詩歌データベース闇鍋
(旧)
ワン鍋ニャン鍋
レア鍋賞
(2020年ぶんからブログ「ひょーたん」に移行しました。)
目次
ワン鍋・ニャン鍋・レア鍋とは?
レア鍋賞 (3首以下しか詠まれていないレアな単語を含む歌 2018.11~)
ワン鍋ニャン鍋(1首か2首しか詠まれていないレアな単語を含む歌 2018・5~7)
それ以前のワン鍋ニャン鍋
ナイ鍋コーナー(この具材は現在不足しております)
ワン鍋ニャン鍋・レア鍋とは?
ワン鍋・ニャン鍋・レア鍋とは?
データベース闇鍋を使って短歌などを検索していると、「え、こんなフツーの言葉があんまり短歌に使われていない?」と驚くことがあります。
以前、用例が一首しかない場合を「ワン鍋賞」、二首しかない場合を「ニャン鍋賞」として讃え、ご紹介していた時期があります。
「闇鍋」データが少ない頃はしょっちゅう「ワン鍋賞」「ニャン鍋賞」が出ましたが、このごろデータが増えたため、以前ほどには見つからなくなり、三首ある、というケースが増えてきました。
そこで、用例が3首以内しかないレアな単語を使った歌を「レア鍋賞」とし、4首以上でも、普通はよく使う語なのに、そのわりには歌にはあまり詠まれていない、という場合にも、ここにご紹介することにします。
ナイ鍋も
ついでに、一般に使う語なのに短歌にまだ使われていないような単語をみつけたら書き留めておきます。
短歌はまだ幼くてカタコト
短歌という定型詩は、一三〇〇年以上の伝統を背負う円熟した詩型だと思われがちですが、実は短歌はまだ幼く、日本語を使いこなせていない。実はカタコト状態なのです。
日本語の言語活動の現場を見渡すと、短歌はほんの一角を占めているだけであり、そこで使える語彙がかたよっているし、単語レベルで見ても、ある単語に意味がいくつもある場合に、短歌に用いられているのはその一部だけ、というふうに偏っていることが少なくないのです。
短歌は、古典時代から少しずつ、ほんとに少しずつ、使える言葉や意味を増やしてきていていますが、まだまだ「完成された詩型」ではないのです。
安易に敬っちゃダメ!
それなのに、短歌という詩型は、完成されたものとして敬われてしまう面があります。
江戸時代には「歌道」として敬われ、当時の新ジャンル、俳諧や川柳の基礎的教養と位置づけられました。(ゆえに過去を踏襲することが重視され短歌は何百年も停滞した、と学校で習った。)
今でも、短歌に冠する言説において、伝統など、あたかも短歌には堂々とふりかぶる権威があるかのような言い回しを見かけますが、過去の成果がどんなにたくさんあったって、まだまだ足りない。過去を地固めしつつ、あくまで謙虚に、新しいことを取り入れることが大事であると思います。
レア鍋賞
2018年11月~2019年12月
(2020年ぶんからブログ「ひょーたん」に移行します。)
■メンソール
2,019年12月19日 2首だけ。
かきむしる髪から香るメンソール低血圧と言われ続けて
柴田瞳
メンソールリップ あらゆる親しさはかなしいけれど始業の予鈴
船越瑤子「早稲田短歌」44
ハッカと意味は同じでも、ハッカがぴょこんと弾むのに対して、メンソールという5音のひびきは実に厳かだ。つまり、使い道が違う。
※「薄荷」「ハッカ」を検索すると39首も出てきた。
■みりん
2019年9月30日 味醂は3首と1句があった。
わが病めば醤油と味醂の割合のわからぬ君が青魚を煮る
ルビ:青魚(あをいを)河野裕子『歩く』
日が暮れてからの空気も春らしくティースプーンを溢れるみりん
兵庫ユカ『七月の心臓』
みりん甘くて泣きたくなつた銀鱈の皮をゆつくり噛む夏の夜
山下翔
眠っている船頭さんは味醂なり 石田柊馬(川柳)
★ついでの醤油ソース
※元データの比率は、短歌10:俳句2:川柳1ぐらい。
