浦島太郎の歌の「帰ってみれば、こは、いかに」を、「コワい蟹」と思った、とか、
百人一首の「憂しと見し世ぞ」を「牛と見し世ぞ」と思ったとか、
そういう思い違い、覚え違い、カン違いを集めました。
※「思い違い」以外にも、言い違い、聞き違いにあてはまらなかったネタもここに入れておきます。
●「ローマの休日」を「老婆の休日」と聞き違うことって、よくありますよね。ない?
●子供のころ、近所の「第四団地」を「ライオン団地」だと思っていた。(知人の話)
●発見者名?
知人「リョコウバト」のことを長い間「リョウコバト」だと思っていた。
●わるい病
「公衆衛生情報」2007年11月号の平山美砂「わるい病」(冒頭部分の要約)
筆者の平山さんは、小四のとき、血清注射が遅れると死んでしまう恐ろしい病気があって、ヘリやパトカーで血清をリレーし、ぎりぎりで患者が助かる、という話を学習雑誌で見た。
その病気の名前は「わるい病」だった。「悪い病気」だと思いこんだ。
その10年後、微生物学の教科書で「ワイル病」を見て、勘違いに気づいた。
●言葉ネタではないけど、知人Aさんの話。
マスクをかけているのを忘れて、マスクの上から鼻をかんだ。
なお、Aさんは、禁煙中にソーセージに火をつけたことがある。
●病名?
T「去来抄って知ってる?」
H「は? メンタル疾患ですか?」
(Tは高柳。Hは知人で保健師さん)
「去来抄」なんて一般には知られていないし、なるほどー、拒食症とかあるもんなあ。
●「それとモアイ?」
昔はやった『太陽がくれた季節』 という歌(「君は何をいま見つめているの」と始まる歌)に、
「それとも愛」というところがあった。
メロディの関係で、「それとモアイ」聞こえた。(知人)
※知人からこれを聞き、家に帰って息子たちに話したら、これは昔「ボキャブラ天国」というテレビ番組でも取り上げたネタだそうだ。
※ボキャ天といえば、「悪寒が走る」を「お棺が走る」にしたり、「最後に愛が勝つ」を「背後に霊が立つ」と歌い替えたりしたのを覚えているなあ。
●間違いじゃないけれど、テレビで野球の新庄選手こんなことを言った。
「MIAMI」はなぜマイアミなんだ。ミアミ、あるいはマイアマイであるべきだ。
●(言葉ネタではないが)海辺をドライブ中にオナラをしたら、同乗していた妻が「あ、磯の匂い!」と言った。
(テレビで聞きかじった話)
●わかせん(若干をこう読みちがえる、というような趣向のCMがあった。)
●家畜の勢い
破竹の勢い もいいが、これもなかなかおもしろい。牛とか鶏の突進みたいで。
:毎日新聞2003年6月18日「笑うのもほどほどに」(近藤勝重 )で例示されていた思い違い。
「あしたのジョー」に家畜にまぎれて少年院を脱走する場面がありましたね。ああいう感じでしょ(笑)
●ダンコンの世代
団塊の世代の読み間違いをそのまま信じて使った(:同上)
●一姫二太郎三茄子
正しくは、一富士二鷹三茄子。茄子が生まれたらどうすんのって。(:同上)
●日常ちゃわんごと
日常茶飯事の「さはんじ」の読み間違い(:同上)
●知人がこう言った。
「中島みゆきの歌『地上の星』のなかの『草原の ビーナス』を、 『そのへんのビーナス』と覚えてしまったのよ。」
これは二重にまちがい。そもそも、 もとの歌詞では、「草原の」は「草原のペガサス」で、「ビーナス」は「街角のビーナス」
●安室奈美恵の「ネバー・エンド」、あの「ネバーエンド、ネバーエンド」と歌う部分を、
「ねーむれー、ねーむーれー」と思っていた。(知人)
●向田邦子のエッセイに、
荒城の月の歌詞の「めぐる杯」を「眠る杯」、 野バラの歌詞「野中のバラ」を「夜中のバラ」
と思い込んだ話があるそうだ。(モトの本は未確認。知人から聞いた。)
●棒の手紙(テレビで見た話)
