高柳重信関係 蕗子エッセー

そのぽん

そのぽん

高柳 蕗子


母には四種類あるのをご存知だろうか。義母、継母、養母、実母である。

私にとって「そのぽん」はこのどれでもなかった。「そのぽん」とは、パパの奥さんの、中村苑子さんである。この話には、ちょっと長い説明を要する。


パパは俳人の高柳重信。すごく明晰な人だった。判断を仰げば、即座に、子供にもわかる言葉で、適切な答えを示すことができた。

「パパって何でもわかっちゃうの?」

「うーん、何でもじゃないけど、判断は相撲の行事のように素早く正確じゃなきゃいけないんだよ」

パパはこの能力をとても大事なことだと思っていた。そのためには、嘘をつかない、赤信号を渡らない。キセルのような小さな悪事も自分に許さない。自分の都合でルールを緩めて小さな疚しさをかかえたら、大きな悪事に対して正しい判断を下せなくなるからだ。そんなパパが返事に困ったことがある。

私が十歳のときのお正月のことだ。何の気なしを装って、前から気になっていたことを口に出した。

「なぜママは帰って来ないの」

パパは返事ができなかった。そのぽんにも緊張が走って、「それでもかまわない。自分はどこかにいなくなる」と、わけのわからないことを言い出すではないか。

この二人の大人のいつにない反応には、ひどくめんくらった。口に出したらこんなふうなってしまうほどの重大なことがあったのに、なぜ私は、その重大なことが何だかさっぱりわからないままなのだろう。

「そのぽんはどこにも行かなくていいよ。ママを呼び戻して四人で暮らそうよ」

と言って泣きだした。そのぽんも黙ってしまった。そのまま話はうやむやになった。

続きはなんと翌年のお正月だ。加藤郁乎さんが来ていて、すごく酔っぱらっていた。私が「そのぽん」と呼ぶのを聞きとがめ、「ちゃんとお母さんと呼びなさい」と言い出した。

そうだったのか。加藤さんから見ると、そのぽんはママに代わる立場なのか。これでやっとはっきりした。そのころママは、何があったにせよそれを振り捨てるように、絵かきになると言ってニューヨークに行ってしまっていた。私とパパとママという組み合わせがもう完全に壊れているということは、それなりに察してはいた。ただ確証がなかったのだ。

しかし、呼び名については承服できない。

「パパ、ここにいなくたって、私のママはずっと私のママなんでしょう」

パパはまた答えられなかった。そのぽんも言葉がなかった。酔っぱらいの加藤さんだけが、しつこく「お母さんだ、お母さんだ」とくりかえしている。

「お母さんはひとりいればいいでしょ。そのぽんをお母さんと呼んだらウソでしょ。そのぽんはおもしろいおばさんで、私は好きだから、そんなウソをついて親子のふりをする必要はないでしょ」

加藤さんのどんよりした目の奥に向かって、けんめいに説明した。そのどんよりに、言葉は確かにしみこんだ。そこでパパを振り返って、

「そうでしょう、パパ。そうだよね」

と強く確認した。パパはついに、

「そうだね、それでいい」

と言った。

このとき、そのぽんは、「いかなる母にもあてはまらない人」に確定したのである。そのぽんとふーちゃんは、役柄や立場に関係なく一対一だ。以後ずっと、ごく自然にそれを通してきた。

パパは二回も返事に窮したわけだが、それは、離婚やらなにやらが疚しかったわけではないのだ。そのことなら説明はできただろう。言葉にならないのは、大人の都合で子供に悲しい思いをさせてしまったことが辛いせいだった。すらすら弁解などできようか。

一回目は分からなかったけれど、二回目には、パパが口をきけないのは辛いからだと感じられた。ゆえに、私にとってこの場面は、自分の考えを客観化して、大人を説得できる言葉で表し、大人の都合というものに一矢報いもし、たぶんその分、パパを少し救いもしたであろう、記念すべき思い出なのである。

ところで、そのぽんとママは、全く違うタイプだった。そのぽんの女王みたいな威厳あふれるかっこよさに対して、ママは天真爛漫で、エルフみたいな子供っぽさが魅力だった。

愛らしいママだったが、ひとつ欠点があって、奇妙な嘘をつく癖があった。はたから見ると何のためかわからない嘘をつく。その嘘は、自分の内側にしか根拠がない。みんなと共有する客観的現実世界の中ではどうでもいいとしか思えないことを、嘘をついてまで変更する。

そして、おもしろいことにそのぽんにも、ちょっと似たようなところがあった。普通の人は自分の思い込みなどを現実に合わせて修正する。ところがママとそのぽんは、現実の方を、自分の内面世界に合わせて修正しようとする傾向があった。ママもそのぽんも、要するに「本当の世界」を相手に、一対一の勝負をしているようなものだった。今思えば、これがパパの好みの女性だ。パパは嘘の嫌いな正義の味方だったが、こういう種類の特殊な嘘に、興味深いエネルギーを感知したのかもしれない。

そのぽんが何か話すと、たとえ全部事実で筋が通っているとしても、微量の嘘が含まれている感じがしたものだ。そしてそれは、私をだますというより、もっと大きな世界とかけひきをしているみたいだった。

世界はさておき、私にばれてしまうようでは心もとないが、世界とのかけひきが「嘘」になるのは、往々にして、根源的な「世界」でなく、矮小な人間の「世間」を、まちがって相手にしちゃったせいなのだ。そうなってしまったのは、人間的弱点を人並みに持っていたからである。それは表層のことで、本来は、一人で世界と対等になる他ないほど孤独な精神構造を持った人、世界を相手にかけひきせずにいられない、なにやら制御できないものを内に抱え込んだ人だったと思う。子供のときにそこまで考えたわけではないが、そんな孤高の気配が、孤独ではひけをとらなかった当時の私に、対等者だという奇妙な親しみを呼び起こしたのだ。

その魅力的なブラックホール(対等者として無作法だし、興味もないので、理由をさぐったことはない)を除けば、そのぽんは暗いところのない理知の人だった。そんじょそこらにいない手ごわいおばさんでもあった。おいそれと心を開かないし、人に開かせようともしない独特の距離のとりかたは、一種の作法であったと思う。

そのぽんは、おもしろい言葉を発するのが得意だった。マージャン牌を「えーい」と目をつぶって引く。それから片目をあけて見て「あらまそっつんこっつん、困りつるかめ」なんて言う。「そのぽん」という呼び名がどのように決まったかは覚えていないけれど、たぶんマージャンのノリで、そのぽんが自分でつけたものだろう。そういえば、ライオンと豹の子供のレオポンというものが話題になった頃だった。「ライオンでも豹でもなく、この世界に同種がいない一匹だけのレオポン」に、そのぽんが特別な親近感をおぼえたということもあり得る。

そんなそのぽんだから、母でもなんでもないただの「そのぽん」で付き合おう、というあのときの私の提案を、けっこう気に入ってくれていたに違いない。世の中の人は「平等」や「公平」ばっかり気にして、そのぽんのように「対等」を理解する人は、とても少ない。

(2001年3月「俳句」角川書店掲載)