被災地や原発などの状況が連日報道されている.ところが,最近見るのも聞くのもいやになった,
人心を惑わさないための苦心の末の表現かもしれないが,数値が増えても言うことはい つも同じである.テレビの映像も目新しい情報がないためか,繰り返し放映が多すぎる.特集と言えば,評論家,専門家,コメンテーターは政府の対応の遅さや 不備を人事みたいに批判するばかりである.さらには,以前出演したゲストが同じことを繰り返し言っている.言い過ぎかもしれないがコマーシャル自粛で繰り返し聞かされ何となく嫌になった「ACジャパン」の広告と同じ存在である.
いち早く被災地に乗り込んだ人が悟りきった顔で,被災者は極限まで頑張っているの で,気軽に「がんばれ」とは言うべきではないと主張していた.そんなことは言われなくとも分かっていることである.それ以外に表現のしようがないのであ る.「がんばってという言葉しかない」ことを理解してほしいと説明したほうが早道である.
「がんばれ」と言うとプレッシャーと感じストレスになる人もいるのは事実である。 そういう人には,「無理しないで」,「気楽にね」とか言うべきと主張する人もいるが,その場の雰囲気,前後の会話や表情が加味された「頑張って」はスタジ オの議論の場のそれとはまったく異なるばずである.
この議論,大学でも教務委員会,教授会などで毎年繰り返されている.少子化により大学は全入時代であるため,年々学力が低下し, 専門教育の中身を理解できない学生が増えてきた.そのため,入学後の定期試験で成績が低迷し,落ち込む学生がかなり見られるようになった.薬学部の場合,国家試験や就職後のことを考えると,その子たちに「気軽に」とは言えない.無理をしても頑張れという以外にない.
「頑張れ」としか表現のしようがないことを知ってほしいものである.けっして,無神経に傷つける意味で言っているわけではない.
[一言]同じ放送局のニュースや大震災関連番組で「頑張ってください」という言葉を使っているのを数々見聞きした.