ある雑誌が、「不幸の手紙を止められない人は編集部へ出してください」と書いたところ、 たくさんの不幸の手紙が舞い込んだ。が、その中に「不幸の手紙」でなく「棒の手紙」が何枚もあったそうだ。
「同じ手紙を○○人に出さないと、あなたに○○の棒が訪れます」
これはおそらく、誰かが「不幸」という字をかなり乱暴に書いて間が つまり、 それを書き写した人が 「棒」と書いて、そのまま広まったものだろう、 とのことだった。
*この棒の手紙文を、 何かヘンと思いながら、何枚もハガキに書いて出した人がいるんだなあ。
●児童が殺された事件があり、後日犯人はその児童の父親だとわかった。 その事件についての子どもとの会話。
(知人から聞いた話)
母「あの事件の犯人はお父さんだったんだって」
子「えー! どうしよう・・・・・・」
母「?」
子供は、てっきり自分の父親が犯人だと思ってしまったのだった。
●「シャボン玉とんだ、お屋根もとんだ」
「シャボン玉とんだ、お屋根もとんだ」と子どもが歌った。
それを聞いて父親が噴き出した。
父親はひごろ笑わぬことで有名な堅物だったが、一度笑い出したら止まらなくなった。
これを私はタクシーのラジオで きいて、運転手さんといっしょに噴き出し、死にそうになるほど笑って止まらなくなった。
●「私、さそり座よ」「あなたは魚座」などと言っていたら、
「私ヒツジよ」と話に加わった人がいた。 (高柳と知人たちとの会話)
●「うちは二間(ふたま)しかなくて狭い」と言ったら、子どもが、
「○○ちゃんちはヨンタマで広いよ」と言った。 (知人から聞いた)
●天は荷物をあたえず。
天は二物をあたえずをこう覚えていた(※BBSより。このBBSは閉鎖しました。)
※管理者の息子はこれを、「天はニモノを与えず」と読んだ。
●ニシキヘビを二匹ヘビと思っていた(江戸っ子弁の知人)
●潮汐を朝汐と混同し「あさしお」と思っていた。
「潮汐性母斑通信」(管理者が出版した本のこと)も、 半年以上、あさしお……と読んでいた。(BBSより)
※周囲の人に聞いて回ったところ、潮汐(ちょうせき=潮の満ちひき)という言葉自体を知らない人の方が多いようでした。
また、関係ないけど、「あさしお」といえば、管理者が子どもだった頃、朝潮(朝汐)という胸毛の濃いお相撲さんがいて、地面の草を胸毛に見立てて絵を書いたことがある。
●「もしもーし、今いただいたファックス、こんなふうで読めないんだけど」(知人がこう言って電話してきた)
※思い違いネタとはちょっとちがうけど。
●職場でいただきもののドーナツを配った。
机に置かれた皿をチラっと見た役員(えらい人)が、
「ふむ、まんじゅうか」と言った。
(役員室を出るまで歯をくいしばって無表情を保った。:えらい人は笑ってもらえないんです。管理者)
●職場で「板目紙」と言う厚紙を使うのだが、新人のころ、 「炒め紙」って何だろうと思っていた。(知人)
●電話で人名の説明をしているのを横で聞いていた。
「はい、エツコはエツラクのエツ、シゲコはセイコウのセイです」
悦楽の悦は用例として適切かなあ。 それ続けて言ったセイコウの「成」はわかったかなあ?
●「なにこれ、(ためつすがめつ) 山・椒・大・夫?」
それはおっそろしく乱暴な字で、高額療養費と書いてあったのだった。(知人)
●料理の本の記述
「肉が固いときは重そうで……」
重そう?
重曹のことでした。(BBSより)
●割腹がいい。
「恰幅がいい」の変換ちがい。いかにも見逃しそう。(BBSより)
●だいぶまえのこと、さる雑誌の巻頭言に、 「柿くへば鐘が鳴る鳴る法隆寺」という句が引用されていた。
なんかむずむずしたが、しばらくの間、どこがおかしいかわからなかった。
「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺(正岡子規)」です。
※「鐘が鳴る鳴る」は「牧場の朝」とかいう歌の歌詞だったような。雑誌名は忘れましたが医学系の雑誌でした。