雨の制止を振り切って、先を急ぐ人々
野路のにわか雨。さっき旅人が出立したあとから晴れてきた。あの人はもう少し雨宿りしてから行けば濡れなかっただろうになあ。
歌に直接書かれているのはそれだけだ。
雨が降れば旅人は雨宿りする。だが、にわか雨はいつか晴れると知りつつ、待ちきれずに雨の中を歩きだすのも人の常である。その場合、やや飛躍的に言えば、人は自分用の雨雲を人生の課題として追う旅人になるのだ。
この歌は、その旅人のあとから晴天が追いかけてゆくという、面白い構図を詠んだ歌だ、というのが私の深読みぎみの解釈である。
この歌からそこまで読み取るかどうかはともかく、「無理するな、休んでいけ」と雨は人を足止めするが、人はわざわざ雨空を追うことがあることは確かであり、短歌はときどきその微妙なジレンマのような心の状況を詠む。
再考や決断を促される
雨が決断を迫る、ということがある。
なんらかのジレンマのようなものを抱えて迷っている人が雨に降られると、雨のせいにして諦めるか、雨をものともせずに断行するか、と決断を迫られ、迷いから一歩踏み出さざるを得なくなる。
口中に言葉があふれる状態と土砂降りの激しいさまが重ね合わされている。それだけでなく、この人物の口にいまあふれんばかりのその言葉は、言うべきか言わざるべきか、雨音に負けぬとばかり大声でそれを言うのか、それとも雨に封じてもらうのか? そういう選択の状況が詠まれていると思う。
似た状況の歌をさがしたら、こういうのもあった。
こういうふうに、迷いがあるときに天候が意思決定を促す、という趣向の歌もときどきある。
余談ですが、昔、いわゆる自殺の名所に「一寸待て、考え直せ、もう一度 」という立て札があったそうだ。
( 今あるかどうかは知らない。こういうとき575ってどうなの、とも思うけど、ワンクッションが案外いいかも?)靴底のガムだけが引き止めた、というのは、人間がひきとめてくれなかったさみしさを言うレトリックだ。
「ガム」は珍しくて、ふつうは「風」だ。古典和歌で「風よりほかに訪ふ人ぞなき」は「誰も来ない」という意味であり、「●●するのは風だけ=誰も●●しない」というレトリックだ。
信号はことごとく青で、自分をひき止める要素は風だけだ、というのは、自由で順調のなかのかすかな不安要素である。
「つひの足跡」ってすごいな。崖のうえまで続く足跡? 線路まで続く足跡?
信じてみるか。
こども時代は親などが気をつけてくれた。説教は口うるさくとも、いざというとき身を挺して守ってもらえた。
でも大人になったあとは、自力で悩んで意思決定をしなければならない。周囲の人の励ましや警告を参考としつつ、決めるのは最終的に自分である。
※でも、なぜだろう、上記もそうだが、「◯◯してあげる」という歌は妙な毒を含む歌のほうが多いみたいだ。
男の子なるやさしさは紛れなくかしてごらんぼくが殺してあげる 平井弘
とかね。
※「◯◯してあげる」という言葉は、親切を申し出る言葉として日常よく使うが、短歌のなかでは、屈折した毒を仕込んで使うことが多いみたいです。どのぐらいの比率なのか気になる。いつか集めて読んでみたい。
流れるものをせきとめる、歯止めなど。良い場合も悪い場合もある。
★止めて止まるものじゃないのかもしれないが、滅びに至る暴走みたいなものもある。
独楽の精ほとほと尽きて現なく傾ぶきかかる揺れのかなしさ 北原白秋
暴走は危険だが、しかし、「止めたら、止まったら死んでしまう」というのもまた命の一面である。
オルゴールは曲の途中で止まる。切りの良いところで止まりたいだろうに。人も人生の切りの良いところでお別れできたら。
という解釈をしたら「なぜ人生のお別れか。恋愛の終わりとかにも当てはまるでしょう」と言われた。
確かにそうだ。ただ「オルゴール」の「ゴール」があるので、「終わり」感の強い別れにふさわしいだろう、と応じたら、そんなダジャレ、誰も考えないと笑うので、私もいっしょに笑った。
が、はたしてそう言い切れますか? 「オルゴール」の「ゴール」は「終わり」感を強めていませんか???
時間などは止めたくても絶対にとまらない。人間も止まらないことがある。
粛々と流れるもの。(このごろ「粛々」は、「聞く耳を持たずに断行する」という感じの悪い言葉になってしまったが。)
(出典はたぶん「かばん」誌だが年月不詳)
関連して
バタフライで泳いでいるところだろう。
「呼び止める」は引き止めるほどではないニュアンスだが関連はありそう。
分類しきれないいろいろな「引き止める」をとりあえずここに。
いかがでしたか?
「止まる」「止める」「止めてほしい」……。
現実には「やめなさい」などと言われて断念させられることがよくあるように思うのですが、そのわりに「止めないで」というのがあまり見当たらなかった気がします。
2018・7・14