短歌エッセー 太平の眠り

太平の眠り ――機会詩としての短歌を考える

高柳蕗子

「かばん」2010年12月号掲載

パソコンで読みやすいように掲載時より改行を増やしました。



「詩歌梁山泊」というシンポジウム(2010年10月16日開催。歌人・俳人・詩人が集まった)に行った。短歌・俳句・現代詩をいろんな角度から見比べるというのだから、期待と興味の集まる会であった。

その中で出たいくつかのキーワードに啓発を受けた。本エッセイはそこから組み立てた。要旨を先に書く。忙しい人は左の一~五だけ読めばいい。残りの部分は、そこに至る思考の過程をなぞり例歌を検証したものだ。

一、「機会詩」という言葉はしばしば、いわゆる「社会詠」に結びつくが、「機会」に臨んで個人の立場を超えて詠む歌が、短歌の伝統の中にはある。

二、そうした「機会詩としての短歌」は、公的な歌、みんなの気持を代弁するなど、作者個人の立場を超え、「なりかわって詠む」歌、あるいは歌人の役目として詠む歌であることが多い。

三、「機会詩」に限らず、歌を詠む動機として、個人の呪術的なまでの深いレベルから言葉が発露することがある。それは、短歌という形式の持つ呪術性への期待につながり得る。それは「言葉が人になりかわる」「短歌のボディに魂を託す」ことへの期待にシフトする。

四、「現実を詩の言葉に昇華する」としばしば言われるが、現実を「昇華」したいという欲求は、私にはいまのところ全くぴんとこない。言葉で現実を把握しようとすること自体が呪術的欲求だ。さらに「機会詩」の動機は、現実に対処するために、言葉で事態を安全化したいという、深層の呪術的感性までしぼりきって、那須与一のごとく渾身のかけがえのない表現を放つことだ。

五、「現実」に対して、人はとても微力だが、対処しなくてはならない。言葉での対処は、さらに微力であり、個人のささやかな思いをささやかに書けば、その言葉はささやかに個人の心に対処するのみだが、その個人的ささやかレベルを超える方法として、短歌という詩型の呪術的経験値の高さにもっと注目されてしかるべきだと思う。


■機会詩という言葉を聞いた

「機会詩」という言葉、広義には、ゲーテの、

①私の詩はすべて機会詩であり、現実から暗示を受け、現実を基礎としている。

のように、何か現実に触発されて作られた詩をさすようだ。

右のゲーテの言葉はシンポジウムの参考資料にあった。「岡井隆は、この言葉が島木赤彦、斎藤茂吉らの写実・写生の基底になっている、と説いた」という意味の説明も資料にあった。これに関しては、

②事件に出会った自分がいかにそれを短歌に昇華し時代の真実を表現できるかが、現代短歌の機会詩の根拠である。

③短歌というジャンルは、自分が生きている時代に起きた事実など、かけがえのない事実を詠もうとする。

④衝撃的なことがあると絶句する。あとから立ち上がってくる言葉を、沈黙をくぐった言葉として、詩人は信頼する。

⑤短歌は主体が「一人称複数」の場合がある。

⑥辞世は短歌が多いのはなぜか。

という意味の指摘や問題提起があった。

そうかなあ。そうなのかなあ。「昇華」って何かなあ。「事実」って「かけがえがない」から詠んでいるかなあ。「沈黙」をくぐること以外にも言葉を信頼するケースがある気がするなあ。……頭の中で連鎖的にものごとが繋がりはじめる。人の言葉がほとんど聞こえなくなった。


■絶句しつつ覚醒し、時間稼ぎに口がしゃべる

ちょっと脱線するが、このシンポジウムのとき、私は幽体離脱的な覚醒状態なっていた。(ぼんやりしつつ妙に冴えていた。)

見回せば、現在の「かばん」の友人、過去の「かばん」の友人、歌人になってから知り合った俳人、俳人だった父の関係でもっと昔に知り合った俳人……。中でも衝撃的だったのは、私が生まれる前、若き日の父が率いた同人誌に十八歳で加わった、という俳人に会ったことだ。

