2021年7月25日 聖霊降臨後第9主日拝説教より 於:大阪城南キリスト教会
(マルコによる福音書 第6章45節~53節)
私たちは「見ていても見えていない」ということがあります。弟子たちもそうだったようです。今日の福音書 に「パンの出来事を理解せず、心が鈍くなっていたからである」との一文がありました。パン5つと魚2匹で五千人のお腹を満たした主イエス。それが意味することを弟子たちは理解せず、心が鈍くなっていたがために、主イエスが嵐を静めたことに驚いたのだ、そのように聖書は 語ります。弟子たちの「心が鈍くなっていた」という「鈍くなって」は原文では受動態で書かれています。神によって弟子たちの心が鈍く・固くされたと聖書は語り ます。「理解せず」は能動態です。つまり弟子たち自身が理解しなかったわけです。主イエスが何者であるの か、そして彼が起こした奇跡は何を意味するのか。そのことを理解しなかった、もしくは理解しようとしなかった、そのために神は弟子たちの心を固くされたのでし た。弟子たちは直に主イエスのなさること、また主イエスご自身を見ていますが、肝心のことは見えていません でした。
この「理解する」は「悟る」とも訳される言葉です。 弟子たちが理解する者・悟る者、つまり信仰へと至るの は主イエスの十字架と復活の出来事が起こった後のことです。言い方を変えれば、その時まで主イエスは弟子たちを導いていかれたのです。ご自分を見捨て、裏切った弟子たち、共に旅をする間も理解することはなかった弟子たちです。しかし、主イエスは彼らを見捨てるどころ か、ご復活の後に彼らの前に現れ、彼らを励まし、導いていかれました。
そういえば、復活した主イエスに出会った弟子たち は、最初その人が誰だかわかりません。エマオへの途 上、弟子たちが主イエスを自分たちの宿に招き、共に食事をするなかで弟子たちは目の前にいる旅人が主イエスであることに気づきます。ルカ福音書はそのときのことを「すると、二人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった」と証言します。
私たちは日常で目にするもの、見えているものが多くあります。しかし、いつも見ているのも以上に実は大切なものを目にしているのかもしれません。私たちは「主 の導き」という表現をよく使います。「聖霊の導き」と言う場合もあります。今までの歩みを振り返るとき、「あれは導きだったのかもしれない」と感じることがあります。つまり、私たちは主イエスに聖霊に出会ってい ます。見ているのですね。しかし見えない。でも感じる時があるでしょう。その感覚を大切にしていきたいと思うのです。
(司祭ヨハネ古澤)
2021年7月18日 聖霊降臨後第8主日拝説教より
(マルコによる福音書 第6章30節~44節)
日本では今も白米を意味する「ご飯」が「食事全般」を表すように、古代の地中海世界においては「パン」が食事をも意味しました。それほどにパンは身分の高低に拘わらず、人びとにとってなくてはならないものだった のです。パンは麦から作られますが、大麦と小麦ではパ ンの作り方や質に大きな差があったようです。大麦はモロコシと混ぜて黒パンとなり、貧しい人びとや奴隷の主 食でした。小麦は大麦よりずっと上質であると見做されていて、「きれいな」パンが作られ富裕層が主に食しま した。
人びとがその日のパンを口にするのは大変な労力が必 要でした。だからこそ、焼けたパンを丸々口にすることができない人も大勢いたことでしょう。絶えずひもじさを感じていた人も多かったはずです。弟子たちは主イエ スに群衆を解散させるよう求めました。解散させれば彼らは町で各々が食べる物を買うでしょう、と言います。 しかし、群衆はそのほとんどが貧しい身の上でした。彼らが町で食事を買うことは不可能だったことでしょう。
だからと言って弟子たちを責めることはできません。手許に五つのパンと二匹の魚しかない中で、主イエスを追いかけてきた大勢の人を目の前にして「わたしたちが二百デナリオンものパンを買って来て、みんなに食べさせるのですか」と弟子たちが驚きと不平を込めた言葉を発するのも納得できます。
