図書館の

詩的経験値

インターネットが便利になるにつれて、私は図書館に足繁くは行かなくなった。

でも、

本がたくさんある静かな場所にいってくつろぐ、という時間の過ごし方の魅力を忘れたわけではない。

現実の図書館とは別に、短歌の言葉として、「図書館」は詩的経験値を高めてきていると思う。

詩歌の言葉には偏食がある。「詠まず嫌い」もあれば「ばっかり食い」もある。

千年かけて経験値を蓄積する場合もあるが、

「ばっかり食い」現象が起きたときに一気に経験値をためる場合もある。

「図書館」という語は、短歌の世界でいま静かな人気があって、用例が急に増え始め、

内容も、現実の図書館を超えたイメージを帯びてきていると思う。

お気に入り/忙しい方はここだけでも

この森で軍手を売って暮らしたい まちがえて図書館を建てたい

笹井宏之『ひとさらい』

図書館の裏庭に来つ春雨の育てていたる大みずたまり

吉川宏志『新星十人』1998

てのひらに石の螢をのせながら大学図書館地下へ降りゆく

吉川宏志『鳥と淡雪』

他を凡てゼロにして胸を占めるもの図書館に豊かな秋の陽光

小島左「かばん」200212

カーテンをくぐってやわらかくなった風 図書館が深海のよう

田中ましろ『かたすみさがし』2013

はじめからあとがきを読むような恋 図書館に寄るからもう帰る

田丸まひる『硝子のボレット』2014

●本日の「闇鍋」データ総数13229

(短歌98,027、俳句27,615、川柳13,080 ほか)

うち「図書館」という語を含むのは、短歌76首、俳句5句、川柳4句だった。

この数字だけ見ると俳句は図書館を「詠まず嫌い」しているのか、短歌が「ばっかり食い」中なのか、と考えてみたくなる。ただし、俳句川柳はもともとの手持ちデータが少ないので、この段階で何か決めつけるわけにはいかない。

全部では多すぎるので、少し絞ってお目にかけます

●「水」モノと親和性?

「図書館」と「水」(雨、海など)を結びつける歌がいくつかあるようです。

理由はわからないけれど、なんらかの親和性があるらしい。偶然ではないと思う。

●分類してみます

図書館の外か内か、図書館そのものを詠んでいるか、人間のほうを詠んでいるか。

はたまた抽象的な図書館か。

あまり明確に線引はできないものだが、そこをあえて、少々無理をして分類してみた。

図書館のたたずまい(外観)

●イチオシ

他を凡てゼロにして胸を占めるもの図書館に豊かな秋の陽光

小島左「かばん」200212

灰色の図書館訪ふ白髪のホルヘ・ルイス・ボルヘスたちが

惟任將彦『灰色の図書館』2018

まりあ像を照らす噴水をめぐる径ちひさな図書館とカフェテリア在る

井辻朱美

図書館に夕闇充ちておのづから世界は終はる世界がわかれば

香川ヒサ

ここだけに吹く風がある春あさき私設図書館 君を待ちをり

三島麻亜子『水庭』2014

王国を閉じたるあとの図書館に鳥落ちてくる羽音ならずや

寺山修司『未発表歌集 月蝕書簡』

静かに照らされている市民図書館の屋根。聖土曜日の夜は満月である

前田透『天の金雀枝』1982

「下駄履きは禁止」と掲げ雪の日の東北大学附属図書館

大口玲子『トリサンナイタ』2012

嵐の窓 図書館に打つ秘密の手紙 空の空なる都市のかなしみ

なかにしけふこ

図書館の内部

●イチオシ

カーテンをくぐってやわらかくなった風 図書館が深海のよう

田中ましろ『かたすみさがし』2013

円形の図書館の中に立ちながらわれはファウスト四方を呼ばう

井辻朱美『クラウド』2014

ヴォーリズの図書館夏のほかとしてその階段をゆるやかに置く

吉野裕之『砂丘の魚』2015

こんにちわ おなじ書棚にいつもある市民図書館のガルシア=マルケス

杉﨑恒夫『パン屋のパンセ』2010

図書館の出窓に重ねられたまま眠る楽譜のよう春の日は

田丸まひる『ピース降る』2017

夕立とわたしの中の夕立が図書館の玻璃はさみて鳴れり

目黒哲朗『VSOP』2013

雨の日の図書館はとてもしずかでなぜだろう土の匂いがする

法橋ひらく『それはとても速くて永い』2015

【人間側 】図書館に行くいきさつや気分

●イチオシ

はじめからあとがきを読むような恋 図書館に寄るからもう帰る

田丸まひる『硝子のボレット』2014

雨のなかワルツの楽におくれつつ移動図書館の来る水曜日

さいとうなおこ『キンポウゲ通信』1984

ローソンへ夜食を買いに図書館へ本を返しについてゆきけり

永田紅『ぼんやりしているうちに』2007

自転車に鍵かけて入る図書館の扉のかるさに少し驚く

ルビ:入(い)

