熊本大学に赴任した頃は,全学的共用施設である計算機センターは存在せず, 黒髪キャンパスに電子計算機室が設置されていた. 実際は九州大学大型計算機センターの汎用計算機の端末室であり, そこへ行ってカードリーダーにプログラムやデータカードを読み込ませれば,専用回線を通して九大大計センターの汎用計算機が利用できた. 計算結果は15インチ幅のラインプリンターに出力,印字された. これでも無いよりはましで,九大に日帰り出張する必要がなく重宝したものである. 研究のスピードもその程度に同期していたといっても過言ではない.
その後, 熊大にも情報処理センター(後に総合情報処理センター)が開設され, 学生の情報教育も実施することになった. ところが, 当時, 情報処理教育を必要と考える学部は工学部のみ, 工学部といえども一部の学科のみで, 折角設置したパソコン端末も開店休業の有様であった. そのような状況であったため,薬学部が他学部に先んじて利用したいと申し入れところ, たいへんな歓迎を受けた. 全学施設とはいえ, 工学部の持ち物といった印象が強く, 教員のはけ口と思われていたことを考えると納得できる.
しかし, 薬学部が利用するまでには, いくつもの困難を克服する必要があった. 新規に開講するわけにはいかず, 既開講の医薬品情報学を情報処理学に変更してもらった. また, 過密カリキュラムの中で, 学生はキャンパス間を移動させねばならないため, その前後に講義を入れられず工夫が必要であった. 熊大では,1,2年次の教養教育は黒髪キャンパスで行われるため, 学生の多くは近くに宿所を構えているのを利用して, 午後の時間帯に開講し, そのまま帰宅できるようにしたが, 昼食後の眠くなる時間帯のプログラミング演習は一部の学生にとってはストレスだったようである.
このような形態での演習は, 医学部地区のパソコンを利用した期間も同じであり, 台数の関係で1日に同じ実習を二度行う必要があった. 薬学部に独自のパソコン室ができたのはそれから数年後の話であり, 富士通のネットワーク構築費用大幅値引きのお陰であることを記憶している人は少なくなっている(1億円以上の実質的な寄付であった).
崇城大学薬学部開設にあたり, 情報教育は総合教育の標準的な内容で予定されていた. そのため, 実習(演習)様式が本学パソコン室利用方式であると聞かされた時は驚いた. さっそく異議を唱え薬学部独自システムの導入を要請したが, それにはこれまでの経験がたいへん役に立った. 設計図が仕上がった時点で聞かされたため, 元々講義室が予定されているところをアクセスフロアに変更しパソコン室に変えてもらった. そのため, 入学定員の半数程度しかパソコンが設置できず, 2回開講方式を余儀なくされ今も続いている.共用試験のCBTも2回実施しなければならないが, それを改善するには建物の増築が必要であり, 情報教育担当教 員の苦労は当分続きそうである.
[一言] 情報処理教育に精通した教員が, 初めから薬学部校舎の設計に関与しない限り, 同じようなことが繰り返されることだろう. 家は二度建てないと満足しないと言うがまさにそのとおりである.