今の私が、過去と私、さらに父にまで地続きになる。これが幽体離脱的覚醒の原因らしい。この状態は、先の「衝撃的な事実に対して絶句する」のに似た現象ではないかと思う。自分が立脚している事実の基盤が変わる。新事実に対応すべく、認識修復ソフトが自動的に起動し、裏面で作業をしているもようだ。しかし、私の口は、「沈黙」はしていない。「まあ、なつかしい」などと、むしろふだんより饒舌でさえある。

幽体離脱(ぼんやり)しながらの覚醒(ふだん使わない機能が働く)は、口をきいていても「絶句」している。衝撃を受けたときは、かえってスラスラと言葉が出てくることがある。これはいわば、しゃべりながらの「絶句」だと思う。

そのスラスラはウソの言葉というわけでもない。とりあえずの「時間稼ぎ」だ。多くの人と再会を喜びあい、「なつかしい」などの言葉が苦も無くほとばしり続ける。「なつかしい」のはウソではない。が、「そうとしか言えない」もどかしさを伴っていて、つまり、頭は「絶句」状態でも、口は「沈黙」できないので、ウソではない言葉で「時間稼ぎ」をするのである。


■短歌の「機会詩」って「社会詠」なの?

さて、「機会詩」としての短歌の話に戻る。

シンポジウムの中で、「機会詩」の参考例として、現代のいわゆる「社会詠」が主に取り上げられることに、私は違和感があった。事件や災害などによせて作られた「社会詠」も「機会詩」に含まれるとは思うが、現代のいわゆる「社会詠」は、事件などを目にした自分の心情を描くものが多い。「社会詠」という言葉は、単に事件を題材にした歌すべてを包含してしまう。そんな「社会詠」を「機会詩」の中心に据えるのは抵抗がある。

なぜなら、短歌には、もっと「機会詩」らしい「機会詩」があるからだ。

少なくとも江戸時代までの歌人は(多くが和歌を詠めた時代は多くの人が)、詩の表現者であると同時に、必要に応じて「機会詩」を詠む必要があった。名のある歌人なら特に、即座に現実に対処して有効な歌を詠むことが、役割として期待された。公的な立場や、誰かになりかわって詠むのである。そういう歌では、自分個人の心情を詠みあげることは目的ではなかった。

たとえば、行き倒れの人を見て詠んだ鎮魂歌、船出等に際して詠まれたはなむけの歌、惨事や不祥事の縁起なおしのために詠まれた狂歌、大事件や不祥事の際に街に流れたコメント的な落首などがそれに当たる。切腹など自分の死に際して詠んだ辞世は、個人の心情なのだが、呪術性において、実は通底している面がある。(後述)

こういう歌には、ぜんぜん名歌でないものも含まれるが、「機会」に対して処する、詩歌の姿をした言葉ではある。短歌(和歌)は、神秘的な力を帯びるとされていて、そういう役割も担ってきた。

この和歌の言霊力は、おおらかに説話で語られ、能では「和歌の徳」と呼ばれる。現在ではすたれた「和歌の徳」だが、短歌という詩型の中には、記憶されているかもしれない。

■私が「機会詩」と思う歌の種類

【魂鎮め 呪術性と個の超越】

「機会詩」の筆頭は鎮魂歌だろう。その前にまずこちら、聖徳太子が行き倒れの瀕死の旅人を見て詠んだ長歌を見てみよう。

しなてる片岡山に飯(いひ)に餓(ゑ)て臥(こや)せるその旅人(たひと)あはれ親無しに汝(なれ)生(な)りけめや さす竹の君はや無き飯に餓て臥せるその旅人あはれ 聖徳太子

(片岡山で餓えて斃れた旅人よ。気の毒に。親なく生まれたはずがあろうか。主人はいないのか。=親や主人などが心配しているだろうに、気の毒になあ。)

聖徳太子はこの旅人に食べ物を与え衣をかけてあげたという。よく似たシチュエーションで、「龍田山の死(みまか)れる人を見て悲傷(かなし)びて作りませる御歌」というのもある。こちらの旅人はもう息絶えている。

家にあれば妹が手まかむ草枕旅に臥(こや)せるこの旅人あはれ 聖徳太子

(家にいれば妻の手を枕とするだろうに旅先で倒れているこの旅人がいたましい)

気の毒でおもわず口をついて出た歌だろう。相手が死んでいても生きている人に対するのとほとんど同じ口調である。だが後者には、人としての優しさと併せて、魂鎮めをするという呪術的な意味合いもあったはずだ。古代の人は悪霊を怖れていて、行き倒れなどの気の毒な死者を見たら、通りすがりの聖徳太子でも誰でも、魂鎮めの言葉をかけたらしい。祟りを避ける専用の呪文歌もあったほどだ。(末尾のオマケ参照)

見ず知らずの人のために鎮魂歌をその場で手作りする。こういう歌の動機は個人の優しさを超えたものである。

「呪術的」だなんて胡散臭いと思うだろうが、現代人も、事故現場に花を供えるなど、まだ呪術的な優しさや怖れを失ったわけではない。(「昇華」という言葉の胡散臭さに比べたら、「呪術」のほうがましではないか?)

