クリスマスが終わり間もありませんが、今日は新年2019年1月1日。主イエス・キリスト命名の日でした。
新年早々の礼拝は清々しく、礼拝の後は恒例の持ち寄りの食事会でした。
なお今年は大阪教区の磯主教に司式頂き、新年早々素晴らしく感謝を感じる日でした。
しかしながら日本のお正月は寒い…
それでも教会の花壇は2年前とは異なり、緑に覆われながらも、季節の花や野菜が根付いていました。
大阪聖愛教会の名物であるビワの木の根本には、きれいに白い水仙が咲き誇っていました。
また、昨年植えたラディッシュが見事に色づいて、食べごろまで成長してくれました!
ラディッシュは新年の食事会の中で、美味しく頂きました!
そういえば今日の旧約聖書の個所は「出エジブト記34:1-9」でした。モーセがシナイ山で神に対して自身に付き従う民の過ちを乞い、神に忠誠を誓う個所でした。
8モーセは急いで地にひざまずき、ひれ伏して、 9言った。「主よ、もし御好意を示してくださいますならば、主よ、わたしたちの中にあって進んでください。確かにかたくなな民ですが、わたしたちの罪と過ちを赦し、わたしたちをあなたの嗣業として受け入れてください。」
磯主教の説教の中でも上記の事が大切だと説明頂きましたが、1点気になり、「嗣業(しぎょう)」って旧約聖書でよく見かけますが、一体どういう意味だろう?となりました。家に帰っても気になり「嗣業」という言葉を調べましたが、広辞苑にも載っておりませんでした。
因みに英語の聖書では「嗣業」がNKJVの「inherit wealth」(受け継げる財産)、NIVの「treasures」(宝物)、NRSV、GNTの「wealth」(富)と訳されていますが、いずれもピンとこないな~と個人的に感じていました。
ただ、約束の地カナンを目指していたモーセにとっては、マタイによる福音書25:34にある『 さあ、わたしの父に祝福された人たち、 天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい。』とある通り、「神が用意してくれた土地を受け継ぐ事」、これが私達クリスチャンの財産だと感じました。
今日頂いたラディッシュも、神から受けた恵によって野の花の会の皆さんが育てた植物です。その他も食べ物も全てそう、私達は神様のみ恵のもと、感謝して食事しながら、神のみ国、み心を受け継ぐ存在でいたいと新年早々に感じました。