眠れない人たち

♥本日のお気に入り

ねむれない夜のためここに椅子ありて息長人のわれを坐らす

ルビ:息長人【おきながびと】

小島ゆかり『憂春』2005

ねむれずにゐるきみのなか海老いろの癌はうごくかだいなみつくか

渡辺松男 『雨(ふ)る』2016

眠れずにいる星の夜はヴェポラップ塗られた胸をはだけたまんま

飯田有子「かばん新人特集号」1995

ねむれないひとりのおっかさんのためみんなみんなねむっておしまい

佐藤弓生『薄い街』2010

★上記1首目は神事の呼吸っぽさが良い

「息長人」という語の効果で、〝神事みたいな呼吸〟を思わせる。

「息長」は地名、または古代豪族の姓、あるいは長く息を吐く呼吸法の名称。単に長い息という意味で用いる例もある。

歌は、眠れぬ夜に椅子で深呼吸をしている場面。 「眠る」ことも「息をする」ことも通常は意識する必要なくできる基本行動だが、「眠れない」ときに意識的に長い息をし、そのための椅子まであるということ、加えて 自分を「息長人」という呼称で呼ぶということで、なにやら神事めいてくるのだ。

「眠れない」ということが、「息長人」という巫女に与えられた特殊任務みたいに描かれていて、そこはかとない厳粛なユーモアが漂う歌だ、というのが私の解釈と感想。

★2首目はぶっとび。

これはすごい。痛みで眠れないという歌は、ありそうでこれしかなかった。「海老いろの癌」もすごいが、結句「だいなみつくか」にうちのめされる。これはなかなか思いつかない展開だ。

3、4首目はコメントは不要だと思う。

■このごろスグ眠れちゃう……

★眠れなくないのってさびしくない?

以前は眠れないことがしばしばあった。

自分自身のうるささが原因だった。

考え事が次から次へと湧いてくるだの、寝入りばなに怖い夢をみるだの、

頭のなかで大音響がして幾度も目が覚める(脳内爆発音症候群)だの。

ところがこのごろ、ちっとも、眠れなくない。(笑)

それってちょっとさびしい……。

少しずつ眠れぬ夜は減ってゆき気づけば一人ぼっちの羊

中畑智江『同じ白さで雪は降りくる』2014

そうそう、そんな感じ。

■眠れない理由あれこれ

さいしょは一般的な理由。そしてだんだん……。

★気になる音

とこしへと響く瀬の音に紛れざるあはれ虫が音に眠れなくなる

高安国世 『真実』1949

★足が冷たい

爪先の冷えてねむれず読み継ぎぬ

篠原梵『年々去来の花』1974 (俳句)

★湧き出てくる思念

耳を切りしヴァン・ゴッホを思ひ孤独を思ひ戦争と個人をおもひて眠らず

宮柊二『山西省』1949

**この字余り口調がいかにも眠れないときの思考ですねぇ。

★発熱

氷嚢の下より

まなこ光らせて、

寝られぬ夜は人をにくめる。

石川啄木『悲しき玩具』1912

★思い出が多すぎる?

思い出が多すぎるから眠れない最終手段「生きる」を選ぶ

辻井竜一 『遊泳前夜の歌』2013

★手料理を思い浮かべている?

女の手の菜の花料理うちふかく黄を咲かしめて真夜を眠れず

ルビ:女【ひと】

大塚寅彦 『夢何有郷』2011

★かなしみを絞めあげる

かなしみを締めあげることに人間のちからを尽して夜もねむれず

前川佐美雄 『植物祭』1930

★バラの香のせい?

薔薇の香の紛々として眠られず

ルビ:紛々【ふんぷん】

正岡子規(俳句)

★海と連動?

冬の夜や海ねむらねば眠られず

鈴木真砂女(俳句)

★月のせい?

眠られぬ月光が耳浸すゆゑ

松王かをり(俳句)

月ふるえ眠れぬ全身鼻唄なの

田島健一 『素朴な笛』(電子書籍)(俳句)

★自由のせい?