さて、魂鎮めの対象は個人だけではない。

楽浪の志賀の大曲(おほわだ)淀むとも昔の人にまたも逢はめやも 柿本人麻呂

これは、万葉集の長歌「玉襷畝火の山の橿原の(中略)大宮はここと聞けども大殿はここと言へども春草の繁く生ひたる霞立つ春日の霧れるももしきの大宮処見れば悲しも」の反歌のひとつで、近江の荒れたる都を過ぎし時に作ったとある。

長歌もこの反歌も、かつて華やかだった都が荒れ果てたさまを見た感傷を詠んでいるが、併せて、荒れた都に対する魂鎮めの意識(個を超えた役割意識)も含まれていることに注目したい。

【祝福 ここにも呪術性と個の超越が】

熟田津(にきたつ)に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな 額田王

(熟田津で船に乗ろうと月の出を待っていたら、〈月も出たし〉潮も満ち、船出に良い具合になった。さあ、今こそ漕ぎ出よう。)

この歌はシンポジウムでも引用された、船出を祝福する歌。その船出は戦争のためである。歌は古典の時間に習い、戦争は「白村江の戦い」として歴史の時間にバラバラに習う。(唐と新羅に攻め滅ぼされた百済の遺臣たちが同盟国である日本に救援を求めた。日本は二万七千人あまりの兵を送ったが大敗した。)

百済に援軍を送るべく、斉明女帝は難波津から熱田津(愛媛県伊予)を経由して九州へ向かう。その熱田津出港の際、額田王が詠んだ歌で、月光と潮が満ちてくる情景を詠んで困難な航路を旅立つ人々を勇気づけた。(額田王も九州まで同行したのかどうかは知らない。なお斉明女帝は九州で急死した。)

古代の船旅は危険だし、目的は戦争だし、女帝自ら九州へ赴くとなれば、とびきり上等の「はなむけ」(旅立ちや門出に激励や祝福を込めて金品、言葉、詩歌などを送る挨拶的な行為。)が必要だ。この歌にも魂鎮めの歌と同じく、呪術性と個の超越がある。旅の無事と目的の成就を祈るのはやや呪術的な祝福だし、その祝福は、個人の心情を超えた立場からのものである。目的に適い、なおかつ名歌であることが要求されていた。額田王はこういう場では職業歌人であり、詠み損じることなどできなかった。


【辞世 魂の身の振り方と自己の鎮魂】

風さそふ花よりもなほ我はまた春の名残をいかにとやせん 浅野長矩

これは、赤穂藩第三代藩主で赤穂事件の中心人物、浅野長矩の辞世と伝えられる歌。春風は命短い桜を散らすものとして辞世では常套的なもので、下句には心残りが滲ませてある。

有名な人の辞世とされているものはたいてい真偽不明である。本人が作らなくても誰かが勝手に代作してくれて、まことしやかに伝わってしまうことがある。が、「機会詩」として見るなら「偽」でもかまわないだろう。なにしろ和歌には、他者の心情を代弁する、「なりかわって詠む」という詠み方があり、(古歌の詞書きにはときどき、「〇〇の人にかはりて」とある。)本人だろうが代作だろうが「機会詩」であることにかわりない。浅野長矩のような事件がらみで切腹する人の辞世は、仮に面白半分の代作だとしても、残り半分には、「魂鎮め」的な動機が含まれている可能性が高い。

では自分で詠んだ辞世はどうだろう。辞世を集めて読んでみると、生涯のしめくくりの演出や、和歌などを詠む余裕を見せるなど、「立派な死に方」をすることが辞世を詠む動機の何割かを占めていると感じられる。個人レベルではそれはかなり重要だろう。