「ソース」は短歌20、俳句2、川柳1で、俳句川柳ではあまり詠まれないみたい。
「醤油」はひらがな表記も含めて、短歌22、俳句2、川柳5。俳句では好かれていない。
■塩麹
2019年9月30日 以下ひとつしかなかった。
合コンを取り仕切るのは塩こうじ
浪越靖政 川柳作家ベストコレクション
■打電
2019年7月8日
少なそうだと思ったら四首もあった。一人は白秋かい! せっかくだからupしておきます。(一人は私だし)
ワレライマヤコクキヤウニアリ、むらさきの花じやがいもの盛りに打電す
北原白秋『海阪』1949
ジュピターを冬田の水が映すことメガロポリスに打電するべし
島なおみ「詩客」2012-12-07
至急至急と打電しました(死んでゆく螢のように)スグ来ラレタシ
村上きわみ
もぎ捨てる 誰かにとんでもないことを打電するあたしの薬指
高柳蕗子『あたしごっこ』
■鼻毛
2019年6月29日
鼻毛を詠む歌は2首しかなかった。
おそろしく太き鼻毛を抜きたるとこゑあげて庭の子供らを呼ぶ 小池光『草の庭』
Amazonでパソコンを買おうとしたら鼻毛カッターをすすめられたり 松木秀『RERA』4
※俳句川柳のほうが多かった。少しピックアップ
ずんずんと鼻毛の伸びる梅雨かな 丸谷才一
洪水はもしくは鼻毛などに似て 阿部青鞋
冬が笑い 西鶴笑う 風の鼻毛 中村冨二『千句集』
■膀胱炎
2019年6月18日
膀胱炎を詠む歌は二首しかなかった。(ひとつは私で、なんだか申し訳ない)
膀胱炎になってもいいからこの人の隣を今は離れたくない 柴田瞳
美術さん月がないわよ夕暮れが膀胱炎みたいなすみれ色 高柳蕗子
なお、「膀胱」ならば、上記2首以外に5首あった。
(そこにまた私が含まれていて、なんだか申し訳ないが)
いろいろなゆめからさめるまえにそっとそっときれいに光る膀胱 杉山モナミ ヒドゥン・オーサーズ 』
膀胱の燃える春です詩を産んで月があんなにむらさきいろで 佐藤弓生『モーヴ色のあめふる』
銀幕を膀胱破裂寸前の影が一枚ゆらゆらとゆく 木下龍也『きみを嫌いな奴はクズだよ』
腎臓はこのへんですかこのへんは膀胱ですか湯の中にいて 東直子「文藝春秋」201405
亡霊はボサボサ頭 棒立ちの坊やの膀胱ぼんぼり灯る 高柳蕗子『あたしごっこ』
■「おめおめ」など
2019年6月16日
●「おやおや」 1首
まるまった猫をほどいてまっすぐにおやおやどうだいたっばがあるね 久保芳美『金襴緞子』
●「おめおめ」3首
おめおめと生きながらへてくれなゐの山の椿に身を凭せにけり 北原白秋『雲母集』1915
チアノーゼ色となりたる成れの果ておめおめとまだあぢさゐである 蒔田さくら子『サイネリア考』
君はもうめしを食わない食うわれがおめおめと焼く秋刀魚の煙 笠井烏子
●「おいおい」は2首(意味が違うけど)
おいおい星の性別なんて知るかよ地獄は必ず必ず燃えるごみ 瀬戸夏子 『そのなかに心臓をつくって住みなさい』
温順なお化けをなおも殴打しておいおい泣かす落ち葉の季節 高柳蕗子
なお「おろおろ」8首、「おずおず」4首、「おたおた」「おちおち」ナシ、
■じれったい
2018年12月12日
餌ひろう一本脚の鳩がいてじれったくなればすぐに飛びたつ 杉﨑恒夫『パン屋のパンセ』
ねむるひとの爪を切る音 じれったい明日あたしの 告白を聴く 東直子「かばん」2005・12
マヨネーズぶっかけあって叱られる 月の砂漠はじれったい歌 高柳蕗子「かばん」2013・12
■雪まみれ
2018年11月16日 94461首のなかにこの3首のみ。
雪まみれの二月といふにまざまざと干からぶ眼窩もつ兄妹か 春日井建『未青年』
「火の鳥」終る頃に來て北狄のごとし雪まみれの靑年は 塚本邦雄『日本人靈歌』
雪まみれの頭をふってきみはもう絶対泣かない機械となりぬ 飯田有子『林檎貫通式』
■雪男