果てしない自由です眠れなくなる

南山藤花 (川柳)

★星を見るため

「眠れない」でなくて「眠らない」理由ですが。

きみはいづこの海わたりゆく帆かけ星こよひみむとて眠らずありき

ルビ:帆【ほ】

山中智恵子 『星醒記』

★その他いろいろな理由

「◯◯だから眠れない」という形は特に川柳に多く見られ、内容も川柳はおもしろいものが多いと思った。

金魚の水新しくして眠られず

寺井谷子(俳句)

発光の仕方忘れて眠れない

きさらぎ彼句吾 (川柳)

ケチャップの蓋が重くて眠れない

さざき蓬石 (川柳)

群青のこだま零れて眠れない

さざき蓬石 (川柳)

鏡のなかが賑やか過ぎて眠れない

海地大破 『現代川柳の精鋭たち』2000

瞳が君をだきしめるから眠れない

工藤比呂美(川柳)

楕円形になりそうだから眠れない

坂本勝子(川柳)

■「眠れない」が川柳では特に人気らしい


★定形短詩においてはすべての語が題詠を募集中である

まだ途中だが、川柳の元気さには驚いた。

どのぐらい意識されているか知らないが、川柳では「眠れない」は常時募集している題詠みたいなもので、ずっと競作しているのだと思う。

いや、それを言うなら、すべての語は常時募集の題詠なのだ。が、流行がある。

人気語は大勢が無意識に詠んで、すごい勢いで詠み重ねているまっさいちゅうだ。


★短歌俳句川柳などの定形の短詩は

参加したくなるもの。参加しないと淋しいものだ。

定形の短詩は、「読者」にとどまらず、「作者」になって参加したくなるものだ。

その理由のひとつに、言葉たちが「あなたも参加しませんか」と誘う、という面がある。

「われこそ」と競うほど意欲や野心がない人でも、自分も参加したい、しないと淋しい、と感じて、歌や句を詠む。言葉ってそういう参加型のものなんじゃないかな?


★無意識題詠でヒートアップ

話が前後するが、「眠れない」は川柳ではすごく好まれているネタである。

「すごく好まれる」といってもそれは、「大抵の作者が一生に一、二回は詠む」程度。

だから「好まれている」と意識はされにくい。

が、ジャンルの中ではヒートアップしていて、そうとうぶっ飛んでもOK状態。 もはや手当たりしだい眠れない、と言ってもだいじょうぶかもしれない。(笑)

新しい傘に買い換え眠れない

堤文月 (川柳)

アンパンマンが飛んでいるので眠れない

田中博造 (川柳)

よういどん点取り虫は眠れない

渡辺貞勇 (川柳)

あなたは「眠れない」をどのぐらいぶっ飛んで詠めますか?(笑)


★定形短詩の無意識題詠=最善の組み合わせをみんなで探す

人の形で眠れない

「眠れない」のなかでもさらにコマカイ流行があって、「人の形で眠れない」というフレーズは、川柳でひっそり流行※しているかもしれない。以下の二句を発見した。

※「ひっそり流行」とは、数年に一度誰かが詠む程度。


揺れ過ぎて人の形で眠れない

ひとは(川柳)

寂しくて人の形で眠れない

福井陽雪(川柳)


こういう一致は、本歌取りのように意識して詠まれる場合もあるだろうし、全く別々に同じ発想をすることもあるだろう。それはどっちでもいい。

いつのまにか こういうふうに詠み重ねていくことが、結果として、「人の形で眠れない」というフレーズに何を冠したら極めつけの句になるのか、みんなで探していることになるのだ。

あなたなら何を「人の形で眠れない」の上に冠しますか? 5音ですよ。

◯◯◯◯◯ 人の形で眠れない

おもしろそうでしょ? この題詠に参加したくなりませんか?

■眠れないときにすること

不眠状態の描写

さて、続き続き。

★風の音が会津弁だった!