だがもうひとつ、重要な動機があると思う。それは、自分の死後の魂の身の振り方を表す、ということだ。

たとえば憤死する人は強い憤りを詠んで、自分の死後にもその憤りを残そうとした。

身はたとへ武蔵の野辺に朽ちぬともとどめおかまし大和魂 吉田松蔭

(家族宛の辞世は「親思ふ心にまさる親心けふのおとずれ何ときくらん」)

吉田松陰は、明治維新の頃の思想家で、二九歳で斬刑となった。先の浅野長矩の歌もそうだが、心残りがある人の歌には、「歌が自分になりかわる」「自分が死んでも歌が生き残る」という期待が少し感じられる。まさに「とどめおかまし」だ。

だとすれば、逆の配慮をすることもあるだろう。それは、自分自身の鎮魂だ。「心残りはありません。恨みなどはとどめおきません」(祟りません)という宣言である。自らの鎮魂歌であるわけだ。

あら楽し思ひは晴るる身は捨つる浮世の月にかかる雲なし 大石良雄

大石良雄(内蔵助)は赤穂浪士で赤穂藩筆頭家老。四十七士の頭目。先に浅野長矩の辞世を引いたが、これはその仇を討った大石の歌。名歌でもなんでもない。切腹するけれど、思いは晴れ、心や月にかかる雲なし(このフレーズは辞世の常套句)である。こう詠んでおけば魂は「とどめおかれ」ずに成仏する。

要するに辞世は、自分の死後の魂の身の振り方のようなものを示す場合もあったわけだ。

(なお、辞世はしばしば終吟絶筆等と混同されるが、「機会詩」としては、区別すべきである。詠んだのがたまたま死の前だったケースは、ことさら「機会詩」と見る必要はない。自らの死に臨んで、あるいは死を想定して詠むから「機会詩」なのである。)

【落首 縁起なおしのように事件をなだめる】

太平の眠りを覚ます蒸気船たつた四杯で夜も寝られず 落首

(「蒸気船」には「上喜撰(高級茶の銘柄)」が掛っていて、恐怖で眠れないのを茶で眠れないことにずらしている。「杯」は飲み物だけでなく、船の数え方でもある。)

落首や狂歌は、事件の風刺的コメントとして詠まれることがしばしばあった。主に掛け言葉で不祥事をちゃかすのだが、良く似たことで、縁起の悪い出来事があると狂歌師に頼んで、掛け言葉で縁起良く言い換える歌を詠んでもらうこともあった。ここには「事態をなだめる」=「掛け言葉で安全化する」という意識が働いている。短歌にはその力があると思われていたのだ。そして、不祥事をちゃかす動機にも、安全化意識が少し含まれていると思えるのである。(「太平の」の歌については後から補足する。)

この源流は、歌で事態を好転させるおびただしい説話に求められる。古今集仮名序で歌の父母としてあげられている「あさか山かげさへ見ゆる山の井のあさくは人をおもふものかは」にも伝説がある。安積采女と葛城王の話だ。もてなしを不満として怒る葛城王を采女がこの歌でなだめ、葛城王は機嫌をなおしたというのだ。

このように歌が事態を好転させた「和歌の徳」を讃える話は、説話集のみならず、古典の歌論書、歌学書にも数多く書いてある。

■短歌の一人称複数と「なりかわって詠む」

シンポジウムの中で出た、「5短歌は主体が『一人称複数』の場合がある。」では、先の額田の王の歌が引かれていた。人々の気持ちを代弁して、船の無事と目的の達成を願って送り出すはなむけの歌だから、主体は「一人称複数」だ。

その通りだ。(先に述べたように、「なりかわって詠む」歌だから「一人称複数」とは限らないが、)短歌(主に古典和歌)の一人称の不思議な自在さの一面を、うまくとらえた見方である。

また、このことは、主体の不思議さの説明だけでなく、なぜその歌を詠んだか(動機)と、作者が何をもってその歌を「できた」と認めたか(成立要因)にも関わる。短歌は「機会詩」として、現実に対して呪術的・実用的な対応をすることを動機としたり、その目的を果たすことを成立要因としたりし得たのだ。堂々と。