ところが「五つのパンと二匹の魚」は「たったの」で はありませんでした。私たちの目からすれば、ほぼ意味をなさない量の食料ですが、主イエスによってそれはその場にいた全ての人を養うものとされたました。
そこには主イエスの、人びとを腹のそこから想う愛がありました。しかし他方で、主イエスを追いかけた人びとの「求める心」があったことを私たちは見落としては ならないのです。人びとの救いを求める想い、主イエスに頼りたいとの想いがあり、その想いに人びとは突き動かされて主イエスを追いかけました。その姿を主イエス はご覧になったはずです。
足りないものが沢山あります。実際に生きるために足 りないものがあって困窮する人がいます。そのことに関 して私たちは関心をもって、できることをする必要があります。本当に必要なものは声をあげて助けを求めることが大切です。神さまへの相談・祈り。仲間や兄弟姉妹への相談。それは共に祈ることへと繋がります。行政へ の支援要請が必要であれば一緒にいくこともできます。
主イエスはその場にいた人びとに余りあるだけの食事を用意されました。そして主イエスが用意された食事は弟子たちに配らせたのでした。私たちは食事を受け、ま た配る立場にもあります。主イエスを求める心を共に養いましょう。主イエスの信頼と共に人生の旅路を共に歩みましょう。主イエスに導かれながら!
(司祭ヨハネ古澤)
2021年7月11日 聖霊降臨後第7主日拝説教より 於:聖ガブリエル教会
(マルコによる福音書 第6章7節~13)
関東大震災が起こったとき、朝鮮の人々が井戸に毒をまいたという流言が広まりました。多くの朝鮮の人びとが暴行を受けました。当時、張青年は立教で学んでいま した。命からがら東京を脱出し、関西にやってきまし た。そして奈良基督教会に助けを求めることになります。当時の牧師さんは吉村大次郎司祭でした。張青年は今にも日本人が自分を殺しに来るのではないかと、恐怖 におののいていたそうです。吉村先生は、日本刀を持ってきて、こう言いました。「君をもし殺そうと誰かがやってきたら、この日本刀でわしを殺してからにせよと言ってやる。絶対に君を身放しはしない」。このようにし て、張青年は教会で守られ、吉村先生を通して、自分を決して見放さない主イエス・キリストの大きな愛に触れ ました。そして、この主イエスの大きな愛を苦難の中にある同胞に伝えたい、神さまと同胞に仕える人になる決心をし、牧師になるために、奈良の教会から応援を受け て、当時福岡にあった神学校入学されました。1925 年(大正14年)に生野の地で伝道・宣教活動を開始されたのです。
ご家族からお聞きしましたが、家族で他教会のお醤油屋の信徒さんから醤油を提供しいてもらい家族で売って歩くなど、本当に貧しく慎ましい生活の中、伝道・宣教活動をなさったそうです。この張先生が生野の地に、聖ガブリエル教会を創立されました。当時の状況から日本名を使うようになり、張本栄と言う名で働かれました。 聖ガブリエル教会のはじまりです。
主イエスは弟子の中から12人を選び、いよいよ伝 道・宣教の業に派遣されます。二人ずつ、やはり協働者は必要です。一人では大変ですし、独りよがりになるかもしれません。そして、仲間と協働する姿の中に、「互 いに愛し合いなさいという」主の教えを証しすることができるかもしれません。
また、ただ履物と杖一本だけで、「パンも、袋も、ま た帯の中に金ももたず」に旅立てと主は言われます。下着2枚は裕福さのしるしだそうです。質素に、ただ必要なものだけを携えて旅立ちなさいと主イエスは言われま す。そして、必ず受け入れ、支えてくれる人が現れる、そこに留まり続けなさいと言われます。神さまがすべてを配慮して下さるとの信頼の中に生きることが求められています。信仰者として生きる時、恐れずに神さまへの 信頼と人々との出会いへの信頼に生きることが大切だと教えられています。
