「弁当」「駅弁」等のキーワードを含む短歌を検索し、分類して少しずつピックアップしました。
「おにぎり」は別途集める予定ですが、ここにも多少加えてあります。
弁当を詠んでいても、「弁当」等のキーワードを含まない歌がありえます。
データベースのテキスト検索では見つけられませんが、たまたま見つけた歌は含めました。
弁当といえば、日中に外で食べるのが最も一般的だろう。
そのせいか、光る、輝くなどの語を含む例が目につく。
おにぎりにはこういう歌があるんですね。
このごろ食べ物の歌が少し変化している。
以前は食べ物は生きるための糧として詠まれていたのだが、このごろ「死」に結びつく傾向が強まっていると思えてならない。
自分が社会の糧として食われていくような感じ、かなあ。
まあ、個々人がそう意図して申し合わせて詠むわけではないので、バラけていますが、でも詠まれることでだんだんそこに絞られていく予感。
(私の予感は半分ぐらい当たります。)
いつかちゃんと歌を集めて検証したいです。
ほとんどナシ
弁当ではないが、万葉集には旅先の食事を詠む歌があった。
家にいると器によそうご飯を、今は旅の途中なので椎の葉に盛る。
楽しい旅ではなくて、中大兄皇子と不仲 だった有間皇子が 反逆計画がばれて捕まり護送されているときに詠んだとのこと。
その後、古典和歌(本流)では食べ物は歌の題材と思われていなかったから、弁当の歌は詠まなかった。(なかには変わり者がいたかもしれないが。)
ロビン・D・ギル(Robin D Gill )さんに一部英訳付きでご教示いただきました。
※江戸後期出版の『題林』に再載された睦丸の1786以前の上方狂歌。 ほる=投げる 。犬に「お手」の芸を教え込むほど長い一日。
Even the burden of life we bore, on the return trip, ignored:
box-lunches once on our backs, now ride inside our bellies.
日文研のデータベースで俳諧を検索したら、発句ではないが以下の西山宗因の他に4例があり、下の宗因の句以外はすべて七七句だった。
2019年11月15日 同 11月29日更新
私のデータベースは、語の使われ方の変遷などを見るためなど主に統計を目的としてデータを集めております。
直接入力だけでなく、青空文庫、歌人のブログ、そのほかネット上で見つけたデータをコピーさせていただくこともあります。
見ず知らずの方々の努力の成果を労せずして頂戴しており、感謝してもしきれません。評論などで世の中に還流させることで報いたいと思います。。
データベースに収録した歌句は、日々表記等の確認に努めておりますが、数が多いこと、また、自分が原典を有しないものがあるなど、なかなか点検が追いつかない状況です。
高柳蕗子