■なぜ辞世は短歌が多い? 短歌のボディあるいは反歌

「⑥なぜ辞世は短歌が多いか」についても、シンポジウムでちょっと話に出てきたものの、その場ではあまり明確な答えが出なかった。

あとから思いついたことだが、理由の一つ目はボディがあることだ。

「歌が自分になりかわることへの期待」について先に辞世の説明で述べたが、それを託すには、ボディのある定型詩がふさわしい。さまざまな思いを凝縮し、定型詩という姿のあるものに込める。「とどめおかまし大和魂」のような欲求を受け止めるボディとして、短歌はちょうどよい詩形なのではないだろうか。

二つ目は、遺書の反歌、または生涯の反歌としての位置付けであること。

辞世には、詞書きや漢詩が付けられていることがよくある。辞世の歌だけぽつんと詠むとは限らない。(先の吉田松陰の辞世は、獄中で弟子たちに向けて記した『留魂録』という遺書の冒頭に置かれている。)また、長歌に要約的な反歌をつけるように、生涯を長歌になぞらえれば、辞世は締めくくりの反歌のような位置づけになる。このことも、他の詩形に比べて短歌が辞世に選ばれやすい理由の仮説としてあげておきたい。

■機会詩で現実をしのぐ

さて、少なくとも江戸時代までの歌人は狂歌師も含めて、芸術家としての詩人であると同時に、必要に応じて「機会詩」を詠むことがあったのである。常套的なフレーズで事足りる場合はいいが、自分の認識力を超える大事件を相手にして沈黙できない場合、歌人はどうしただろうか。

太平の眠りを覚ます蒸気船たつた四杯で夜も寝られず 落首

先にも書いた歌。浦賀に現れた黒船に人々は仰天した。避難する荷車などで街は大騒ぎだ。この事態に言葉でどう対処したらいいのか。作者(不詳)自らも異国の黒船の姿に驚き、恐れを抱きつつ(絶句状態となりつつ)、歌詠みとしてはとりあえず、負けずに言葉を放たねばならない。狂歌で使い慣れた「掛け言葉で縁起直しをする」という方法ならばなんとかなる。どんな驚異も、掛け言葉で言い換えてしまえば、一矢報いつつ、言葉上で少し安全化(絶句中の時間稼ぎ)ができる。和歌が古来用いたこの方法には、ちょっぴりだが神聖な呪力があるはずだ。南無八幡大菩薩…ひょう。※

※「平家物語」で、平家方が扇の的を掲げて挑発。源氏方は那須与一という若者を選んで射るように命じた。眼をとじて与一は祈った。「南無八幡大菩薩、我国の神明、日光権現、宇都宮、那須のゆぜん大明神。願はくはあの扇のまン中を射させてたばせ給え。これを射損じれば、弓切り折り、自害して、人に再び面(おもて)をむかふべからず。いま一度本国にむかへんとおぼしめさば、この矢はずさせたまふな。」

この歌は、風刺歌として、国語の時間でなく社会の時間に教わるけれども、歌の動機は風刺だけだろうか。この作者もまた黒船に驚き、かつ、個人として無力であることを感じたはずだ。その上で、せめて自分たちのあわてぶりを笑う余裕を取り戻せるように、とりあえず言葉の中で安全化してみせたのではないか。その発想は、現代の私たちにはわかりにくいが、当時は真剣な動機ではなかったか。

言葉つきは立派、掛け言葉や縁語使いも見事。歌人の技だ。個人の心情やら意見やらをぶつけても勝てない現実だから、こういう言葉でしのぐ。これが詩歌として鑑賞されていないのは残念なことだ。

■「現実を言葉で捉え得る」は呪術的な発想

ここまでのところで、短歌を詠む呪術的動機がいくつか出てきた。公的な立場に「なりかわって詠む」という書き方はもう効力をなくしたが、「歌が自分になりかわって生き残る期待」など、呪術的な願いは、あまり意識されていなくても、まだ消滅していないかもしれない。

広義の「機会詩」は、現実からの触発によって詩が生まれることを言うようだが、これは事実を詩的に「昇華」したいだなんて変な動機より、呪術的動機で説明したほうがすっきりしている気がする。呪術的な動機とは、抗えない現実を、魔法的にチョット変える欲求である。

かけがえがない事実はやがて消えてしまうから短歌のボディにつなぎとめたいと思う。それって呪術的ではないか? 逆に、「とどめおきたくない」凄惨な大事件を何らかの言葉でフォローしたくなったら、それもまた、鎮魂意識に近い呪術的な意識ではないか?

