スキル(コツ、極意、奥義)を、短歌などの定型詩にまとめることがよくあるようです。
このコーナーには主としてスキルを集めました。
具体的な対人スキルの処世訓は、こちらに付け加えました。
※心構え、心の修養のようなものは、教訓・道歌のほうに載せました。
(井口海仙 講談社学術文庫で発見)
釜ひとつあれば茶の湯はなるものを数の道具をもつは愚かな(利休の作といわれている)
茶の湯とは心につたえ眼につたえ耳につたえて一筆もなし(千宗旦:利休の孫)
茶はさびて心はあつくもてなせよ道具はいつも有り合せにせよ(?)
無二無三みがけやみがけ竹茶杓みがき上がれば一物もなし (一燈宗室:裏千家八代家元)
闇夜に霜の降るごとく引け
俳人の高橋龍さんに聞いたもの。龍さんは昔陸軍で、引き金を引くコツをこう教えられたという。
短歌の下の句かと思われたため、上の句を探した結果、定型として完全なものは見つからなかった。
しかし、 「闇夜に霜の降るごとく」というフレーズを含んだバリエーションはたくさん見つかった。
引き金の引き方だけでなく、ブレーキの踏み方や着陸のしかたなどにも、このフレーズが使われる。
手で引くな 心で引くな 闇夜に霜の降るごとく引け
というものなど、感情や緊張を排除して、細心の注意をもって何かを「引く」ときの
心の持ち方のアドバイスである。このように唱えて心を静めることもあるかもしれない。
剣術にも、「闇夜に霜を聞く」という教えがあるようだ。
下記は、元自衛隊員の方から、
射撃訓練の際に先任班長から教わったということで寄せられた情報。 (2003・8・9)
息を吸ったら静かに吐いて、指で引くな腕で引け
秋の落ち葉の散るごとく、闇夜に霜の降るごとく
死ぬな辞めるな 旅行に出るな 離婚届に判つくな
「労働の科学」2004年8月号「教師の精神疾患の予防」(小田晋)という文章の中で発見。
生真面目なタイプの人が仕事などで燃え尽きてしまっている場合に約束してもらう4か条とのこと。
ひどく落ち込んだとき、〝早まったこと〟をしてしまう人がいる。
「野球で言えばファウルを打ち上げたようなもので、ゲーム停止だから」
といって、決定的なことをせずに「待機」を勧めるのだそうだ。
(旅行もいけないのか、と思うのだが、こういうふうに心が弱っているときは危険だそうだ。)
この4か条、都都逸のリズムだ。疲れて落ち込んでいる人の耳にも滑らかに入っていきそう。
やってみて言って聞かせてさせてみて褒めてやらねば人は動かじ 山本五十六
「よぼういがく」2003年3月号 山本晴義博士の講演録「生活習慣病の心理と健康管理」より。
なるほど、口先だけの保健指導では、人はなかなか生活習慣を変えないでしょうね。
軍隊は上官の命令には絶対服従の世界だろうと思っていたが、
地位の高い軍帥さえもがこう言っているのだから、
人間て本当にこういうものなんだろう。
勝負はながきみじかきかわらねどさのみみじかき太刀な好みそ 塚原卜伝
反りのなき太刀をば深く嫌うべし 切手の内のまわるゆえなり 塚原卜伝
いましめの左の肱の動かねば太刀のはやさを知る人ぞなき
東郷重位が師から教わったという歌
教訓歌は、どちらかといえば心の修養、道徳を説くものだが、処世訓は、世渡りのコツや留意点(こうすればうまく世を渡れる)を具体的にアドバイスする。
世にあふは左様で御座る御尤(ごもっとも)これは格別大事ないこと
世にあはじそふで御座らぬさりながら是(これ)は御無用先規*ないこと
*先規は前例。
相槌の打ち方。
「世にあふ」とは、逆らわないことで、相手に逆らうような相槌を打つのは「世にあはぬ」ということ。
『耳嚢』巻一に、ある人から聞いた歌として記してあり、 「たしかにそうだが、これを一概に信じてしまうと不実薄情になる」 とのコメントがついている。
何事もあらそはずして心には油断せぬこそ人の道なれ(細川幽斉)
打ち解けてしたしき人の女なりとも言葉過ぎたるざれ事はすな (細川幽斉)
飲み喰いのツケで不仲になるよりもいつもニコニコ払う現金 ( 飲み屋のはり紙)
赤信号みんなで渡ればこわくない
もとは交通標語かなにかのパロディで、いまでは諺に近い使われ方をしている。
急がずば濡れざらましを旅人のあとより晴るる野路のむら雨
(急がなければ濡れなかったろうに旅人が出ていったあとから晴れるにわか雨だなあ)
よく読むと教訓というよりも、人間の普遍的姿をとらえた歌だが、あわてずに晴れ間を待てという、ことわざに近い使われ方をする。
物言へば唇寒し秋の風
芭蕉の俳句だが、ことわざになり、「余計なことを言えば災いをまねく」という教訓として用いられている。
もともと「座右の銘、人の短をいふ事なかれ、己が長をとく事なかれ」という前書きがあり、教訓的な響きはあるが、句自体は、人の欠点の話や自慢話をするときのむなしい気持ちを詠んだもので、べつに「災いをまねく」とまでは言っていない。
世の中は三日見ぬ間に桜かな
もとは大島蓼太の句で、「(何かの事情で)三日間外出せずにいたら、その間に桜の季節になっていた!」という明るい驚きを詠んでいる。
ところがこの句、「三日見ぬ間の桜」と、「に」が「の」に変わり、「三日見ないでいるうちにも桜がすっかり散ってしまうように、世の中の移り変わりは激しい」という、明るくない意味のことわざとして使われている。
世の中はなにか常なる飛鳥川昨日の淵ぞ今日は瀬になる (『古今集』)
(世の中に何か不変のものがあるだろうか。飛鳥川のきのう淵だった所が今日は瀬になる)
これも「早まったことをするな」という意味で教訓的に用いられることがある歌。