回文兄弟

『回文兄弟』 1989年10月(沖積舎) 

回文兄弟 


「十人十色というだろう。つまり人間には十色しかないのさ」

私にはこんなことを言って淋しそうに笑う叔父がいる。


絶望より脱帽だよと一郎は禿に虹たて「浦和で笑う」

毛虫眉そろわぬほどに逆上しやきもち焼きの「二郎這う路地」

三郎に日々新しい名をねだる 喘息病みの「震えるエルフ」

冷酷さ誇る四郎が魚抱いて眠れば小声で「理由乞う百合」

五郎夫妻殺意とともに分かちあう架空の友は「イカした歯科医」

貧乏ゆすりに銀歯ゆるめつつ六郎がときどき化ける「奇抜な椿」

女らの野菜のような影嫌う港の七郎「妹おもい」

八郎は盗んだ亀の下敷きとなって御陀仏「けだるさ去るだけ」

断固たる面持ちで五円玉めがけ放尿している「九郎耄碌」

晩年の家出たくらむ十郎をはなれぬ背景「鷺なく渚」


植物観音


発芽したばかりの青い観音はまどろみのなか左右に揺れて

観音の苗木静かに伸びをしてまっ白にひらく千のてのひら

根を断って観音歩く行く手には追い剥ぎ刺客しつこい論客

観音の歩く足もと追うように合掌しながら芽吹く草花

救済に倦んだ腕から法力が抜け出て枯れる観音の病

観音の憤怒の顔にもたじろがぬ群衆が来て腕をもぎ去る

にんげんのように焚き火に集まって余分の腕などくべる仏ら

観音の日の出に浮かべたほほえみが度をこさぬうち日没となる


蛇1・2・3・4


月の腕抜け落ちたような白蛇に眉描いてやる一杯機嫌

二親の長さを足して余る身を丹念にほどく春のはじまり

枯れてゆく三色菫を泣くかわり舌をならべて夜風を舐める

ゆるされて足が生えたと四月馬鹿うかれて蛇らみな皮を脱ぐ

五里霧中泣きながら蛇振り殺しこの世はいやだあの世もいやだ

子供らの手の中の石捨てさせて泳ぎ去る蛇六根清浄

家中の蛇たたき出しごしごしと洗って吊す七夕祭り

八重巻きの身に経文の浮かぶまで思い焦がれる蛇の深情け

九輪塔に追い上げた蛇遠巻きに拝み殺して栄えだす村

夏草をゆらすことなく溜息のように旅ゆく蛇の十哲

産み月の妻をいとしみ土埃たてて蛇裂く百済の豪傑

千仞の谷に落とせば一本の悲鳴のように擦り消える蛇


家族(ぼくんち)


輪郭をゆるめて座る母(かーさん)を密かに「猫(みけ)」と いけない父(とーさん)

一晩中落書きめいた家族(ぼくたち)を消す夢愉快 いけない母(かーさん)

薄目した猫(たま)がうしろをすり抜けて ふいに半音下がる母(かーさん)

出迎えた母(かーさん)の前に西部劇のような青空ひろげた伯父(あいつ)

花鋏さげて花壇にたたずめば きれいだよ母(かーさん)は離魂病

祖父(じーちゃん)の得意の手品 猫(たま)のため震える指で取り出す金魚

祖母(ばーちゃん)は加齢とともに虚言癖こうじて暮らすままごとの国

祖父(じーちゃん)に死を許さない祖母(ばーちゃん)の饒舌をさえぎる鳩時計

くしゃくしゃの新聞紙に似た祖父(じーちゃん)の霊魂も来る一家団欒

祖父(じーちゃん)の遺した蝉の標本が鳴くよと言って祖母(ばーちゃん)斃れる

少女(ばーちゃん)をお迎えに雨雲つれて蝙蝠傘の少年(じーちゃん)が来る

ひとりずつ切り抜けば白い裏みせてまるまってしまう写真の家族(ぼくたち)


メラターデの画集


内気な伯父は絵が好きで、私が小さい頃はよく画集みせてくれた。お気に入りは、メラターデという空想の世界を描いた理路コンテスという謎の多い画家で、例えば、散歩中に自分の墓石に躓いて転倒したというような話ばかりが伝えられ、生没年や経歴などは全くわからない。