眠られず聞く風音のびようびようと夜半をすさまじ会津口なる

ルビ:会津口【あひづぐち】

宮柊二 『緑金の森』 1986

**会津口って会津方言のことかな、と私は解釈しています。(まさか違う??)

★ゆったり神事のごとく呼吸する

ねむれない夜のためここに椅子ありて息長人のわれを坐らす

ルビ:息長人【おきながびと】

小島ゆかり 『憂春』2005

**この歌は冒頭に置き、鑑賞も書きました。

★自分の影を見る

ねむれない冬の畳にしみじみとおのれの影を動かしてみる

山崎方代『こんなもんじゃ』 2003

★ブルドーザーを洗う

眠れない夜はバケツ持ってオレンジのブルドーザーを洗いにゆこう

穂村弘 『シンジケート』 1990

★墨汁を飲む(良い子はまねしないでね)

眠れない夜は 墨汁をゴクゴク飲む

中村冨二『千句集』1981(川柳)

★鏡の中の自分の眼を思い浮かべる

おそろしき鏡の中のわが目などおもひうかべぬ眠られぬ夜は

長塚節

★歌を詠む

わが歌はアダリンきかずいねられぬ小夜更床によみにける歌

ルビ:小夜更床【サヨフケドコ】 ※アダリン=催眠薬

中島敦 『中島敦全集』第三卷1949 「和歌でない歌」

★あなたを噛む

また眠れなくてあなたを噛みました かたいやさしいあおい夜です

東直子『青卵』2001

★長い駅名を教わる

眠れない夜にきみから教はつた世界でいちばん長い駅の名

秋月祐一 『迷子のカピバラ』2013

★汽笛を生む

眠れない指が汽笛を生んでいる

まみどり(川柳)

★身体がこわれる? 変身して錆びる?

眠れない夜骨はぱき ぱきと折れやさしい形になりゆくばかり

平井美奈子「早稲田短歌」44号 2015・2

眠らずに海鼠となり

★彼女の中身に触りたい

眠れない夜は彼女のなかみにも触つてみたいつまり寂しい

西田政史『ストロベリー・カレンダー』

★象の皺、冬の滝?

ねむれずに象のしわなど考へる

阿部青鞋(俳句)

ねむれねば頭中に数ふ冬の滝

赤尾兜子(俳句)

★なぜ作業服?

眠れない夜に着て寝る作業服

笹田隆志

** 不眠ということが、自分に与えられたタイヘンな仕事のようだから、なのかな?

■不眠の効用…

「眠れない」は「起きている」とは違う

普通に「起きている」状態と「眠れない」状態とは別物だ。

後者は、例えば他者の夢にリンクできる、といったフシギ能力を帯びる。

うそー、ほんとー?(゚∀゚)

★不眠状態で他者の夢にリンクする?

眠られず君は寝がへりうちゐるかわが夢の面のときに波立つ

ルビ:面【も】

横山未来子 『樹下のひとりの眠りのために』1998

眠れずに青い魚になった夜泳いで泳いで君の夢まで

柴田瞳

★不眠状態で開花するフシギ能力

「眠れない」状態には、普段なら超えられないところを超えられる、とか、通常なら思いつかないことを思いつく、といった効用を期待できるみたいである。

ほら、高浜虚子でさえそう言ってる。

眠れねばいろいろの智慧夜半の冬

高浜虚子

眠れない夜をほどいて渡る川

しろつめあきこ 『やさしい雨』2014(川柳)

ねむたくてねむれぬ指で打つキーの音の先には詩が待つてゐる

大西久美子 『イーハトーブの数式』2015

■不眠状態って描写したくなるの?

★不眠状態の描写

やはり「起きている」のとは異なるからなのだろう、「眠れない」状態自体が詩情をかきたてるものみたいだ。

不眠のわれに夜が用意しくるるもの蟇、黒犬、水死人のたぐひ

中城ふみ子 『花の原型』 1955

がうがうとみづ音のして真夜中を川太くなる眠れぬ耳に

花美月 『かはうその賦』2015

ふくろふはふくろふでわたしはわたしでねむれない

種田山頭火 (俳句)

眠れぬ夜萬の蛙の暗黒と

鈴木六林男 (俳句)

羊羹のように眠れぬ夜のこと

野間幸恵 『WATER WAX』2016(俳句)

ねむれぬは死なれぬごとし桜冷え

鳥居美智子(俳句)

霧のイスタンブール回遊魚となる 不眠症

おおしろ建(俳句)

ねむれぬ夜端々ひかる梅の枝

佐藤鬼房(俳句)

日の丸の余白に立って眠れない

むさし (川柳)

不眠症カニと一緒に入る風呂

北山まみどり(川柳)

不眠症百分率がのしかかる

堤文月(川柳)

眠れない野が剃刀を研いでいる

田中博造 (川柳)

実を結ぶからだの芯が眠れない

田口文世(川柳)

身の裡の冬芽ひとつの不眠症

北野岸柳 (川柳)

眠れぬ夜熱帯雨林現われる

谷口幹男(川柳)

**さっきも書きましたが、ほんとに川柳の人は「眠れない」が好きだなあ。

■不眠で朝を迎えることにも抒情が?

