2020年8月 主教からの呼びかけ - インターナショナル・デイ -
(10月18日の主日礼拝で憶え、お祈りください。)
「神は、造ったすべてのものをご覧になった。それは極めて良かった。」(創世記第1章31節)
神は創造されたすべてのものをご覧になり、「良いものができた」と大いに喜ばれました。
生きとして生けるものは、それぞれに個性的で、違いを持っています。違いは神の創造の業のすばらしさを現しています。ですから、人間が人間を差別したり、見下げたりするのは、神の創造の業に反することです。皆地球上のカラフルな「仲間たち」なのです。
毎年10月第3日曜日の午後、カトリック大阪大司教区玉造大聖堂(駐車場)を会場に、インターナショナル・ディ(以前は国際協力の日)が開催されています。2000人から3000人の人が集まるお祭りです。外国にルーツを持つ人が、こんなにたくさんおられるのかと、毎回驚いたり、感心したりします。「多文化共生社会を目指し、外国人が暮らしやすい社会は、日本人にも暮らしやすい社会」を合言葉に、教派を超えた集いとなっています。50近い屋台が並び、いろいろなお国料理の美味しい香りにうっとりします。そして特設ステージでは20以上の色とりどりな民族の芸能が披露され、身も心もパワーを頂けるお祭りです。
今年26回目を迎えるはずでしたが、新型コロナウイルス禍、残念ながら中止となりました。そこで私は、この日を憶え、大阪教区で何かプログラムができないかと考え、今宣教部を中心に計画していただいています。私としては、多文化共生社会の実現を目指し、各教会で主日礼拝の中で、まずお祈りして下さることを願っています。現在、約240万人を超える外国にルーツを持つ人が日本に住んでいます。大阪教区の教会にも、韓国、台湾、スコットランド、カナダ、タンザニア、フィリピン、カンボジア、在日韓国・朝鮮人等の方々が、信仰生活を送っておられます。大阪聖パウロ教会にて行われている教区英語礼拝にも20~30人の方々が出席しておられます。また難民問題(入管問題)に取り組んでいる大阪教区有志の方々もおられます。まず、知ること、学ぶこと、そして出会い、友人になることが大切です。是非憶えて、外国にルーツを持つ人々と多文化共生社会実現のため、お祈りしてください。いつの日が「誰でも神さまの前に等しくされている」ことが実現しますように祈ります。
(主教アンデレ磯)
2020年8月23日 聖霊降臨後第12主日礼拝説教より (於:大阪城南キリスト教会)
(マタイによる福音書 第16章13節~20節)
「すると、イエスはお答えになった。「シモン・バルヨナ、あなたは幸いだ。あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ。わたしも言っておく。あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない。わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる。」(17節~19節)
ペトロの告白した言葉、「あなたは生ける神の子です」の「生きる」は「神の子」ではなく、「神」にかかります。主イエスは「生きる神」の子どもである、とペトロは告白したのです。そのようなペトロに主イエスは言います。「この岩(ペトラ)の上にわたしは教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない」。「陰府の力」つまり「死」も教会に対抗できないと言うのです。
教会とは神に招かれた者の集まりですから、言い換えれば私たちひとり一人のことです。そして「シモン・バルヨナ、あなたは幸いだ。あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ」と主イエスが言うように、「今も生きる神に」に信頼するとき、私たちはペトロのように父なる神によって、主イエスのことを、神のみ心を正しく認識します。
主イエスのこと・神のみ心を正しく認識し、告白し、実行することはとても困難を伴います。私たちはペトロが強い人間でないことを知っています。イエスが捕らえられた時に逃げてしまったことも、イエスの裁判中にイエスのことを三度「知らない」と言ったことも知っています。また、聖霊降臨の出来事の後も、つまりペトロが聖霊に満たされ、他の弟子たちと一緒に宣教に行っていたときでさえ、アンティオキアの教会で見せた弱さを知っています。異邦人キリスト者と一緒に食事をしていたペトロでしたが、エルサレムからユダヤ人キリスト者が来た途端、ペトロは異邦人キリスト者と一緒に食事をするのをやめました。このことをパウロはガラテヤ書で批判しています。
しかし、主イエスはペトロに「やっぱり天の国の鍵を返して」とは言いません。それは、主イエスが人間を信頼してくださっているからでしょう。私たちが正しく神のみ心を認識し行動するとき、命が大切にされる働きとなるからではないでしょうか。「地上でつながれるものは天上でもつながれる」のです。
(司祭ヨハネ古澤)
2020年8月16日 聖霊降臨後第11主日礼拝説教より
(マタイによる福音書 第15章21節~28節)
「カナン」は、ユダヤの人々から見ると異教徒を意味しました。つまり、救いから外れている人々です。主イエスもその立場に立って、この女性と接していました。何より、主イエスはご自身を「イスラエルの家の失われた羊のところ」に遣わされた存在と認識していました。神のもとから迷い出て、右往左往している羊たち、イスラエルの人々を再び神のもとへ導かなければならない。それが、主イエスにとって、最優先事項でした。だからこそ、異教徒である女性に構っている暇はなかったのかもしれません。
