おべんとう

「弁当」「駅弁」等のキーワードを含む短歌を検索し、分類して少しずつピックアップしました。

「おにぎり」は別途集める予定ですが、ここにも多少加えてあります。

弁当を詠んでいても、「弁当」等のキーワードを含まない歌がありえます。

データベースのテキスト検索では見つけられませんが、たまたま見つけた歌は含めました。

食べるシーン★日光のなかで

弁当といえば、日中に外で食べるのが最も一般的だろう。

そのせいか、光る、輝くなどの語を含む例が目につく。

昼たけて舟ににひらける弁当の握飯真白に日の光りあり

草にゐてわりごひらけば真上より野天の春日握飯を照らす

木下利玄

花かげの運転席に弁当をつかうひとあり光る白飯

島田幸典『駅程』 2015

手塩といふやさしき味をむすびたる越のしら飯野にかがやかす

馬場あき子『青椿抄』

一月の光の中の噴水に座っておにぎりを2つ食う

永井祐

セロファンに包まれたるを春の野に光らせながらほどくおむすび

柳宣宏『施無畏』2009

ぬばたまののり巻きが三つ太陽が一つわれらは食事を始む

川野里子『太陽の壷』

アルミ箔でくるんだだけの弁当を磯にひらいてまぶしさを食む

山下翔『温泉』

その他の食べるシチュエーション

焚火してべんとう食べるわがさまを山の畑に鴉見ており

宇佐美ゆくえ『夷隅川』(いすみかわ)2015

冷タイダケノ弁当ヲ食フ 父トイフ字ヲ冠ツタヲノヲ樹ニサシタママ

小笠原和幸 『馬の骨』1990

マキューシオ死にたるのちの幕間を膝机しておにぎり食へり

ルビ:幕間(まくあひ) 膝机(ひざづくえ)

大松達知『アスタリスク』2009

梅干し

くまもんを脱ぎて男が取り出しし弁当の真ん中の大き梅干し

久々湊盈子『世界黄昏』2017

返事のみよくて話しを聴かぬ子の弁当に大き梅干入れぬ

小島ゆかり『憂春』2005

酔ひ歩くときも携ふ弁当箱今宵は梅干の種が音する

小田朝雄『潮流』1983

海苔

のり弁に海苔べったりと貼られありインディペンデンスデイの夕餉

ルビ:インディペンデンスデイ【独立記念日】

加藤治郎『昏睡のパラダイス』1998

雨の県道あるいてゆけばなんでしょうぶちまけられてこれはのり弁

斉藤斎藤『渡辺のわたし』2004

まただ のり弁掻き込んでいるときに後頭部から撃たれる夢だ

岡野大嗣『サイレンと犀』 2014

その他のおかず

弁当の蓋にひじきが黒く付くやすやすと憲法崩されし昼

吉川宏志『鳥の見しもの』2016

水道管工事の人の弁当の卵かがやく五月となりぬ

小島ゆかり『泥と青葉』2014

公園のベンチで食べる僕たちのシャケ弁当にたかる赤蟻

新井蜜『鹿に逢ふ』2014

二十一品目弁当、世界にものもうす/こんなに/ゆめはとどかなくても

杉山モナミ 作者HP

アルミの弁当箱

石炭ストーブにあまた載せられいし頃の弁当箱のアルミを思う

永田和宏『百万遍界隈』2005

親からも子からも自由である人のアルミの弁当箱を開きぬ

東直子 『十階』2011

ひらき方

弁当を屈りひらく日本人彼ら昼餐に立ちたるあとを

近藤芳美『埃吹く街』1948

まじりあうひとの臭いになれたのに かくれてひらく虹の弁当

山下一路『スーパーアメフラシ』2017

死ののちもこの家族なり春彼岸ぱんぱかぱーんと弁当ひらく

小島ゆかり『憂春』2005

人物

オール5の転校生がやってきて弁当がサンドイッチって噂

穂村弘『水中翼船炎上中』2018

弁当を忘れた生徒におにぎりをあげて夜食が今日最初の食

千葉聡『飛び跳ねる教室』2010

ひとり

独身(ひとりみ)の鮭弁当のレシートをレイモンド・チャンドラーの栞に

荻原裕幸『甘藍派宣言』1990

温めて運転席でひとり喰ふコンビニ弁当こそわが至福

高島裕『饕餮の家』2012

濃霧ひとりオリジン弁当に入りきてなすの辛みそ炒め弁当と言う

嵯峨直樹『みずからの火』2018

いっしょに

草にゐて友と弁当つかひをればこの友のことがいや親しもよ

木下利玄

恋人と語らうために買ってきた夜食は輝くラップの中に

千葉聡

由里子が作りてくれし弁当を食ひ孝が淹れしコーヒーを飲み平和なる山

高木孝『地下水脈』

弁当もちて桜の下に待ちをれば夫がぽくぽく近づいて来ぬ

ルビ:夫【つま】

浦河奈々『マトリョーシカ』2009

弁当の卵焼食ふ片方の端を今ごろ子も食ひをるか

小林信也『千里丘陵』2003

おにぎりはたいてい二つ?

