ここ数年来、私の俳句作品は「日本海軍」という標題を掲げて発表されている。これには、日本海軍創設以来の歴代主力艦の艦名が、それぞれ一句に1つずつ内蔵されているので、そう名づけたわけである。
この計画も間もなく完了するが、これが一冊の句集にまとめられるときには、数えて七十四の艦名が、ずらりと並ぶことになろう。そのむかし、清国の北洋水師が東洋一を誇った装甲艦「定遠」「鎮遠」を黄海に撃破した「松島」「橋立」「巌島」という小さな海防艦を筆頭に、あの大戦の末期、日本海軍の落日と運命を共にして太平洋の海底ふかく沈んだ巨大戦艦「大和」「武蔵」に至るまで、とにかく一等巡洋艦以上の戦列艦は、すべて網羅する予定である。
ただし、この句集の意図は、日本海軍の歴史を忠実に俳句でなぞってゆこうとするものではないから、実際にはこの世に存在しなかった軍艦の名も幾つか出てくる。いわゆる八八艦隊の主力艦として計画されながら、軍縮条約の締結で建造中止となった幻の戦艦も、たとえば「紀伊」「尾張」「近江」「駿河」など、すでに艦名の決まっていたものは、これに加えてある。
いずれにせよ、ここに並ぶ艦名は、もはや失われたものばかりなので、これらが失われるに先立って確実に存在したか、それとも失われる前から架空の存在であったか、などという区別は、さして問題ではなかった。だいいち、この句集の冒頭の一句
松島を
逃げる
重たい
鸚鹉かな
※総ルビ句:松島(まつしま)/逃(に)/重(おも)/鸚鵡(あうむ)を見てもわかるように、その艦名を持つ軍艦の一つ一つの運命に即して書かれているわけではない。むしろ,この作品は、松島における曾良の一句「松島や鶴に身をかれ時鳥」を意識の底において書かれたと 言うべきであろう。
したがって、この句集から「日本海軍」という標題を取り除いてしまえば、そこには私たちが久しく馴染んできた国々の名や山と川など、まさに地霊の声を喚起してやまぬような固有名詞ばかりが集められていることになる。そして、率直に言えば、そうなることが私の本当の狙いでもあった。それは、いわば新しい歌枕を仕立てあげてゆくことであった。
思うに、人間の魂の奥ふかいところを揺り動かすような強い喚起力を持つものは、季節にかかわる言葉(季題)だけではない。地名その他の固有名詞にも、時には季題以上に人生の題を暗示するものが少なくないのである。
しかし、一時的な便宜を思うのみで、これに安直な姿勢で近づいてゆくことは、あまりも含羞を持たない行為であり、みずから俳人としての誇りを汚すものであろう。
ところで、三十年前の私は、いまだ少年を離陸しきらぬ青年の含羞の盛期の真っ只中にいて、まず「伯爵領」という架空の自治領を生み出し、その領内を巡察しながら次々と架空の地名を与えてゆき、そこから若書きの作品を飛翔させていたのであった。だが、この「日本海軍」が新しく仕立てつつある歌枕は、それを更に遡る私の少年期、すなわち、もはや跡形もなく失われてしまった時間への、はるかなる挨拶を孕んでいるようにも思える。
陸上競技や水上競技の各種目について、世界記録と日本記録を完全に諳んじていた少年期、十両以上の全力士について、その身長、体重および所属の部屋の名に至るまで知悉していた少年期、また、あらゆる日本の軍艦の基準排水量や兵装その他の一切の要目を暗記していた少年期、この幼稚で不毛きわまりない不思議な情熱が、いま、ふたたび、悲しくも私な喚起してやまないのである。
ちなみに、この句集の巻末に予定されている艦名は「高千穂」である。ただし、これは明治時代に活躍した同名の二等巡洋艦ではなく、私の少年期の思い出に、当時の少年小説「新戦艦高千穂」から取り出して来たものである。
●『日本海軍』の句は すべて総ルビ。
●落款がない色紙は書き損じ、もしくは正月に家族が集った時などに遊びで書いたものです。
松島(まつしま)を/逃(に)げる/重(おも)たい/鸚鵡(あうむ)かな
生胆(いきぎも)を/献(けん)じて/従五位(じゆごゐ)/壱岐津彦(いきつひこ)
那智(なち)に置(お)く/名無(なな)しの/汝(なれ)や/閑古鳥(かんこどり)
雪(ゆき)しげき/言葉(ことば)の/富士(ふじ)も/晩年(ばんねん)なり
八雲(やくも)さし/島(しま)ひとつ/いま/春山(はるやま)なり
無二(むに)の/武蔵(むさし)の/無念無念(むねんむねん)の/蝙蝠(かはほり)よ
古鷹(ふるたか)は/思(おも)へりき/杉彦(すぎひこ)と/櫻彦(さくらひこ)
「失敗しちゃったからふーちゃんにあげよう」
と言ってくれたものです。(娘はゴミ箱か?)
色紙に落款を押す時に、
「僕の色紙も売れるんだそうだ。偽札を発行しているみたいだね」
と言って笑っていました。
(蕗)
日(ひ)は眠(ねむ)る/扶桑(ふさう)や/東(ひがし)/なかりけり
聞(きこ)えざれども/高雄(たかを)に/鷹(たか)の/太郎(たらう)かな
野川(のがは)ひとつ/利根(とね)に/遂(と)げゆく/ふるさとよ
又聞(またぎき)/なれど/天城(あまぎ)の/天狗倒(てんぐだふ)しかな
2018・11・26