。次のように記していました。
「日中の暑さが定着してきたように感じます。 気がつけば復活節も第4週を迎えようとしています。 この時期に今更ですが、ルカ福音書1:57からの記事で、エリサベトが初子をヨハネと名付けなければならない、と感じたのはなぜなのか、という疑問が出てきました。福音書には記されていないけども、天使がエリサベトにも訪れたのか? 喋られなくなったザカリアと、エリサベトは筆談で細やかに話し合ったのか? 夫婦の息がぴったり合っているエリサベトとザカリアの姿を思い浮かべて、心が温かくなりました」。
高齢のエリサベトのお腹に赤ちゃんが宿る前、ザカリアは天使からエリサベトに赤ん坊が与えられること、そしてその子をヨハネと名付けるようにと告げられます。天使の言葉を信じることができなかったザカリア。このことが成就するまでザカリアは口をきくことができなくなります。月日が経ちエリサベトは男のことを生みます。親戚から名前を聞かれ、エリサベトはヨハネと答えるのでした。
今のように手軽に紙を手に入れることができなかった時代、ザカリアとエリサベトはどのようにコミュニケーションを取ったのでしょう。生まれてくる赤ん坊の名前をヨハネとするよう天使から告げられたことを、ザカリアはどのようにエリサベトに伝えたのでしょう。ザカリアの口が聞けなくなったからこそ、それまで以上に密な意思疎通がなされたのかもしれません。懸命に想いを伝えようとするザカリアと、その想いを受けとめようとするエリサベトの姿を想像していたな、とメールを読み返していました。
(司祭ヨハネ古澤)
牧師の小部屋 ㊶
「ダルク(DARC)」とはドラッグ(薬物)のD、アディクション(病的依存)のA、リハビリテーション(回復)のR、センター(CENTER=施設)のCを組み合わせた造語です。「薬物依存症から回復して社会復帰を目指すための民間リハビリ施設」を指し、日本では1985年に東京に創設されました。 大阪ダルクは1993年に一人の女性が立ち上げます。創設者の倉田めばさんは自身が薬物依存者であり、また自助グループへの参加を通しての回復者でもありました。20代からフォトグラファーの仕事をしていた倉田さんは、薬物依存からの回復、そして仕事が順調になってきた35歳頃、関係者から「大阪ダルクを立ち上げないか」と声をかけられます。倉田さん自身、大阪ダルクの必要性は感じていましたが、好きな仕事を諦めてまで施設を立ち上げることには消極的でした。しかし、イタリアの薬物依存症のリハビリ施設を視察したことから、考えが大きく変わりました。 倉田さんはイタリアの施設を訪れたとき、「日本はこのままではいけないという危機感に突き動かされました」と言います。「たとえば、イタリアではカトリック教会の司祭が施設を運営していて、プログラムや取組みが素晴らしい」と倉田さんは感じました。それは、「薬物を使用する若者を生んでいるのは大人や地域、社会の責任。だから、薬物を止めるためのサポートをすることはもちろん、止めたら社会で受け入れていくことが当然」という考え方が人々に浸透しているからだと言います。対して日本では、まだまだ「薬物使用者を叩いて、犯罪者のレッテルを貼るばかり。回復したいと願っても、回復していける社会ではありません」と倉田さんは言います。つまり、この社会全体で回復を望む依存者を支えようとするかどうか、がイタリアと日本の大きな違いであるわけです。 倉田さんのこの経験に加え、仕事の都合で面会を延期した依存症患者が急死するという出来事を通して、1993年に倉田さんは仕事を辞め、大阪ダルクを立ち上げるのでした。
(司祭ヨハネ古澤)
牧師の小部屋 ㊵