2018年11月14日 94461首のなかにこれ1首しかなかった。
ヒマラヤに足跡を追ひ迫るとき未知の雪男よどこまでも逃げよ 中城ふみ子
なお、雪女は6首あった。
少女よ下婢となりてわが子を宿さむかあるひは凛々しき雪女なれ 春日井建『未青年』
他5首
■てこずる
2018年11月8日検索 94419首の中に3首のみだった。
靴紐に手こずるお前と目が合つて似たもの同士は遠くてもいい 山階基 「早稲田短歌」43
ほどかないはずだったから開けようとして結び目に手こずっている 小野みのり「早稲田短歌」44
ビンラディンみたいに梃摺らせ左奥にかくまわれている親知らず 山下一路『スーパーアメフラシ』
ワン鍋ニャン鍋
2018年5月から7月まで
(その後総データ数が急増。ワン鍋ニャン鍋が見つからなくなったため、一区切りとする。)
■ややこしい
(検索日 2018.7.1 短歌データ総数87229に1首しかない。)
ややこしい生き物になってしまったと十指茶色い靴にねじこむ 東直子『十階』
■おそまつ(粗末)
(検索日 2018.7.1 短歌データ総数87229に2首しかない。)
坂道をのぼればゲゲゲの鬼太郎もキレちゃうくらいのお粗末な墓地 千葉聡(出典??)
お粗末な傷のなめ合いしたくって夜行バス降り炭酸を買う 伊藤綾乃(渋沢綾乃)2015/3「かばん新人特集号」
「お粗末」は無くても「粗末」ならあるのでは、と思いませんか?
ざーんねんでした。「粗末」は一首もありませーん。(ひらがな表記でもナシです。)
なお、「みすぼらしい」は1首だけ、「みみっちい」は皆無。(笑)
なぜか「ちっぽけ」は10首もあった!
■みすぼらしい
(検索日 2018.7.1 短歌データ総数87229に1首しかない。)
みすぼらしき郷里の新聞ひろげつつ、/誤植ひろへり。/今朝のかなしみ。 石川啄木『悲しき玩具』
啄木の時代から長いときがたったのに、まだワン鍋賞。啄木は偉大だ。
■なおざり
なほざりに人の命終を思はめやあぢさゐ蒼く炎えゐたりけり 齋藤史
ルビ:命終(みやうじゆう) 炎(も)なほざりに片陰の水春の蚊を孵へしダンテの書のめくりきず 塚本邦雄
※ついでに、ときどき混同される「おざなり」も以下の2首だけでした。
渡河の意志ぬるくロマンスカーに満ちおざなりに聞く車内放送 中沢直人『極圏の光』
おざなりに結ぶ片蝶解けやすくいじられたがる短パンの紐 中沢直人『極圏の光』
★言葉の知識は意外と年配者がダメだったりする
「このごろの若い人は『なおざり』と『おざなり』の区別がつかない人が多くなった」
とどこかで聞いたが、周囲にいる若い歌人に聞いたら、ほぼこの区別を知っていた。
そして私と同年代の一般人は、この2つを混同している人がよくいる。
だからトシじゃないのよ。言葉に対する意識の高低の個人差。(笑)
■はりぼて
(検索日 2018.6.27 短歌データ総数87229に2首しかない。)
寂光院の床ふむにつべたみそゞろに見る阿波の内侍のはりぼての像 木下利玄
針千本持ってきやがれ呑んでやる愛も方便はりぼてじゃんか 久保芳美『金襴緞子』
■忍者
(検索日 2018.6.24 短歌データ総数86831に2首しかない。)
そんなに多く詠まれる語ではなさそうで、それなりに少ないな、という感じ。
お茶漬けにわさびを溶けば湯気のなか忍者の里の幼馴染よ 穂村弘
子供らよはやく忍者になりなさい九九のおぼえは2×2=4から 松木秀『RERA』
ルビ:2×2=4【ににんがし】2018.11追記
上記穂村弘の歌にお茶漬けが出てくるが、「茶漬け」を検索してみたら、上記の他に4首も出てきた。
たのしみは小豆の飯の冷たるを茶漬てふ物になしてくふ時 橘曙覧 『志濃夫廼舎歌集』
生きて在るすなはち今と思ふまで鮎の茶漬けをむさぼり喰らふも 島田修三
