さて黄緑のものといったらまず思い浮かぶものは何だろう??
な、なんか汚い。
まあ、無難なものとしては、
などでしょうか。
汚いものをまず思い浮かべてしまうのは私が変な奴だからでしょう。
でも、黄緑が汚いものを連想させるってことは、
「黄緑」の詠まれにくさと多少関係があるかもです。
本日の闇鍋データ133796
うち短歌94296、俳句26246、川柳ほか13254
「黄緑」(黄緑、きみどり、黄みどり、キミドリ)を詠み込んだ作品は、短歌25首。
俳句川柳はありませんでした。
もともと食べ物は短歌にあま詠まれない傾向がある。でも、果物の表皮、果肉の黄緑はあんまり抵抗なさそうなんですけどねえ。
黄緑の動物っていうと、インコやなんかいそうですが、見つけたのはこのトカゲの歌だけでした。
2018・11・3 高柳蕗子
2018年11月5日追加
私の近現代データベースでは、
「薄緑(薄みどり等の表記も含めて)」を詠む短歌は25首。「黄緑」とほぼ同じ数詠まれています。
「薄緑」は古典にも用例がある。
古典時代から用例がある語なので、短歌に詠み込む抵抗はあまりなかったらしい。
以下のように、近代歌人の歌にも出てくる。
脱線しますが、こういう歌を見ると、啄木って当時そうとう斬新だったんだろう、とあらためて思う。
色の名称はとても多い。
同じ色の別名もあるし、大雑把な区分の名称や、微妙な違いで細分化した名称とか。
一方、色に限らないが、事象の側には区分はない。人間がものを認識するとき言葉で事象を切り分けるのだ。
(虹の七色というが、虹に7色を分ける境目があるわけではない。)
「薄緑」と「黄緑」は、現実の中では混じり合ってはっきり線引できない。
そして言葉を使う人間も、その線引を必ずしも明確には意識化できない。
でも、別々の言葉がある以上、人間・表現者の認識力が、そのように言葉で切り分ける「違い」を感じてはいるのだ。
詩歌の表現は、意味は同じでもよりふさわしい言葉を選択して表現に最善をつくすゆえに、その微妙な違いを反映する。
古典時代から用例があり近現代の短歌にもなじんで抒情的で美しい「薄緑」に対し、このごろようやく歌に詠み込まれるようになった「黄緑」は、短歌という詩型にややなじみにくい感じである。
そのせいか、表現に緊張があって、ありふれた表現に落着しにくいようだ。
「黄緑」はまだイメージが固まっていないけれども、だからこそ魅力のある言葉だと思う。
なお、「黄緑」は、私の手持ちデータの俳句川柳では用例がなかったが、「薄緑」は俳句にならわりに使われているようだ。
少しピックアップ。
【俳句】
★川柳も以下の句を発見した
高柳蕗子