伯父は二十年ほど前の火災で、多くのものを失った。つい最近伯父に会う機会があったので、あのメラターデも燃えてしまったのかときいたところ、驚いたことに、彼はこの画集を覚えていなかった。そこで私は次のような絵の中の情景を、思い出せるかぎり並べたてたが、伯父は「さあ」と首をかしげて笑うばかりだった。


ホア人のえくぼの娘笑わせて死地に赴く将軍キテス

呪詛の中にあって屈せず長命のリムネイ王が凝る夢占い

白犬が赤らみ黄ばみ青ざめて黒犬となるエテケスタの町

石段にうずくまり娼婦イパンカが指のあいだに見る星月夜

靴を脱ぐ夫の感傷の鎌首を?んでは放すソベデの妻たち

イレーユの幽霊のように白い背が冤罪の石に打たれる広場

ナルメナの神殿裏の乙女らは「穴姫」の名を尊称とする

か・み・さ・ま・の・い・う・と・お・り かの街角で神官ベケスも「花嫁」選び

木々のもと眠る者の顔長くするカスーグの森の眠れぬ小人

古井戸から顔あげたヨノア自己卑下を顎髭に変え予言者となる

密航の少年が股間に蜜柑ぬくめて潜むスカバソの港

春姫が抒情の手錠科せられたイナモナの野の名高い夜明け

鼻つまみ詩人ペッシカス追放し市民の樟脳臭い懊悩

夜は夜で聖地モデンナにぎやかに天使ぺてん師行き交う通り

唇を離せば紙屑になってさらばラビッサのぺらぺら娘

メラキアの砂漠の男ははなし好き駱駝の骨で古虹燃やし

喧嘩には花投げ落とすカヤデアの昼は高窓ごとに奥方

海こえて嫁ぎきたのは贋王女あわれシライアあやせば笑う

父王に似た長鬚の山羊ひいてナルスモニナのぶらぶら王子


航海


この船長は高柳重信の船長でなく、私の船長である。



肩越しに古靴投げて立ち去ればみごと波止場に夕日が落ちる

罪ほろぼしめいた航海窓ごとの月見る顔も満ちては欠けて

眠るとき数えるために船乗りの目の奥にならぶ三本のマスト

すれちがうあの船この船手を振ればどの船にもいる片目の水夫

頑固さは船長に似て船も老い増えるばかりの開かずの船室

船長は無くて七癖七つの海めぐってそなわる船の七不思議

生涯を逆さに辿る長い夢終えた死者から海底を離れ

また一人死なせた海に不覚にも鬼船長が思い出すママ

船底から涌くかのような密航の少年少女おろす島々

身も船もなかば幽霊となりはてた老船長にまだ若い海


私の秘密


黒髪を白くなるまで梳くための長い腕持つ私の母系

神々の足匂う夜更け薔薇盗りに出たきり私のかわいそうなママ

あの家の床下の蜘蛛の巣の奥の乳歯に至る私の「その時」

北風に向かい天馬が放尿の虹つくるとき私の開運

大花火ひろがれば不滅の胎児ドーンとさずかる私の閉経

どの生の記憶か日増しによみがえり夜霧を食べる私の夫

這いまわる不埒な眉も静まってへのへのもへじが私の死顔

胃袋のような月だけ生きている地に出土する私の位牌


空腹


食うまでは一種の軽蔑禁じえぬおろかな蟹のきよらかな肉

狼は神聖な肉 下腹に薄荷の味のたましい宿し

長い肉 蛇たぐり食うおもしろさ尾を見るころは気のふれかかる

鼻先をよぎる蜥蜴を咬み殺し渇きをいやす夏の交尾期

仏らの福耳の厚い桃色の肉思うとき尻尾を踏むな

草食獣となったかつての親友もたいらげてまた明日は空腹

肉の味みな究めたとうそぶいて残すはこの身 憂鬱な肉


少女


星空を従えて近づいてくる夜道で出会う少女は怖い

いたみやすい真夏の闇は新鮮な長い悲鳴で殺菌される

泣いてしまえば所詮は少女ものかげで赤い十円玉になるだけ

うつぶせの地蔵の間遠になる脈を百まで数えて少女にかえる

おりてきた蜘蛛吹きながら大地震待ちわびている米寿の少女

いつまでも少女でいるその代償は絞殺される毎晩の夢


マミイ