★古典時代に培った抒情

古典の恋の和歌で夜更かしするといえば、たいてい恋人を待つ歌だ。

皆人を寝よとの鐘は打つなれど君をし思へば寝ねかてぬかも

笠女郎『万葉集』

そして、「来てくれないあなたを待ってたら夜が明けたわよ」的に恨みっぽく詠む。

やすらはで寝なましものをさ夜ふけて傾(かたぶ)くまでの月を見しかな

赤染衛門『後拾遺集』

こういうふうにして、朝まで起きていることが抒情的シチュエーションの一つとして確立したみたいだ。

今も「眠れない」ということ自体に、単なる事実を超えてかすかな抒情の付加価値があるみたいな感じがするのは、古典和歌の名残も手伝っていないだろうか。

「眠れないまま夜が明けた」と書けば、ただの寝不足にもほのかな詩的価値が付加されやしないか。

むろん、先に書いたように「眠れない」には、寝不足というマイナスがあるにもかかわらずフシギな能力の開花を期待できる、という理由も大きいが、それ以外にも、古典和歌が培った抒情的価値の影響も少しはあろうかと思うのだ。


不眠の夜明けて茫々たるわれに犬捕りの針金がみづみづし

塚本邦雄 『日本人靈歌』1958

一晩を眠らずあれば震へだす指を鎮めつ「閉」のボタンに

光森裕樹 『鈴を産むひばり』2010

**これ、徹夜のあとエレベーターに乗り、力の入らぬ指でボタンを押している場面?

来るなんて言葉信じてゐなかつた 眠れぬ朝の抜け殻の月

新井蜜 『月を見てはいけない』2014

快くめざめて聽けと鳴く蛙ねられぬ夜のあけにのみきく

長塚節

眠れずにきつく閉じれば明け方のまぶたのうらに何も映らず

堀合昇平 「詩客」(ネット)20131101

不眠の朝牡丹の赤芽法華の鼓

鈴木六林男(俳句)

■個人でなく世間や社会が眠れない

★風刺系の「眠れず」

「眠れない」のイメージ領域の一角には社会風刺が存在する。

その始まりはたぶん、幕末のこの落首だろう。

太平の眠りを覚ます上喜撰たった四杯で夜も眠れず

和歌といえば、室町時代あたりから連歌俳諧に人気を奪われ、教養として学ばれはしたが創作意欲はあまり注がれなくなった。近代に至って新たに開花した。

--と、学校では教わったが、しかしその空白みたいな時代に、狂歌や落首というジャンルはとっても盛んだった。つまり短歌形式は健在だったし、それまでと傾向は違うが創作意欲もちゃんと注がれていたのだし、それなり功績があった。


「太平の眠りを覚ます」の歌の「眠れず」は個人の話でなく、世間の不安と興奮をあらわしている、という意味で、やや特殊な用法だ。風刺歌が人口に膾炙したことで、私たちはこの特殊な「眠れず」を獲得したのだ。

(「私たちは獲得した」とは、多くの人に意味がわかるほど共有しているという意味。)


そういうわけで、個を超えた不眠というのも、次のように、「眠れない」のイメージ領域の一角を占めているのだ。

時代痩せてねむれぬわれら繊すぎる三眠蚕の糸のごと増ゆ

ルビ:三眠蚕【さんみんさん】 ※三眠蚕= 3回脱皮したのち繭を作る蚕

松本典子「かりん」H22/11

きっとまた眠れない日の世が覚める前戯の如く真っ黒い海

青井硝子 「早稲田短歌」 44号

月を研ぐ音たえずしてわれのいる天上天下みな眠られず

青柳守音

いくつもの神話夜空が眠らない

織田寿(川柳)