お茶漬けをチャヅといったよこの人は。きっといまだけ、聞けてよかった 雪舟えま「短歌研究2」016・6
お茶漬はまず塩味のお茶を吸い米数粒にくちづけてから 東直子「かばん」2014・5
■早とちり
(検索日 2018.6.24 短歌データ総数86831に1首しかない。)
早とちりしてばつかりのきみだから雨傘をさすつばめを見たら 新井蜜『月を見てはいけない』2014
■げっぷ
出物はあんまり詠まれないと思うが、やはり詠まれないなあ。
(検索日 2018.6.23 短歌データ総数86831に2首しかない。※2011年1月に検索したときは下の飯田の歌がワン鍋賞だったが7年たって1首増えた。)
新発売のファンタのげっぷしつつみな人工呼吸にあこがれている 飯田有子
大丈夫なのに愛されているのに愚図ればアールグレイのげっぷ 雪舟えま「短歌研究」2016・6月号
■ドライヤー
2011年1月時点で「ドライヤー」を詠む歌は0だったが、現在は以下の3首がある。
渡されたドライヤーにはゴシックで「LET'S DRY」と書いてあるなり 鯨井可菜子『タンジブル』2013
ドライヤーONにしたまま浴槽に沈め無人の水ふるえたり 菊池裕『アンダーグラウンド』
天国についての歌を大声でドライヤーをかけつつきみは 間宮きりん「早稲田短歌」44号
ドライヤーは2011年頃にはすでに一般家庭に浸透していた。
だが、現物が日常的に眼の前にあっても、歌人はなかなか「歌に詠める語」と認識しないのだ。
良いの悪いのと言いたいのではない。これって人間と言葉の関係において重要な現象ではないだろうか。
すなわち、ある事象(「ドライヤー」など)が世間一般に浸透し、個々人はやがてその名称を覚えて使いこなせるようになる。だがそれが歌に当たり前のように詠まれるようになるのはずっと先だ。10年、20年かけてぽつりぽつり詠まれながら「歌に詠める語」になっていくらしい。
■整髪料
(検索日 2018.6.5 短歌データ総数86831に1首しかない。※2011年1月に検索したときも次の歌がワン鍋賞だった。)
整髪料のにおいは好きじゃないからと恐ろしいほどの寝ぐせに光 東直子
「整髪料」じゃなくて「ヘアなんとか」ならあるかと思って探してみた。その結果、整髪用の「ムース」は以下3首があった。
卵大のムースを俺の髪に塗りながら「分け合うなんてできない」 穂村弘『シンジケート』1990
てのひらの整髪ムースの泡つぶの突起をしばしながめて九月 千葉聡「かばん新人特集号」1998・2
パサパサの毛先を気にしてあたらしいムースをつけるなんどもなんども 芹沢茜「かばん」2002・12
■乾燥機
(検索日 2018.6.5 短歌データ総数86831に2首しかない。)
乾燥機のドラムの中に共用のシャツ回る音聞きつつ眠る 穂村弘『シンジケート』
乾燥機夜中に回るバスパンもシャツも誰のかわからぬままに 千葉聡『海、悲歌、夏の雫など』
2011年1月には穂村の歌しかなかったのだが、月日は流れ、乾燥機は著しく普及しただろうに、まだ1首しか増えていない。
■チャーハン
新しくもなんでもない言葉でも歌になかなか詠まれないことがある。
この歌の句跨がりにはチャーハンをパラッとさせる秘密があります 鈴木有機(「かばん」誌 発行年/月調査中)
半チャーハン追加の気合こうなればホントの友達だよね作戦 小島左(「かばん」誌 発行年/月調査中)
2011年1月「闇鍋」短歌総数4万弱 の時点では上記2首だけだった。
2018年6月5日現在も、次の一首が増えただけで、あまり詠まれないことに変わりない。
それなりにおいしくできたチャーハンに一礼をして箸をさしこむ 笹井宏之『てんとろり』
2019年6月追記 まだ一首も増えていません。
「焼飯」「焼き飯」「炒飯」「炒めごはん」「炒めご飯」も皆無!!
