一人っ子

「一人っ子」を詠み込んだ歌句を探してみました。

♥イチオシ

ひとりっ子のわたしがときどき来る丘のむこうにまんがの妹がすむ

杉山モナミ

物足りなく感じる歌が多かったが、この歌だけはイチオシ。

他者との距離、空間の体積や位置関係の感覚が、まさにこのとおりであると思う。

まだ攻めきれてない ・「一人っ子」のイメージ

一人っ子。ーーどういう歌材になりうるのだろう。

自分は一人っ子で、ちっとも特別とは思っていないが、


「一人っ子」の一般的なイメージといったら、

さみしいとか、わがままとかだろう。

短歌はそれをどうアレンジしただろう?

また、どのような「一人っ子」のイメージを新たに発見しただろう?


「一人っ子」を詠む歌を探してみたが、どうもまだ、

コレダーー!っていう感じのが少ないと思う。

♥そのほか

白黴はあわく網目をめぐらせてそれを刮いでる妻ひとりっこ

久真八志 「鯖を買う/妻が好き」2015(第58回短歌研究新人賞候補作)

※刮ぐ=こそぐ

底のある宇宙を行けば一人っ子手をつなぐのはとても悲しい

箱囲亮太「早稲田短歌」44

アルバイト仲間とエスカレーターをのぼる三人とも一人っ子

永井祐『日本の中でたのしく暮らす』

おトイレのドアを叩いたことがないわたしは冷酷なひとりっこ

穂村弘『水中翼船炎上中』2018

ほのかなるやまももの実はわが摘まむこの日したがふひとり子の為

小池光


ひとり子はふたり親から叱られてぐちゃぐちゃに畳む小学生新聞

松村正直『風のおとうと』

発熱の指もて橋が架けられる一人娘のひとり遊びに

天道なお『NR』2013

一人子の逝きて一年音のなき冬の夜ふいに痛みは萌す

尾崎左永子『薔薇断章』

ひとり子のわれを訪ねし妖怪も大人のわれを見失いたり

土橋磨由未『二人唱(アンサンブル)』

はつ夏の朝かげ浴みてたたずめるわがひとりごの膕かなし

ルビ:膕(ひかがみ) ※ひざの後ろのくぼんでいる所。膝窩(しっか)。

徳高博子『革命暦』2001

♥俳句と川柳 のなかのイチオシ

ひとりっこ溝にはまると温かい 久真八志

第3回詩歌トライアスロン応募作

♥俳句と川柳も少し見つけましたので、その中からピックアップ。

【俳句】

親一人子一人蛍光りけり

久保田万太郎

爭うこと知らぬ独り子雛飾る

公文弘子

虹ひらくこの世にひとり子を遺す

神田ひろみ

【川柳】

母一人子一人で棲む腋の下

飯田良祐バックストローク9号a『実朝の首』

妹が一人っ子だと嘘をつく

(ニート川柳)2ちゃんねる

上記の歌の解釈 &

ひとりっ子歌ステレオタイプの考察

上にとりあげた歌のいくつかに詳しい解釈をつけつつ、ひとりっ子歌を考察します。

■1 独自性信仰をやめよう

良い意味のステレオタイプを知ろう

「ステレオタイプ」はすごく悪いイメージの語です。

なぜか(なぜなんだよ)多くの人は「独自性」を無条件に崇めている(根強い信仰・迷信がある)。

ですので、歌会でうっかり口にしただけで、その場の半数が「この人はこの歌をけなしている」と誤解し、

そのあと何を言っても誤解しっぱなしになる。

(みればどの人の耳も、人がけなされるのを聞きたくなくて、白っぱけて縮んでいる。…ウソ)

ーーと、まあそのぐらい危うい語です。(刃物をチラ見せするのに似た危うさだ。)


そこで、「この歌には〝良い意味でのステレオタイプ〟があります」なんぞと切り出すわけです。

すると、「悪徳でない政治家」と同程度に受け止められます。(笑)


「ステレオタイプは良いものだ、生かして使うんだ」という共有認識に到達するまであと30年はかかりそう、

いや、30年かけても到達しないかもしれない。いっそ新しい用語を使ったほうがいいかもね。


■2 ひとりっ子のイメージのステレオタイプ

「ひとりっ子」のイメージの世間話レベルのステレオタイプは、大雑把に言って次のA~Fです。

A さびしい

B わがまま

C ひよわ・おっとり(争いを知らない)

D 親が甘い

E 親のさみしさ

F セット親子(親一人子一人)