かごめかごめ敵がいないと眠れない

前田まえてる (川柳)

★不健康な活況を表す「眠らず」

「眠れず」でなくて「眠らず」ならば、「不夜城」というのもある。

夜間も明るく照明を灯し続けて賑やかな建物や繁華街。活況ではあるが自然にさからう不健康・不健全なイメージを伴う。

(「不夜城」は中国山東省にあった古代都市名でもある。夜も日が出たそうだ。)


眠らないのは人でなくつて街ですねあの紅灯も水銀灯も

山階基 「早稲田短歌」42号 ※第58回角川短歌賞予選通過作改稿

眠らないままでいるからすくなくとも今世紀は鋏でくりぬく苺のかたち

瀬戸夏子 『かわいい海とかわいくない海 end,』2016


★剥製や人形の目

「眠れない」「眠らない」ものとして、作り物の目を詠む歌句が、少ないけれど一定数あるようだ。

これは、社会批評まではいかないが、生きものでない目が長期間見守りっぱなしでいる、という意味あいを持つ。

百年間眠らず光りし剥製のエゾオオカミのガラスのまなこ

森尻理恵

夜の木馬凍てて眠れぬガラスの眼

堀井鶏

■うつ系の「眠れない」

★死をやすらぎと感じる

以前は、眠れないという歌で特に理由の限定がなければ、個人的な感情のたかぶりかと曖昧に受け止めておけばよかったと思う。

しかし、うつ病の症状のひとつに「夕方から自己嫌悪が強まりだし、夜は不安や焦りや落ち込みで眠れず生きるのが辛くなる」というのがあるそうだ。

そんな心境では、死がやすらぎに見えてしまう場合があるかもしれない。

そのように露骨に書くのはためらわれるが、婉曲に、死をやすらぎと捉える作品がごくたまにあるようだ。

たまにしかないのは、さすがに「死がやすらぎに見える」とは書きにくくて、なんらかの抒情を借りて、そらしてしまうからだと思う。

惜しまれるうちに死にたい真昼間にねむれないまま目を閉じている

佐伯紺 「歌壇」2014/2月(第二十五回歌壇賞)

(推奨するわけではないが、実際そういう気分ですごす人が多いなら、なんらかの形で言葉で表さなければ、対処もできない。コトダマ作用は、言葉であらわすことは実現の方向にプッシュするから、みだりに表現できないが、かといって、黙殺すれば抑えられるわけでもない。)

■不眠と海には何か関係があるの?

★なぜ海が出てくるの?

海鳴りをこんなに聴いて育つからここのキャベツは不眠に効くね

法橋ひらく 『それはとても速くて永い』

冬の夜や海ねむらねば眠られず

鈴木真砂女(俳句)


不眠と海は、イメージのどこかで関わりがあるようだ。

今は、月とか海とか、自然との関わりで不眠を詠むこと自体がやや廃れてきているが、形を替えて、自然物でないものに接続先を変えるなどして詠みつがれる可能性がある。

■羊ネタ

「眠れない」といえば「羊」である。短歌などにもよく出てくる。「眠れない」を詠む歌句の中の3%ほどを占める。

(さっきあげた「ねむれねば頭中に数ふ冬の滝 赤尾兜子」は羊の変形だろうか?)


江戸時代以前の日本には羊がいなかったらしい。

眠れない時に羊を数えるのは日本の風習ではないようだし、語感から見ても、英語なら 1 sheep,2 sheep と心地よく呟けて、 しかもsheepはsleepとも似て催眠効果もありそうなのに対して、日本語の「羊が1匹、羊が2匹」は唱えにくくて、眠くなににくくないだろうか。

にもかかわらず、詠まれるのである。

一部重複になるが、羊が出て来る歌句をあげておこう。


少しずつ眠れぬ夜は減ってゆき気づけば一人ぼっちの羊

中畑智江

不眠症羊が柵を出てこない

北野岸柳 (川柳)

不眠症苦笑いする羊たち

三浦ひとは(川柳)


羊の群れ数え終りて眠れねば一匹二匹と殺すほかなし

久々湊盈子『鬼龍子』2007

眠れなくて羊を一匹ずつ殺す

定金冬二『無双』(川柳)