しかし、そのような考えを持つ主イエスに、この女性は新しい発見を与えます。「子どもたちのパンを取って、小犬たちに投げてやるのはよくない」と言う主イエスに対して、「主よ、ごもっともです。でも、小犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただきます」と女性は答えました。「異教徒であっても、間接的ではあっても主なる神は養ってくださるではありませんか。私はそのように主なる神を信頼しております」と、この女性は答えたのです。その声を、そして声だけでなく、女性が自分の娘を何とか助けたいという心の底からの想いを、何より主なる神への信頼を、主イエスは聴き取り、汲み取ったのでした。
私たちは誰もが、「言葉にできない想い」を持っています。先の女性は「主よ、ダビデの子よ、私を憐れんでください。娘が悪霊にひどく苦しめられています」と延々と叫ぶほかは「主よ、ごもっともです。でも、小犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただきます」としか言葉を発していません。しかし、これ以外にもおそらく「私は娘を愛しています。心底大切な子どもなのです。主なる神は異教徒であれ、どのような所属であれ、信頼する者の声を聴いてくださると信じています」と言ったような、言葉にできなかった数多くの想いがあったことでしょう。主イエスはその心の声に耳を傾けてくださるのです。
心の声はたくさんあります。いわゆる「ホームレス」の中には、年配で空き缶拾いを続けている方が多くいます。体の不調があるから「生活保護受けたら」と支援者は声をかけますが、多くの方は中々首を縦に振りません。「まだ動けるから」と言います。口にはしませんが、心の奥底では、「仕事をしたい」と願っている方が多いのです。食べ物やお金が欲しいわけではなく、仕事に就いて働いて、そのお金で生活をしたいのです。
私たちもまた、心の底に「言葉にできない想い」を持っています。私たちも互いに「言葉にできない想い」を大切にしましょう。そして、その声を主は聴いてくださると主に信頼し、いま必要な声を発していきましょう。
(司祭ヨハネ古澤)
2020年8月9日 聖霊降臨後第10主日礼拝説教より (於:聖ガブリエル教会)
(マタイによる福音書 第14章22節~33節)
エリザベス・サンダース・ホームが、岩崎弥太郎の孫である澤田美喜(1901~1980)によって1948年に設立されたことは広く知られています。外交官である澤田廉三を夫とする美喜は、廉三がロンドン駐在時に児童養護施設ドクター・バーナードス・ホームを訪問し、同施設の働きに感銘を受け、児童養護施設の必要性を深く感じていたようです。
そのような澤田美喜に孤児院設立の決心をさせた出来事が、混血孤児の遺体との出会いでした。汽車の座席に座っていた美喜の膝に、紙の包みが落ちてきました。何かなと思い包みを開けてみると、そこには肌の黒い嬰児の遺体がありました。戦後、多くの地域で混血児が生まれていました。アメリカ兵の暴行によって、売春によって、また恋愛によって。しかし物資が極度に不足している状況下、生まれてきた赤ん坊たちは育てられることなく命を失うことが多かったようです。そして混血児への差別が強くありました。「戦争の落とし子」とも呼ばれた彼らの母親にならなければ、と澤田美喜は包み紙の嬰児に出会って孤児院設立を決心したのです。
そのような澤田美喜と1948年に出会ったのが報道カメラマンの影山光洋(正雄、1907~1981)でした。澤田美喜が孤児院を設立して間もなく、混血児のための施設設立を知った影山光洋はエリザベス・サンダース・ホームへと向かいます。そこで澤田美喜と意気投合し、子ども達の成長の記録をライフワークとしました。次男の智洋さんは、光洋が子ども達の姿を撮り続けた理由をこのように述べています。「戦後の落とし子と呼ばれた混血児たちの成長を撮り続けたのは、孤児たちにはなんらの罪もないことを写真でアメリカ国内に呼びかける必要もあったには違いないが、園長が人づくり、海外発展という大悲願を掲げて、女手一つで立ち向かっているその態度に強く打たれたためでもあった」。
女手一つで混血児の命を守っていった澤田美喜。私たちはしばしば、「なぜこの人はこんなに頑張れるのだろうか、失敗したらどうするつもりだったのだろうか」と疑問を持ちます。それは、実際に失敗した人を目にしているからでしょうし、先行きが明るい保証がどこにもないからでしょう。
しかし一方で、「何かとして赤ん坊の命を救おう」と懸命に働いた姿を私たちは知っています。そして、溺れそうなペトロを助けるために、湖上を自ら歩んで来てくださった主イエスのことも、私たちは知っています。
「そういえば」、と思い出します。影山光洋の言葉では「女手一つで」頑張った澤田美喜でしたが、実際は多くの人に支えられました。澤田の想いに共感した人々です。影山光洋自身が、そんな一人でした。
命を守る働きには、様々な働きがあるでしょう。声を上げること、祈ること、様々です。一歩踏み出すのに尻込みする私たちですが、主イエスの声が聞こえます。「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない」。
(司祭ヨハネ古澤)