ジャーナリストの神保哲郎さんのインターネットニュース番組、ビデオニュース に末吉里花さんが出演されました。ながらくフリーアナウンサーとして活躍され、「世界不思議発見」でミステリーハンターとしても出演されていたそうです。末吉さんは2015年に一般社団法人エシカル協会を設立します。エシカルとは「人や地球環境、社会、地域におもいやりのある行動」を意味し、エシカル協会は「エシカルの本質について自らを考え、行動し、変化する人びとを育み」持続可能な世界の実現を目指す働きをされています(引用は、エシカル協会のウェブサイトより)。
末吉さんはビデオニュースでご自身がエシカル協会を立ち上げるきっかけについても触れられました。とても心に残るエピソードでしたのでご紹介します。
末吉さんが世界不思議発見にミステリーハンターとして出演された際、タンザニアのキリマンジャロに登ったそうです。標高6,000メートルの山で、1,600メートルのところに村があり、末吉さんは村の小学校を訪れます。キリマンジャロとはスワヒリ語で「白く輝く頂」を意味するそうで山頂では氷河が白く輝いており、その氷河が村の生活用水になっているそうです。しかし、気候変動によって氷河が急激に減少してきている。そのため、村の小学校の子どもたちは一本一本植林を行なっていたそうです。ただ植えるだけでなく、「氷河が戻るように」と祈りながら。
子どもたちは「僕たちは頂上まで行けないから、お姉さん代わりに氷河を見てきて」と末吉さんに想いを託します。高山病に襲われながらも頂上まで登った末吉さんは、従来の1~2割しか氷河が残っていないと解説をうけながら、頂上の光景をみて「地球は一つである」と強く感じたそうです。そして、持続可能な世界の実現を目指すために自ら動こうと決心されるのでした。
子どもたちが一本一本に祈りを込めながら木を植えていること、彼らの生活用水である氷河が消えていること、私たちの生活とそのことが深く結びついていることを覚えたいと思います。
(司祭ヨハネ古澤)
2025年3月2日 大斎節前主日 礼拝説教要旨
(ルカによる福音書 9章28~36節)
主イエスは三人の弟子だけを連れて山へ登り祈りました。どのような祈りをされていたのかはわかりません。福音記者ルカは主イエスの祈りの内容までは報告していません。「イエスがエルサレムで遂げようとしておられる最後のことについて話していた」と記されています。主イエスの祈りも、これからご自分の身におこる十字架の出来事についてだったのかもしれません。
しかし、主イエスに連れられた三人の弟子はこの話を耳にしていませんでした。新しい訳の聖書協会共同訳では「ペトロと仲間は、眠りこけていたが、目を覚ますと、主イエスの栄光と、一緒に立っている二人の人が見えた」とあります。つまり、三人の弟子たちは主イエスの姿が変化して、主イエスがモーセとエリヤと話をしていたとき深く眠っていた。そして目を覚ますとそこには、白く輝いている主イエスと二人の人物がいたのでした。弟子たちは深く眠ることによって、情報の空白ができてしまいました。弟子たちの心境は「弟子たちは沈黙を守り、見たことを当時、誰にも話さなかった」との一文からも想像できます。私たちはあまりにもショックが大きいとき、気持ちの整理がつかないとき、簡単に口を開くことができなくなります。この三人の弟子たちにとって、この一連の出来事は気持ちの整理のつかない大きすぎる出来事だったのでしょう。恐怖を感じたかもしれません。恐怖は私たちを間違った道へと導いていきます。しかし、私たちには「インマヌエル - 神ともにいます -」という信じるべき土台があります。十字架にかけられた主イエスを父なる神は見捨てられず復活させられたという信じるべき希望があります。そして、神が人となられた主イエスが社会の片隅に置かれていた人々を大切にされたという、信じるべき愛があります。私たち、キリストに倣う者として神への信頼を抱きながら人生の歩みを進めましょう。パウロが説く愛、「愛は寛容なもの、慈悲深いものは愛」(フランシスコ会訳)。これは私たちがキリストからすでに受けているものです。だからこそ、私たちも他者への愛をもって、歩んで参りましょう。
(司祭ヨハネ古澤)