ディズニーの映画だったか、テレビの「ポパイ」か「トムとジェリー」だったか、かなり幼いころに映像で見た記憶がある。

睡眠用の帽子(あの帽子はアニメでしか見たことがない)をかぶってベッドによこたわり、顔の上を飛び越える羊を数えている。あれは印象深かった。

そういうふうに間接的に得た知識〈眠れない→羊を数える〉を、私たちは共有しているのだと思う。


で、羊ネタは、知識に基づくものであるためか、説得のみちすじが理屈っぽい。

理屈による説得は通りにくいものだが、ワザを使う楽しみがある。

たとえば中畑の歌は見事なヒネリで読者を巻き込んでしまう。北野の川柳も、いつも数えている羊たちが嫌がってストライキしているかのようなウイットで、不眠症の深刻度伝えてくる。三浦の句も似た着想だ。


もうひとつ、理屈っぽいネタは〝極論する〟のも一つの手である。

久々湊の短歌、定金の句が、どちらも「殺す」に言及していることに注目した。

羊を寝かしつけるとか、エンドレス羊とか、ありそうだと思ったが見つからなかった。

■その他、注目した歌

透きとおる部屋、透きとおるわたしたち眠れる眠れないどちらかが

田丸まひる 『硝子のボレット』2014

**シーソーみたいな関係。いや、透き通っている二つが砂時計みたいにくっついて砂でなく「眠り」をやりとりしている感じ?

眠れなかった弟のためにマックの朝食を買う 影絵みたいなバーガーを

千葉聡

** 「眠れない弟に影絵を見せてやる」という話なら了解されやすいのだが、「眠れなかった弟」の朝食に「影絵みたいなバーガー」ってどうなの、と思ってしまう。

でも、「影絵みたい」だからバーガーを買うわけではないだろう。買いながらふと「眠れない弟に影絵を見せてやる」というありがちなシナリオが起動し、「影絵みたいなバーガー」という思いがよぎる。

そういうことが、頭のなかでしょっちゅう起きていないか? 頭のなかの出来事としてはとってもリアルだ。

このように、自分が意識して考えるのでなく、シナリオが起動してひとりでに考えてしまうことがある、ということもこのごろ少しずつ共通認識化してきて、歌の書き方にも反映しだしていると思う。


春ながら夜ごと空ゆく風さきをうつらねむらず眉しろき猫

北原白秋 『橡』1943

**「うつらねむらず眉しろき猫」はどう解釈したものか。猫の眉は白くてふつうじゃないか、と思わぬでもないが、人であれば白い眉は老人だし、眉といえば顔の中では知性の指定席っぽいし、猫はあれで覚醒時はマジメでかしこい表情をしている。

この歌では、そういう猫のまなざしが、「風のさき」、すなわち未来を見るみたいに賢く老成しているみたいだ、と言いたいのかもしれない。 と、そう私は解釈してみたが、どうなんでしょね?


★そのほか、おもしろいと思っている歌。コメント省略。


発熱する君かねむれぬ雨の夜に金魚のにほひふとたちきたる

永井陽子『樟の木のうた』1983

不眠の天使さまよひゐるべし小さなる黒菫の束あるあたり

葛原妙子 『原牛』1959

ねむらないただ一本の樹となってあなたのワンピースに実を落とす

笹井宏之 『ひとさらい』2011

白い手にベトナム麺を押しつける眠れぬ夜に食べてください

柴田瞳

鳥たちがようやく騒ぎ始めてもあなたはいつも眠らない島

岩尾淳子 『眠らない島』2012

檻ぬれし夜はねむられぬ羚羊に色硝子製受胎告知図

ルビ:羚羊(かもしか)

塚本邦雄『水葬物語』

私のデータベースは、確認と修正につとめておりますが、追いつかないことがあります。

表記の異なるバージョンがあちこちに引用されていることもあるし、作者がアンソロジーに入れる時に改作しておばけが増える、といったこともあります。

というわけで、上記の歌句をどこかに引用する場合は、表記等をなんらかの方法で確認してください。


2019.3.5 高柳蕗子

この項の内容は、2018年2月にFacebookページ「ことばをくすぐれふふふふ」にアップしたものを手直ししたものです。