古代からある言葉遊び。単に同音を重ねるだけでなく、独特の理屈っぽい言い回しで、道歌・教訓歌に多く見られる。
なお、逆の遊びにいろは歌のような「同じ文字なき歌」がある。
梓弓引きみ弛へみ来ずは来ず来ば来そをなぞ来ずは来ばそを(万葉2)
今今と今という間に今ぞなく今という間に今ぞ過ぎ行く
瓜売りが瓜売りに来て瓜売れず売り売り帰る瓜売りの声(早口言葉)
思へども思はずとのみいふなればいなや思はじ思ふかひなし(古今19)
思ふ人思はぬ人の思ふ人思はざらなむ思ひしるべく(後撰9)
思はんと思ひし人と思ひしに思ひしことも思ほゆるかな(伊勢大輔集)
思ひなき思ひに似たる思ひかな思ひのうちに思ふ思ひを(新撰和歌髄脳)
上加茂の傘屋が紙屋に傘借りて加茂の帰りに返す唐傘(早口言葉)
金拾ふ夢は夢にて夢のうちにはこすると見し夢は正夢(詠百首狂歌)
唐衣また唐衣唐衣かへすがへすぞ唐衣なる(源氏物語・光源氏の作)
堪忍のなる堪忍が堪忍かならぬ堪忍するが堪忍
君をわが思はざりせばわれを君思はんとしも思はざらまし
心こそ心をはかる心なれ心のあだは心なりけり(古今6)
心こそ心迷はす心なれ心に心こころゆるすな(鳩翁道話)
来むといふも来ぬときあるを来じといふを来むとは待たじ来じといふものを(万葉4)
さくら咲く桜の山の桜花咲く桜あり散る桜あり
悟りとは悟らで悟る悟りなり悟る悟りは夢の悟りぞ
月々に月みる月のおほけれど月みる月はこの月の月(夏山雑談)
つらければつらしと言ひつつらからで頼むとならば我も頼まむ(玉葉集12神祇歌)
なせばなるなさねばならぬ何事もなさぬは人のなさぬなりけり
なほもなほもいひてもいはむけふもけふ思ふ思ひのつもるつもりを(源俊頼・夫木和歌抄36)
人多き人の中にも人ぞなき人になれ人人になせ人
人の非は非とぞにくみて非とすれど我が非は非とぞ知れど非とせず
夢のうちは夢もうつつも夢なれば覚めなば夢もうつつとをしれ(続後拾遺17)
よき人のよしとよく見てよしといひし吉野よく見よよき人よく見(万葉1・天武天皇)
世の中を思ふもくるし思はじと思ふも身には思ひなりけり(本院侍従・玉葉10 )
世の中にかくべきものはかかずして事をかくなり恥をかくなり(荒木田守武)
世の中をかくいひいひのはてはてはいかにやいかにならむとするや(拾遺集19)
世を捨つる捨つるわが身は捨つるかは捨てぬ人をぞ捨つるとは見る
(遁世は身を捨てることではなく、救われることだ。出家遁世しない人こそ、身を捨てているというべきだ)
わが身ただえ心得ぬと心得て心得難き世にもふるかな(永正五年狂歌合)
わがよきに人の悪きがあればこそ人のつらきはわが悪きなり
(私がよい態度をもって接すれば人は悪意を持たない。人がつらくあたるのは、こちらの仕向け方が悪いのだ)
忘られず思はましかば忘れぬを忘るるものを思はましやは(玉葉11)
われを思ふ人を思はぬむくいにやわが思ふ人のわれを思はぬ(古今19)
畳句歌の一種だが、理屈っぽさがない。
梅めでし式部経るまま跡とへば花の軒端は香ぞ添ふて出る(蒼松亭清楽)
(うめめでししきぶふるままあととへばはなののきばはかぞそふてでる)
百も百(ももももも)股も股また桃も桃、百股桃の文字もこもごも…(喜三二)
老いの身の腰ののびたる杖つきの乃の字のなりの字の如くにて(霊元天皇・翁草)
丸ののののの字のなりの世の人のこころの丸きのぞよき(風早公長・翁草)
かたかなノノノ字ノなりノ似たもノノ笹ノ葉ノ絵ノ墨ノ一筆(武者小路実陰・翁草)
むさし野の笹の小笹の露のうへの夕の月の影のものうさ(幽遠随筆:の文字十ある歌)
いにしへのことの残れるみよしのの吉野の奥のかげろふの小野(幽遠随筆:の文字十ある歌)
日の本の肥後の火川の火打ち石日々にひとふた拾ふひとびと (横道黒塗師:細川幽斉か?・徳和歌後万載集)
やや趣旨が違うが・・・・。
さむらいが馬から落ちて落馬してすぐ腹切って切腹をする
さらに趣旨が違うが・・・・。
いちじく にんじん さんまの しっぽ
ごりらの ろっこつ なっぽ はっぱ くさった とうふ
ひとつふたつはいいけれど、みっつ三日月ハゲがある
よっつ横っちょにハゲがある いつついっぱいハゲがある
むっつ向こうにもハゲがある ななつナナメにハゲがある
やっつやっぱりハゲがある ここのつここにもハゲがある
とうでとうとうツルッパゲ