江戸雪

なつかしい場所のようなる図書館へサマセット・モーム借りにゆく夕

小島なお『乱反射』2007

パンと祈りと図書館通い文語訳聖書のような母の日常

松村由利子「詩客」2013-03-29

帰らざる少年をさがしに図書館へ行けば、その屋根の上にとめてある 自転車が

松平修文『蓬(ノヤ)』2007

なんでこうつららはおいしいのだろう食べかけ捨てて図書館に入る

雪舟えま『たんぽるぽる』2011

【人間側 】図書館の中にいるときの気分やふるまい

●イチオシ

てのひらに石の螢をのせながら大学図書館地下へ降りゆく

吉川宏志『鳥と淡雪』

人のみなうつむく冬の図書館にたつたひとりを探してゐたり

光森裕樹『鈴を産むひばり』2010

秋風のわたりゆく日も図書館で胡瓜サンドを食べてゐる人

田村元『北二十二条西七丁目』2012

我が作りし弁当をひとり図書館にて終へたる父が我を待ち居つ

高安国世『真実』1949

群れるときわたしは消える図書館の深くに史書の眠るみたいに

田中ましろ『かたすみさがし』2013

図書館をもっと昇ろう僕達を邪魔する人のいない場所まで

秋元裕一

眠らない世界の果ての図書館で甘いゼリーを啜っていたい

柴田瞳

図書館の本棚の前に来て立てばわれのうちなる誰かも立てり

小島なお『サリンジャーは死んでしまった』2011

「鋼鉄都市」を淡きひかりの図書館でひらくかなしくなんかないやい

正岡豊 『四月の魚』1990

レポートの締め切り近き図書館でじりじり読んでゐるトルストイ

石川美南『砂の降る教室』2003

図書館で『世界文学大系』を背に自習する三年生たち

千葉聡『海、悲歌、夏の雫など』2015

あぢさゐのやうにふつくらしたきみのひざがしらなどさむい図書館

渡辺松男『雨(ふ)る』2016

ついに暗転なき恥の日々図書館の窓より冬の塑像見ている

藤原龍一郎

足音を気にして歩む図書館の床に誰かの影踏みている

梅内美華子『横断歩道』1994

【人間側】図書館の外側 (周囲、庭などと推測)

にいるときの気分など

●イチオシ

図書館の裏庭に来つ春雨の育てていたる大みずたまり

吉川宏志『新星十人』1998

TOYOTAの広告塔の右肩に陽は没りなずみ図書館を出る

杉﨑恒夫

君が無事退院したというメール 図書館前のベンチで読んだ

千葉聡『海、悲歌、夏の雫など』2015

逆説にわれは溺れて図書館の空あおあおと照りわたるかな

村木道​彦『天唇』

図書館を見下ろす屋根の上でする二〇〇〇回目の夜のはみがき

中沢直人

そのほか

●イチオシ

この森で軍手を売って暮らしたい まちがえて図書館を建てたい

笹井宏之『ひとさらい』2011

夢の中右に左に積まれおり返しそびれた図書館の本

松木秀『RERA』(5)

図書館に忘れたはずの雨傘を差してあなたは歌ひつつ来る

新井蜜『月を見てはいけない』2014

図書館も沈んだのかい沿岸に漂う何千という図鑑

千種創一『砂丘律』2015

本はもう運び出されているだろう少女が眠る図書館の中

中島裕介『Starving Stargazer』2008

本のない図書館がよい幾つもの夢にやぶれた僕ら逢うなら

天道なお『NR』2013

図書館に幽閉されて眠り姫みずから魔女に変わるを知らず

有沢螢『致死量の芥子』

角偏に触れては消える子供たち収めてよるの軌道図書館

鈴木有機

ゆっくりと滴る水の溜まりたるこの図書館は海の近道

渡辺里香「かばん」1999・5

2019年7月18日 高柳蕗子