福井謙一教授は,1952年に「フロンティア軌道論」を発表し,1981年にノーベル化学賞を受賞した.それから30年が経過した.
この理論をずっと研究・教育に利用してきたため,どうなっているのか気になっていたので普及状況を調べてみた.なぜ気になったかというと,薬学6年制教 育のためのコアカリキュラムからこの理論が消えているからである.すでに当り前になった理論であるので,到達目標として項目を設ける必要はないというので あれば問題はない.ところがまったく逆である.コアカリキュラムの中間バージョンでは有機化学領域に教えるべき項目として「フロンティア軌道の説明ができ る」という記載がある.ところが最終(最新)版では消え,相変わらず古典的電子論(曲がった矢印理論?)が到達目標になっている.
在職中に実務系の教員が,フロンティア軌道論は薬剤師には必要ないと言ったという噂を聞かされたことがあった.その時は高等専門学校でも教えていることを受講学生に説明し納得してもらった.
情報公開が叫ばれる中,全国の大学のシラバスがネット上に公開されているので調べてみると,「フロンティア軌道論」を教えているところが増えているのに 驚いた.この理論に対応しなかった老教員が定年を迎え世代交代が進んだためか,若い化学系教員は教えているようである.中には物理化学で教えているところ もある(福岡大学薬学部).大学院等で構造活性相関と絡めて教えているところもある.パソコンで簡単にフロンティア軌道を図示することが可能になったこと も一因かもしれない.薬学部の場合,新設の私立大学薬学部や薬科大学は国立大学定年組が多く,対応が遅れている可能性が高い.
フロンティア軌道論はパソコン等を用いることなしに単純明快に化学を語ることのできる理論であることを指摘しておきたい.
ところで,薬剤師国家試験の後に,その年の出題内容に対するアンケートの集計結果が回ってくる.ある私大の教員は,ちょっと理屈っぽい問題になるといつ も決まり文句を書いている.それは「薬剤師の教育には必要ない知識」というコメントである.創造力のある医療従事者を育てるには原理を理解する能力の付与 が必要ということで薬学教育の改革が始められたはずであるが,今後が心配である.フロンティア軌道論でしか解釈できない反応,たとえばDiels- Alderは教えるように指定されているのにその原理は,教える必要がないと言うことであろうか.フロンティア軌道論では,芳香族性(安定性),熱で分解 し易い薬物,光で分解する薬物など簡単に予想できるのだが,国家試験予備校では,多くの科目と同様に暗記もののひとつであるらしい.6年制の国家試験では 暗記に頼る知識では合格しない方策がとられるとのことである.従来の予備校に依存した教育に傾きかけている大学には通用しないような出題を期待したい.
[一言] フロンティア軌道論に関しては,開講を疑問視されたことを以前にも触れた.現在,5年生は実務実習が修了し卒論研究に入ったが,6年制の予備校化が指摘されているので,再度取り上げた.
(平成22年12月27日)