未収録評論倉庫
考えが変わってしまったものや翻案して他の評論に吸収したものなども
まだ置いてある場合があります。
詩客 私の好きな詩人 第119回 すれちがい-三好達治・八木重吉・他
交配装置である世界 佐藤弓生歌集『薄い街』 書評 ―― 2011・4「鹿首」1号
太平の眠り --機会詩としての短歌を考える 2010・12「かばん」掲載
「詩歌梁山泊」というシンポジウムに行ったときなんとなく考えたこと。でもシンポジウムについて書いたものではありません。
コットバものがたりん + 重奏――歌に読者を臨場させる 2013・2「かばん」2012・12評の一部
■ものすごく古いエッセイ評論
岩片仁次句集『砂塵亭殘闕』について。「夢幻航海」に発表。99年ごろの文章。
歌意だけでなくレトリックの中から読み取れる背景世界の情報があるということなど。
「短歌朝日」 2000年9・10月号
歌語としての「右」と「左」についての考察
存在を秘密にしている雑誌に掲載 1999年5月
データベースを使いながら評論を書き始めた初期の文章。まだ短歌データが十分でなかった。
「闇の夜に鳴かぬ烏の声聞けば生まれぬ先の父ぞ恋しき」という歌について。
存在を秘密にしている雑誌に掲載 2000年1月
「煙草くさき国語教師が言うときに明日という語は最もかなし」について。
会話式で評論を書けないかなと思って試してみた。
存在を秘密にしている雑誌に掲載 2000年5月
私たちが共有する仮想世界を「ふるさと」として、解剖鋏を持って「ふるさと」から離れたはじめての思い出を語る。読み解かれないイメージは「ふるさと」から離れているゆえに危険だと思ったときに書いたエッセイ。
存在を秘密にしている雑誌に掲載 2000年12月
高原耕治句集の出版に寄せて 2000年秋ごろ
入谷いずみ歌集『海の人形』栞文 2003年7月
新川森句集『星の声』に寄せて 2003年3月
「未定」富澤赤黄男生誕百周年記念特集 2003・9
※ただし百周年は2002年だそうです。
長文評論から割愛した部分など
「かばん」誌に大昔に連載した古いエッセイなどを発掘