■3 上記のDEFについて

親の側を詠むDEFは、「ひとりっ子」とは別の歌材(句もある)※と捉え得るし、「親一人子一人」などは、「ひとりっ子」とは限らない等の問題もあります。

※「歌材」は(造語というほどではないが)ほぼ私しか使わない語。

特に「親一人子一人」の世間話レベルのステレオタイプは、「けなげな生活、寄り添って生きる情感」だと思います。


例1

母一人子一人で棲む腋の下 飯田良祐(川柳)

母子家庭が世の中のくぼみで生きてて、でも脇毛みたいにたくましい感じ。


例2

ほのかなるやまももの実はわが摘まむこの日したがふひとり子の為 小池光

この歌は、世間話レベルのステレオタイプに満足せず、親の側から心寄り添うその一瞬を捉えてピンポイントに絞り込むことに成功している。


その他のDEFの例

親一人子一人蛍光りけり 久保田万太郎(俳句)

蛍のはかない光が、この世にある命のさみしさを暗示するゆえに、「親一人子一人」という語が少し意味を強めるが、それだけか?

親一人子ひとりのみのはつ盆を燈籠さびしき深川の宿 木下利玄

一人っ子親が一番甘えてる 杉山太郎(川柳)


■4 ABCはなぜか全部欠点じゃないか

A さびしい

B わがまま

C ひよわ・おっとり(争いを知らない)


なぜか「ひとりっ子」はABCの欠点で話題になる。(なんだか血液型の話にも似ている。)

※私はB型で蠍座で蛇年のひとりっ子!

けれども、実際にそういう傾向は多少あるかもしれないが、そんなに言うほどか?

少なくとも一人一人に当てはまるほど絶対的な特徴か、と思うことが多い。

少し嫉妬が混じってないかしら。(笑)

で、こういうステレオタイプは世間話レベル。そのまま詠む人はあんまりいない。


■5 ひとりっ子の長所 平和的唯我独尊の境地


ひとりっ子のわたしがときどき来る丘のむこうにまんがの妹がすむ

杉山モナミ


わたしのイチオシのこの歌は、

ABCが全部入っているけれど、それを欠点としていない。

競合者のいない、純粋な一人だけの平和的唯我独尊の境地を持っている。


少し高い位置から世界を見渡し、他者をそこに配置するが悪意はなく、現実離れした独特の強い客観性。

(これって、長所だし、なんらかの強さとも言えそう)


他者を見下すというわけではない。

「ひとりっ子」のイメージとして、(あくまでイメージ)

そういう平和的唯我独尊の境地を、発掘し得た歌だと思います。


■6 王様たち


さっきの「平和的唯我独尊の境地」で、「高い位置から世界を見渡す」と書いたんですが、

今、ひとりっ子が多いから、その「平和的唯我独尊」が共存する場が多くなる。


アルバイト仲間とエスカレーターをのぼる三人とも一人っ子 永井祐


この歌は単に事実を述べただけなんですが、読んだ途端、

ひとりっ子たちよ、決して穢れることなく、「平和的唯我独尊」による共存というひとりっ子の世界観を磨こう!

という気持ちになっちゃいました。


「平和的唯我独尊」の共存がこれから詠まれる、この歌はその端緒かな、と思って取り上げました。


■7 ひとりっ子は動作が丁寧で落ち着いている?

(あくまでイメージですが)


白黴はあわく網目をめぐらせてそれを刮いでる妻ひとりっこ 久真八志


白黴っていうか、みかんの白い筋を几帳面にとる人を思い浮かべた。

時間をかけて細かい作業に熱中し、世界がほろんでも手を休めない感じ。

具体物じゃなくても、例えば話の中の論理的夾雑物を微に入り細に入り取り除くとか、

そういう几帳面さがひとりっ子っぽい。

(しつこいけど、あくまでイメージです。)

■ ひとりっ子が連携するとき、さみしさが通い合う

底のある宇宙を行けば一人っ子手をつなぐのはとても悲しい 箱囲亮太


「底のある宇宙」=半分閉ざされた世界

ひとりっこ=同胞がいない者たち

手をつなく=付き合い下手がおずおず手をつなぐ

で、なぜ悲しいのか??

悲しい=ひとりっ子どうしが連携するとき、楽しさだけでなく、さっき述べた王様のさみしさが通い合う。

(それまで兄弟のいる人種=対人スキルがあって抜け目なくたくましい人種と共存してきたのに、ひとりっ子どうしで手をつなぐがねばならない。)

そういう新たなさみしさ、悲しみを詠んでいるように思えます。

2019.2.11 高柳蕗子

その後見つけたひとりっ子の歌 随時追加

ゆうぐれはタコ足配線のひとりっ子今もうるさいピンボールにだけは

杉山モナミ(YouTube朗読)

次は→ ひとりごと