ちょっとネットで検索、以下を発見しました
チャーハンの写真を撮つてチャーハンを過去にしてからなよなよと食ふ 大松達知『ぶどうのことば』2017
それとなく作り始めたチャーハンをその一言で激辛にする 朝倉冴希 作者ブログ「歌人・だっさんの風花DIARY ~花と短歌のblog」より
その他、TV番組かな?というのがありましたが、よくわからないので囲繞しないでおきます。
■あみだくじ
(検索日 2018.6.5 短歌データ総数86831に3首しかない。 阿弥陀籤、あみだ籤、アミダクジ等々の別表記も含めて検索。)
あみだくじの線一本をかき足してきめよう朝とわたしの境目 杉山モナミ
2011年1月には上記1首しか無かったが、2018年6月現在次の2首もある。
あみだくじ描かかれし路地にあゆみ入る旅の土産の葡萄を提げて 吉川宏志『夜光』
青空にひろがる銅のあみだくじ君の窓まで声が繋がる 國森晴野『いちまいの羊歯』
■ちくわ
(検索日 2018.6.5 短歌データ総数86831に3首しかない。 竹輪、チクワ等々の別表記も含めて検索。)
空の音はらんらんろんろ掴めないでいるものすべてちくわのかたち 三好のぶ子「かばん」2001年12月
2011年1月時点ではこの1首だけだったが2018年6月現在次の2首もある。
竹輪の穴覗く遊びにみえるみえるといへば丹後の海までも見ゆ 馬場あき子 『記憶の森の時間』
急に君はちくわで世界をのぞいてる 僕は近くに見えていますか 千種創一『砂丘律』2015
なお、ハンペンとガンモは、2011年時点で詠む歌がひとつもなかったが、なんと今もなおゼロである!
■ホイッスル
(検索日 2018.6.5 短歌データ総数86831に1首しかない。)
きみが首にかけてる赤いホイッスル 誰にもみえない戦争もある 正岡豊
2011年2月には上記1首しかなかったが2018年6月現在以下の2首が加わった。(準ニャン)
音のなきテレビのなかに審判が吹くホイッスルふたりは見上げ 光森裕樹『鈴を産むひばり』
Beeeeeeeeep!といふホイッスル 仕方がないよもう飛んだから 光森裕樹『うづまき管だより』
※Beeeeeeeeep!にルビ:飛び込まないで下さい
■ズッキーニ
(検索日 2018.5.20 短歌データ総数86254に1首しかない。)
ズッキーニ齧りつつゆく海沿いの道に輝く電話ボックス 穂村弘『回転ドアは、順番に』
2011年の春(当時の闇鍋の短歌データ数39770 首) の検索では、ズッキーニを詠む歌はこれひとつだけで「ワン鍋賞」を進呈したが、あれから七年、ひさしぶりに再検索してみた。まだこれひとつだ。
比較的新しい食物でなじみの薄い人が多いのかもしれない。ただ、その点では同程度と思われるアボカドは4首もあったので、〝なじみ〟の濃淡だけでは語れない。明け方のゆゆは静かに泣いているアボカド抱いた自称あばずれ 穂村弘『手紙魔まみ 夏の引っ越しウサギ連れ』アボカドの固さをそっと確かめるように抱きしめられるキッチン 俵万智『トリアングル』「どれくらいキライかというとずぶずぶになるまで熟したアボカドくらい」 村上きわみ『fish』回転をする世界ハマチ・ツブ貝・アボカド・イクラ戦争 山下一路『スーパーアメフラシ』■まちはずれ