かばんの中にあるおにぎりを胃の中にふたつ移して昼の食をはる

小池光『思川の岸辺』2015

複写機がホチキスどめまでするからににぎりめし二個食い終わりたり

真野少『unknown』2015

コンビニ弁当など

感謝して主の御名によりさむざむと今宵も食すコンビニ弁当

中沢直人『極圏の光』2009

いつもより少し豪華な弁当が半額で嬉しいな 死にたい

宇野なずき『最初からやり直してください』

ビル街の弁当屋まで 吐く息の白さにわれを滲ませて行く

田村元『北二十二条西七丁目』2012

空っぽのパンの棚弁当の棚 根こそぎ持ち去った力を思う

加藤治郎「短歌研究」H23/5

コンビニのおにぎりたちは夕虹に気づかぬ者に売られてゆくよ

千葉聡『微熱体』2000

駅弁

弁当のワゴンは五回通過してラストシーンのような夕焼け

木下龍也『つむじ風、ここにあります』2013

駅弁の茶の半濁にこれからのこと考えぬこれからのこと

和里田幸男

駅弁のからを車窓より投げることもむかしの人は難なくしたり

小池光『梨の花』

聞、ポマード、弁当、樟脳の匂い混じる列車を旅とも言えり

生沼義朗『関係について』2012

たたずまい

卓上に闇があるかと思ったら応援用おにぎり三十個

北山あさひ 第59回 まひる野賞受賞作品

作る人・かたづける人

からっぽの弁当箱をかたづけて職業というは箱のようなり

岩尾淳子『岸』2017

母であることは途中でやめられず毎朝五時に弁当作る

小島ゆかり『エトピリカ』2002

え、どうしたの?

数千のおにぎりの死を伝えないローソンで読む朝日新聞

前線に送り込まれたおにぎりは午前三時に全滅したよ

木下龍也『つむじ風、ここにあります』2013

あたらしい死体におにぎり売りつけてわたしの死体さがしにいきます

夏のおにぎり春のおにぎりほろびやすいのは10年かけて燃え上がる髪

瀬戸夏子『そのなかに心臓をつくって住みなさい』2012


おにぎりにはこういう歌があるんですね。

このごろ食べ物の歌が少し変化している。

以前は食べ物は生きるための糧として詠まれていたのだが、このごろ「死」に結びつく傾向が強まっていると思えてならない。

自分が社会の糧として食われていくような感じ、かなあ。

まあ、個々人がそう意図して申し合わせて詠むわけではないので、バラけていますが、でも詠まれることでだんだんそこに絞られていく予感。

(私の予感は半分ぐらい当たります。)

いつかちゃんと歌を集めて検証したいです。

俳句・川柳(現代)

■俳句

駅弁の黒きこんにやく雁渡し 桂信子

いぢめ尽せし弁当箱よながむしよ 桑原三郎

大南風吹く弁当のふたにお茶 西原天気

ぶちまけられし海苔弁の海苔それも季語 関悦史

花疲れ駅弁隅の濃紫 金丸和代

■川柳

あたらしい弁当箱と就職す 田中秀果

恣意的に弁当箱は右に寄り 樋口由紀子

古典和歌

ほとんどナシ

弁当ではないが、万葉集には旅先の食事を詠む歌があった。

家にあれば笥に盛る飯を草枕旅にしあれば椎の葉に盛る

家にいると器によそうご飯を、今は旅の途中なので椎の葉に盛る。

楽しい旅ではなくて、中大兄皇子と不仲 だった有間皇子が 反逆計画がばれて捕まり護送されているときに詠んだとのこと。

その後、古典和歌(本流)では食べ物は歌の題材と思われていなかったから、弁当の歌は詠まなかった。(なかには変わり者がいたかもしれないが。)

狂歌

ロビン・D・ギル(Robin D Gill )さんに一部英訳付きでご教示いただきました。

■上方狂歌

弁当の結びをほればなづく犬の手をくれるまで遊ぶ春の野 睦丸

※江戸後期出版の『題林』に再載された睦丸の1786以前の上方狂歌。 ほる=投げる 。犬に「お手」の芸を教え込むほど長い一日。

生命の重荷負うたも帰りには背中と腹にかわる弁当 茂津

Even the burden of life we bore, on the return trip, ignored:

box-lunches once on our backs, now ride inside our bellies.


■江戸狂歌

※ハは数字の八でなくカタカナのハです

さけさけと言える上戸や下戸はまだ開くを待ちつ花見弁当 桜福左衛門

桜狩り弁当かつぐ竹までも花の雪にハたわむようなり 亀住

弁当もなくてながむる藤棚ハわけて淋しきはなの下かな 土師掻安

弁当の遅さに腹の立田山もみぢの色に顔の赤さよ 光廣卿狂号烏

古典俳句・俳諧・川柳

■俳句俳諧

木の股の弁当箱よ鶯よ 小林一茶

日文研のデータベースで俳諧を検索したら、発句ではないが以下の西山宗因の他に4例があり、下の宗因の句以外はすべて七七句だった。

弁当も五人組にや霞むらん 西山宗因

「西山宗因千句」 第四[はなむしろ:宗因]

■古川柳

のまぬやつ弁当食うと花にあき

空を睨み睨み弁当を内で喰ひ

2019年11月15日 同 11月29日更新

ひとつ前のコレクション 白猫黒猫

次のコレクション 色と時間

私のデータベースは、語の使われ方の変遷などを見るためなど主に統計を目的としてデータを集めております。

直接入力だけでなく、青空文庫、歌人のブログ、そのほかネット上で見つけたデータをコピーさせていただくこともあります。

見ず知らずの方々の努力の成果を労せずして頂戴しており、感謝してもしきれません。評論などで世の中に還流させることで報いたいと思います。。

データベースに収録した歌句は、日々表記等の確認に努めておりますが、数が多いこと、また、自分が原典を有しないものがあるなど、なかなか点検が追いつかない状況です。

上記の歌句を引用してどこかに掲載する場合は、

必ずなんらかの手段で表記等を確認してください。

高柳蕗子