「とりあえず」という語は、口語的だが短歌のなかでわりあい使用頻度が高いようだ。
57首/88,108首 = 0.06% 約1500首に1首詠まれている。
なんだそれっぽっち?
いえいえ、短歌の中での使用頻度としてはまずまず高い方である。
「とりたてて」 3首 /88,108首 =0.003% 約29400首に1首
「とりいそぎ」 たった1首/88,108首 = 0.001%
・「とりあえず」は昔から短歌に詠まれていたわけではない。
・古典にない※のはもちろんのこと、近代でも見た覚えがない。(啄木あたり使っていそうだ。私が知らないだけかもしれない。)
※古典と言えば、百人一首「このたびは幣もとりあへず手向山紅葉の錦神のまにまに(菅原道真)」があるけれど、この「とりあへず」は「用意するひまがなく」という意味であって、対象外です。・「とりあえず」の「闇鍋」の用例で、作者で一番年長は1919年生まれの杉崎恒夫。
他は1950年以降に生まれた歌人だ。(あくまで「闇鍋」データでは。)
・歌集の発行年代で言えば、1990年前より少し前の歌集から急に使われだしたようだ。
90年代の歌集では珍しくない。
・私の手持ちデータでは次の歌がもっとも早い。※
「とりあえず」とは、なんらかの状況に迫られて応急的な対処をすることだ。
だから「とりあえず」という語を置けば、次の〈A〉〈B〉〈C〉の要素がある、と暗示想定※させることができる。
〈A〉問題状況(例:怪我をして出血)
〈B〉応急的対処(例:ありあわせの布で止血)
〈C〉根本的対処(例:救急車を呼ぶ)
これらの暗示想定された要素の〝かねあい〟を読者は読み取る
※「暗示想定」なんて言葉はないんですが、ダイレクトにこれこれと暗示するのでなくて、言及する範囲のようなものを想定させる力のある語が存在し、歌人は無意識にもその機能を使って歌を詠んでいるので、いまここだけの仮の用語として造語します。もっと良い呼び名があればあとから変更します。
しかも「とりあえず」という語は、ニュアンスが特に重要である。
一般文は事実の伝達を主眼とするが、短歌では、事実関係よりも、上記〈A〉〈B〉〈C〉の〝かねあい〟の場に対する身を置きかた、心の処し方など、そのニュアンスこそを味わいの中心にすることが多い。
※一般文のような歌の用例もないわけではないが、歌としてみるとこなれていない感じで読み応えが薄い印象。
ぱっと見ではあまり詩情を感じさせない歌が見た目よりすぐれている感じがする場合、「暗示想定」のような論理的刺激が含まれていることがある。
さっきの〈A〉〈B〉〈C〉で言うなら、全体としてこういう感じのことを「暗示想定」させる。
〈A〉生きていくのはタイヘンだ
〈B〉目前の日々を生き抜くだけでせいいっぱい
〈C〉長期的な目的に向かって計画的に生きていければよいのだろうが・・。
しかし、〈C〉のような長期的展望なんて可能なのだろうか。生きていく毎日とは、固有の名前を背負って時間を漕いで、「とりあえず、とりあえず」とサヴァイブしながら送るものではないのか。つまり「とりあえず」こそが本来の姿ではないのか。
そういうことを考えさせる。
次の歌はお笑いのコントみたいだ。歌がボケ、読者がツッコミ役、のような漫才を仕掛けてくる。
人によって受け止め方は違うだろう。以下は私の解釈。
思い浮かぶのは、新人のアルバイトみたいな世間知らずが、ものおじしない態度で、雇い主(かみさま?)に向かって、ちゃっかりありえない交渉をする場面だ。
「こりゃきつい。身がもたないスよ。とりあえず不老不死ドリンクを支給してくださいよ」
と、炎天下で塩分入のドリンクをねだるような口調である。当然ツッコミを入れたくなる。
「なんだそりゃ。老いと死は究極のもので、その二つが解決しちゃったらあとは些末事だけじゃないか。」
でも、そのツッコミに対してすぐ、「そういうことじゃないなあ」と感じて、自分で自分にツッコミを入れる。
「ここは、生きていく苦労はすべて生き物自身が引き受ける、という理不尽な摂理で運営されている世界だ。
つまり、死ぬまで退職できないブラック企業みたいなもんだ。
不老不死は苦しみ終わらなくなるだけで、ちっとも楽にならないじゃないか。」
そのツッコミに対してもすぐ、「そういうことでもないなあ」と感じる。
「願いが叶うものだとしたら、そして私たちが根源的に救われ得る願い方が存在するのだとしたら、
何をどのように願えばいいのか?
幸いなことに、その願いを言うチャンスは一度きりではない。過不足なき文言で答えよというわけでもない。
それでも私は、妥当な願いをみつける自信はないなあ。」
そのようなことを考えてみると、この歌の「とりあえず」はなかなか巧妙だと思えてくる。
この「とりあえず」は、
「不老不死になっても困ったら、また何か頼んじゃうかも。そのときはそのときでまたよろしくです。ぺこりん)」
というニュアンスだと思う。その方式なら、そのときそのときの願いを言えばいいだけだもの。
あら、さっきのサヴァイブの歌と似たような話になりましたね。いかがでしょうね。
相性の良い語をみつけてつながりながら言葉は詩情を獲得していく
「とりあえず」は、論理的な刺激力だけでもかなりの働きができる。が、もっと詩歌の語としての地位を高めたければ、他の言葉と組み合わせて詠み重ねることが必要だ。
定番となるような言葉のセット、いわば〝抒情的親友〟ができたら、もう盤石である。
「とりあえず」と相性のよさそうなものというと、衣類(とりあえず着るシャツとか)、飲み物(とりあえず乾きを癒すありふれたもの)などなどが考えられる。が、そんなふうに歌を読む前から想定できちゃうものは魅力に乏しい。
で、「とりあえず」の歌を並べてみていたら、「新聞紙」が入っている歌が二つあった。
新聞紙。これらが似ているとしても触発されたとかでなく、そういう意味では偶然であるだろうし、
〝抒情的親友〟候補としては自然な結びつきから強固な絆ができそうで、なかなか良いじゃないですか?
新聞紙というものは、新聞として読む以外の用途はあらゆる雑用に対応するから、「とりあえず包む」のは自然な結びつきだ。視覚的にはなかなか強い印象があるし、新聞紙といえば下等な位置づけのものだから、組み合わせるものによっては更に発展し得るかもしれない。
要するに〝いろいろ使えそう〟と言える。
残念ながら、紙の新聞そのものが減ってきて、パソコンやタブレットで読む人も増えてきたから、「とりあえず新聞紙でくるむ」という場面自体が、すでにレトロになりつつある。「とりあえず」が「新聞紙」と〝親友〟になれるかどうか、むずかしいところだ。
2018年7月15日