(検索日 2018.5.20 短歌データ総数86254に1首しかない。)
こいのぼりの中に入ってとりあえず夕暮れを待つ街外れの猫 しんくわ『しんくわ』
「まちはずれ」は領域の境目のかすかな不安をはらむ、と思うが、そのわりには意外な少なさだ。
なんとなく童謡で使われそうなファンタジーがかった雰囲気が、短歌文脈には使いにくいのかも。
■さしむける
(検索日 2018.5.19 短歌データ総数86254に1首しかない。なお「しむける」はひとつもない。)
駅を流れる水に口までつかりつつあなたへとさしむける機械の口が 飯田有子
■とぼける
(検索日 2018.5.19 短歌データ総数86254に2首しかない)
君の好きなお化けの話汗ばんでいる夜になおとぼけるおばけ 佐佐木幸綱
あれ、あれととぼけて両の手を伸ばしほんとのことに蓋をしておく 新井蜜『月を見てはいけない』
■見せびらかす
(検索日 2018.5.18 短歌データ総数86254に2首しかない)
衆視のなかはばかりもなく嗚咽【をえつ】して君の妻が不幸を見せびらかせり 中城ふみ子『乳房喪失』
君の口うばいし癌の文字にくし三つの口をみせびらかして 関根和美『三十一文字のパレット』(アンソロジー)
(2019年9月30日追記)
そうやって自分の傷や痛みだけ見せびらかして生きればいいよ 加藤千恵
(川柳)アサガオに寿司を見せびらかしていい? 暮田真名『補遺』2019
■やぶさか
(検索日 2018.5.16 短歌データ総数86254に2首しかない)
世の中の金の限を皆遣りてやぶさか人の驚く顔見む 森鴎外『沙羅の木』
接吻の指より口へ僂【かゞな】へて三とせになりぬ吝【やぶさか】なりき 森鴎外『沙羅の木』
■なにしろ
(検索日 2018.5.16 短歌データ総数86254に1首しかない)
約束は果たされ胸に青葉散りなにしろさみしかったと言いぬ 東直子(出典不明)
■あべこべ
(検索日 2018.5.16 短歌データ総数86254に1首しかない)
あべこべな気持ちのままで応えるね 途中下車したバス停みたいだ 横井紀世江(出典不明)
■ひょっとして
(検索日 2018.5.15 短歌データ総数86254に3首。ですが啄木がだぶっているので準ニャンに。)
人間のつかはぬ言葉/ひょっとして/われのみ知れるごとく思ふ日 石川啄木『一握の砂』
忘れをれば/ひょっとした事が思ひ出の種【たね】にまたなる/忘れかねつも 石川啄木『一握の砂』
ひょっとしてこ の俺様は死んだのかやたらと箸が長いんだけど 松木秀『RERA』
以前のワン鍋ニャン鍋
あら増えてるわ!
再検索してみて増えているものはここに置きます。あいかわらず少ないときは新しいほうに追加します。
■付箋
レモンいろの付箋をつけた夜明けよりふたりと思う夏のはじめに 加藤治郎『昏睡のパラダイス』1998
2011年2月(短歌データ総数4万程度) の検索では「付箋」という語を読み込んだ歌は上記1首のみだったが、2018年6月現在上記も含めて24首もある。
「付箋」という語を使った歌の作者はほぼ加藤治郎以降の世代だ。激増の理由は、付箋が文具として認知度を上げ、安価で出回るようになったからだろうか?