稲妻が天地に白くほとばしるあっぱれマミイの自慢の乳首

まどろめばえくぼ冷えゆく産褥期マミイマミイと森羅万象

指吸ってむずかるベビイふと黙るあれはマミイの蘇生の嗚咽

この惑星(ほし)をはぐくむマミイの心音に贋のベビイはお尻を濡らす

ひしめいて呻く亡霊を一掃し闇を清めるマミイの一発

またぎ越す山河たちまち花盛り腋毛そよがせ歩めよマミイ

目を閉じて前髪を吹き上げながら怪談を作りためているマミイ

幾星霜マミイの丈夫な子宮にはラララぼくらの落書き残る



この野原代表し虹にげんこつを振りまわしている東の正ちゃん

ごくまれに虹宿す実もあると聞き南瓜畑を叩いてまわる

色褪せて流れつく虹たくさんの手が抱きおろす西方浄土

北限の虹をにらんで滅びゆく牛に加わる私を止めて

わけもなく倒れて今は白亜紀の地層に寝息をたてている虹

真夜中の路上に発芽した虹を吹き消したこと誰にも言うまい 

中国のとても淋しい虹博士 出る虹出る虹一喝で去らせ


ナマケモノ


隠し事なんかないのに胃袋の底まで照らす月の一瞥

同じ木の雄とときどき交尾してあたしは宵越しの思い出もたぬ

満足の吐息をもらし眠る間にあたしの木々を育てる陽と雨

長い腸めぐる大量の便の他まだ何かあるさては赤ン坊

頬ばった口の動きをとめて待つ 今夜生まれるこどもは良い子

さようなら 葉っぱ食べ食べ遠ざかり見えなくなれば忘れる坊や

なまぬるくなった目玉を冷やすため熱帯の雨はあおむけに浴びる

毛づたいに命の抜けるからだから気配を察して跳び離れる虫

早口にざわめく木々よ その枝に夢の終わりの長い抱擁


須弥山大運動会


よりぬきの朝日をあびた力こぶ三千の虹放つ須弥山

唱和する「佛道無上誓願成」微風にゆれる桃色の耳

ピッパラの葉ずれすずしい須弥山に膝曲げ伸ばす仏の体操

白象がぱおんと鳴いて綱引きの一度に傾く裸足の仏

なむなむなむ大小の仏なむなむなむなむなむなむなむ抜きつ抜かれつ

黄色い声あがる須弥山とりかこむ七重の海に潮吹く鯨

休止する三千世界のすみずみに届け仏のはずむ息づかい

汗だくの仏を洗い流すべく雨雲が来る虚心合掌

陶酔の去りゆく須弥山さようならさようなら月をいくつも上げる


夜の出来事


猟犬が今日も夕日にはにかみを学びそこねて舐める水たまり

鞠はるか漂いゆきあの世はあちら素っ裸で跳び込む蛙たち

立小便あおげば暗い天蓋をこじ開けて亀が降ってくる冬

浮遊霊ひとつたちまち吹き消してぼろきれの雲急ぐ夜の海

濃密な闇夜に足を組みかえて聞き入る虫の侍言葉

賭博師らすってんてんの魂の皮めくられて夜風にふらつき

月のない夜の産卵は不揃いな目をした原始の神が見届ける

蹴るよ北風南風吊るされた男にはじまる星空野原

腹立ちに眠れぬ馬の耳もとで夜通し童話を読んでやる騎手

終電の明かりを消した網棚にまだあたたかい観音の腕


ろくじゅうごうきねん


「かばん」六十号記念に寄せて。ただし六十号記念を意識したのはてっぺんとつまさきだけ。残りは埋め草である。


驢馬よ振り返れよ厚いまつげごしああ夥しい伝説の糞

雲ひとつ残さずサーカスは去って老けこんだ町にうるさい鐘の音

銃声に砕け降る空いくつもの夢さめて笑いまたさめて泣き

幽霊の消え残る都市を睥睨し鴉の王は朝日も似合う

嘘つきで美貌の幼女手を叩き死んだ枯れ葉を踊らせる午後

語尾長く駱駝なだめてゆく旅の乾いた舌にころがす瑪瑙

薄目して女神はどんな口づけを待つのか星の降る系統樹

狐狩るみんなはどこに風が来てかさこそ枯野に積もる枯れ虹

ネーブルの中の少女がおしっこを我慢しながら唱えている九九

んわわんと凝縮する宇宙の底でやさしい大魚が呑みかくすゼロ