いや、その前に、「言葉で現実を捉えたい」と、私たちは事もなげに口にするが、そもそも、「現実を言葉で捉え得る」という発想自体が呪術的ではないか。言葉にならない現実より言葉で捉えた現実が少し安全化されていると感じるなら、そこには呪術的な安心感が混じっていないか。「言葉で現実を変えたい」のも、呪術的には何の不自然もないのではないか。

「呪術的な欲求」は正直だが婉曲だ。大胆で強引だ。それは無意識の領域に潜み、「死んでも歌として生き残る」みたいなことを、自分にも内緒で願う。

とはいえ、個人の微弱な呪術性は、なかなか言葉に出力されないと思う。自らの呪術的欲求を恐れない強靭な理性感性と、短歌という現実対処の経験値の高い詩型が協力することで、他の詩形よりも容易かつおおらかに、(必ずしも名歌でなくても)呪術性が開放されやすいんじゃないか。これは、他の詩型に比べたときの短歌の特性、いや、徳性といえるのではないだろうか。

(もちろん、呪術は短歌に限った方法ではない。シンポジウムでは朔太郎の竹の詩も引用されていたが、ずいぶん呪文めいた詩である。)


■おわりに

「機会」とは何だろうか。私たちは、生まれてからの日々刻々を、「機会」に直面して来たのではないだろうか。その多くは無視してやりすごし、太平の眠りはめったに覚めることがなく、生涯の時間がさらさら過ぎる。たまに目覚めても、現実的に対処し得ることはわずかであって、その対処のうちでも、言葉で出来ることの大半は「時間稼ぎ」ではないだろうか。

稼ぐのは、自分の時間やみんなの時間。稼げる時間は一分だったり十年だったりする。千年稼いだらすごい言葉だ。

もっと考えたい、知りたい。でも覚醒ソフトが終了しつつある。太平の眠りがやってくる。


■オマケ 唱える「機会詩」


シンポジウムで話されていた「機会詩」は「機会に臨んで作る詩」を指していた。しかし、「機会詩」という言葉なら、「機会に臨んで唱える詩」も含み得るかもしれない。「唱える歌」をいくつかあげておこう。

※唱える歌、実用の和歌のコレクションは、当ホームページの「ちょろぱ」コーナーにも置いてあります。

また拙著「はじめちょろちょろなかぱっぱ」にも多数収録しました。

【呪文歌】

雨乞い、泥棒よけ、寝坊しない、失せ針探し、嫌な男と切れる、霊魂を呼ぶ歌等、呪文として使われる短歌形式のものが、たくさん伝承されていたが、この数十年でみるみる消滅したもようだ。

長き夜のとをの眠りのみな目覚め波のり船の音のよきかな

有名な歌を呪文として用いることもある。右は、古くからある回文歌だが、良い初夢を見るべく、大晦日に七福神の絵にこの歌を書き添えて、枕の下に入れて眠る習慣が明治時代まではあった。(悪い夢は宝船とともに流れ去る。)百人一首の「立ち別れいなばの山の峯に生ふるまつとし聞かば今帰り来む(在原行平)」はいなくなった猫を呼び戻す呪文でもある。

藤原清輔(百人一首「ながらへばまたこのごろやしのばれむ憂しと見し世ぞ今は恋しき」の作者)の歌学書『袋草子』には呪文歌が多く載っている。死者を見たら唱える「玉やたがよみぢ我行くおほちたらちたらまたらにこがねちりちり」などなど。

【説教・教訓】

ある種のシチュエーションでよく口にされる教訓歌も唱える「機会詩」に近い。

人は城 人は石垣 人は堀 情けは味方 讎は敵なり 武田信玄

「なせばなるなさねばならぬ何事もならぬは人のなさぬなりけり」(上杉鷹山)などもある。(俳句の「物言へば唇寒し秋の風(芭蕉)」も、ことわざ的によく使われている。)

【その他暗記等の実用歌】

その他、覚えにくいものを暗記するために短歌形式にまとめた「せりなずなごぎやうはこべらほとけのざすずなすずしろ春の七草」「みは上に、おのれ・つちのと下につき、すでに・やむ・のみ中ほどにつく(巳・己・已の区別)」のような短歌も、必要の都度唱えられる。