★いや、それだけではない。目の前にぶらさげたって詠まないものは詠まないのが短歌の世界だ。(笑)
短歌は、作者読者ともに、目の前にあるものを詠むと思っている人が多いが、結果を見ればそれが作歌の実態にそぐわないかんちがいであることがわかる。作者がなんと言おうと、ある語が短歌に使われる最大の理由は「短歌に使える語・使いたい語」と作者が感じるからである。
この歌などが皮切りとなって、「付箋」は「短歌に使える語・使いたい語」という認識が徐々に広がった、つまり歌語になったのではないだろうか。
■スプレー
貸靴に消毒スプレー吹きつけて海への旅費を作る七月 穂村弘
ゆめよりも怒りが愛になりやすくてキョドーフシンをスプレーします、の 杉山モナミ
2011年1月時点(短歌データ総数4万程度)で「スプレー」を詠む歌は上記2首だけだったが、2018年6月現在は10首もある。
また、2011年1月時点で「ドライヤー」を詠む歌は0だったが、現在は3首ある。詳細は新しいワンニャン参照。
■あぶらあげ
2011.01 時点で「あぶらあげ」(油揚、アブラゲなどの別表記含む)を詠む歌はこれひとつだった。
あぶらあげ火に炙りつつう海よりも遠くの国に棲む人のこと 植松大雄
この時点で「豆腐を詠む歌は40首ほどあり、なんという不公平かと(笑)思ったものだ。
2018年6月現在「あぶらあげ」を詠む歌は5首に増えた。「豆腐」は80首になっていた。増加率ではアブラゲの勝ちだが……。
■肉まん
「コンビニ」は冬の季語です 笑うためあんまんを抱き肉まんを食う 千葉聡『微熱体』2000
2011.01 時点で肉まんを詠む歌はこれだけだったが、2018年6月現在6首ある。
食べ物の名前を積極的に歌に取り入れたのは俵万智(『サラダ記念日』1987)である。
以前は歌に詠まれる食品名は限られていたが、サラダ記念日以降、コンビニなどで買う弁当やお菓子にも抒情が見出されやすくなったようだ。
ナイ鍋コーナー(旧)
ナイ鍋とは?
短歌にまだ使われていない言葉っていっぱいあるようです。日常よく使う言葉が、9万近い「闇鍋」短歌データにぜんぜん出てこないことがあります。
「闇鍋」になかった、というだけであり、むろんすべての短歌を知るわけじゃないから、皆無だとは言えません。が、短歌の使用語彙のかたよりを考える参考になるので、ここに書いておきます。
※あとから歌を見つけた場合は、ワンニャンに移すなどします。
なかなか歌に詠まれない…
それまで歌に詠まれていなかった語を詠みこむことは有意義です。
実際の和歌と短歌作品の言葉の用いられ方を古代から現在まで追いかけてみると、一つ一つの単語は、たとえ日常いくら使いこなせている語だとしても、和歌短歌の中で使いこなされるまでには時間がかかり、ものすごく多くの歌に詠まれて意味や表現力を吸着する必要があるようなのです。
(何百年もかかる、というか、和歌の歴史の千数百年をかけてまだ詠まれていない語がいっぱいある。)
最初は詠みにくい
歌に詠まれたことのない単語は歌に詠み込みにくいものです。多くは下手な歌になってしまいます。
だから、歌に詠まれていない単語を使うことは、出来不出来にかかわらず、貴重なプロセスであると言えます。
詠めばいいっていうわけじゃない
ただし、ただ歌に使えばいいというわけではないし、歌に使うことが目的ではないのです。
その単語は、歌の中でちゃんと役割を果たそうとし、その歌はその単語を必要とする。
そういうふうにつかわれていくことで、その単語は歌の世界の言葉としてなじんでいくのです。
ナイ鍋
わざわざ探しているわけではなく、データベースを検索して偶然「あら、この言葉は使われてないのね」と気づいたものをメモすることにしました。(最近始めた習慣です。)ひらがな、漢字、カタカナなどの別表記でも検索してみてそれでも無かったものです。
特に、「え、こんなフツーの言葉がない!」と思うものは太字にします。
あ行
あきあき(飽き飽き)/おざなり/
か行
がんもどき(ガンモ等も含む)/くどくど/かるはずみ
さ行
しむける(仕向ける)/粗末/じれる・じらす(じれったいはあった)
た行
たじたじ/ちやほや/つべこべ/ところが(接続詞)/どさくさ
※「ちぐはぐ」も少なそうだと思って検索してみたらなぜか6首もあった。わからないものだなあ。な行
なまじっか/なれそめ
は行
ひんまげる・ひんまがる/はんぺん/
ま行
みみっちい/もぐもぐ
や行
よしんば/
ら行
/
わ行
わなわな(余計なことだが、「わらわら」は13首、「わくわく」は4首あった。また「へなへな」も拙作がひとつあった。)/