さらに「あなたがたを迎え入れず、あなたがたに耳を傾けようとしない所があったら、そこを出ていくとき、彼らへの証しとして足の裏の埃を払い落しなさい。」と 言われます。人を恨んだり、憎んだりしないように、生きる知恵を与えて下さっているようにも感じます。私 は、正直このイエスの言葉の意味が、よく分かりません でした。でも、イエスの最後の晩餐での姿、主イエスが食卓の席から立ちあがり、弟子たちの前にひざまずき、足を洗われた姿を思い出したとき、この愛と赦しの使命を弟子たちに託すイエスの思いに、深く心打たれまし た。弟子たちは、「心を神さまに向けよう」と人々によびかけ、病気の人や困難の中にある人々のお世話をして回りました。ここに伝道・宣教の原点があります。張先生の姿が浮かんでくるようです。
(主教 アンデレ 磯 晴久師)
2021年7月4日 聖霊降臨後第6主日拝説教より
(マルコによる福音書 第6章1節~6、コリントの信徒への手紙二 第12章2節~10節)
コリントへの手紙を読み進めると、パウロとコリントの人びとが和解していくことがわかる。コリントの人びとがパウロの使徒性を再確認していく。神の業は教会内でも相互の信頼の中で行われるということがわかる。
今日の福音書でもそのことが語られている。イエスの故郷が今日の舞台である。イエスのことをよく知る人びとが会堂で教える姿を見て仰天する。イエスの教えを聞いた人びとはイエスの持つ知恵と力ある業が素晴らしいものであることを認めつつも、自分たちの知るイエスが大工職人でありマリアの息子であることから、実際耳にした教えも力ある業も否定してしまう。大工職人のイエスがこのようなことができるはずない、と考えたのだろうか。「人びとはイエスにつまずいた」とあるが、これは「人びとはイエスに信頼を置けなかった」ということ。人びとがイエスに信頼しなかったため、力ある業を行うことができなかった。
神は常に人への信頼を置いてくださっている。人の方を向いていてくださる。私たち人間の応答が必要である。そのことが、今日の福音書ではイエスの故郷の人びととイエスの関係で分かりやすく示されている。
パウロはコリントの人びとがパウロの使徒性を疑っているがゆえに手紙を書いたと紹介した。同じコリントの手紙Ⅱで、パウロは人びとが自分についてどのように言っているかを紹介している。「手紙は重々しく力強いが、実際に会ってみると弱々しい人で、話もつまらな い」。皆がみなこう言っているわけではなく、一部の 人、とパウロは言うが、これは厳しい。私だったら逃げ出すと思う。
恐らくパウロも悩み祈ったことと想像する。神の助けと導きを祈ったことと思う。ここにパウロの真の強さが あったのではないだろうか。私がパウロと同じ立場に立たされたら、自分の強さを表にだそうとしたに違いな い。しかし、自分はこんなにすごいと示せば示すほど、私自身に神の入るスペースは無くなってくる。私は神を忘れて自分をアピールするわけだから。
パウロは彼が自分の弱さと感じていることについてこ のように言います。「主は、『わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ』と言われました。だから、キリストの力がわたしの内に宿るように(ために)、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう」と。パウロは弱さをも自分自身の一部と認識することで、そこにキリストの力が宿るスペースを空けておいたわけです。自分は完全無欠と虚勢を張るのでは無く、自分には弱い部分がある、それを含めて自分である、と認めることで、キリストを迎え入れる。「あとはお任せします」の精神です。
弱さの中に強さがある。それは弱さがあるからこそ、キリストに頼る心が芽ばえるということ。神をそして他者を信頼することができるということ。祈りと共に日々の決断を、そして歩みを進めましょう。
(司祭ヨハネ古澤)