2025年7月27日 聖霊降臨後第7主日 礼拝説教要旨
(ルカによる福音書 11章1~13節)
本日の福音書箇所で、私たちの神さまは、私たちの友人のようにまた親のように私たちの声を聴いてくれるのだ、とイエスさまは言います。
神さまを「私の友人」と呼ぶことに抵抗を感じるかもしれません。神さまを自分と同じ人間のように認識することは、私たちにとって恐れ多いことだと感じるからです。しかし、私たちはイエスさまが神さまが人となられた存在であることを知っています。「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた」(ヨハネ1:14)というヨハネ福音書の言葉を、私たちはクリスマスを迎えるたびに耳にしています。しかし、必要に迫られて気心知れた友人に頼みごとをするように、いざ神さまにお願いごとをするとなるとしり込みをしてしまいます。イエスさまが弟子たちに告げた「わたしはあなたがたを友と呼ぶ」(ヨハネ15:15)という言葉がどれほど恵みに溢れた言葉であるかを改めて感じます。そして神さまがイエスさまとなって私たちの許に来てくださった、この出来事がどれほど大きな恵みであるかを私たちは改めて知るのです。
しかし、イエスさまは「求め続けなさい」すなわち「祈り続けなさい」と言います。そうすれば神さまは必要なものを与えてくださると言います。「あなたがたの中に、魚を欲しがる子供に、魚の代わりに蛇を与える父親がいるだろうか」という一言には、神さまが私たちの祈りを聴いてくださるのは当然ではないか、と言うような響きすら感じられます。私たちの神さまは私たちにとって友人であり、同時に、いえそれ以上に、私たち一人ひとりをご自分の子どもとして大切にしてくださる父親であると、イエスさまは言います。だから心からの信頼をもって祈り続けなさいと。心からの信頼をもって祈り「続けること」、このことがイエスさまが私たちに示してくださる祈りの本質です。
(司祭ヨハネ古澤)
牧師の小部屋 ㊽
戦後80 年となるこの年、主教会から「戦後80年を覚えて」の祈りが出されています。礼拝では8 月の主日に用いる予定をしていますが、皆さんそれぞれの日常でもお祈りください。私たちが戦争を避けて争いのない日々を選択していくことができますよう、そして世界各地での紛争・戦争が一刻も早く終結しますようお祈りください。
「戦後80 年を覚えて」
真理と平和の源である全能の神よ、アジア・太平洋戦争の終結から80年を迎えたこのとき、わたしたちは、戦争により犠牲となったすべての方々を覚え、あなたの深い憐れみの御手にゆだねます。また、今なお痛みや苦しみのうちにある人々の上に、主の癒しと慰め、そして平安が豊かに注がれますよう祈ります。わたしたちが過去の歴史から目をそむけることなく、地上の平和を脅かし、あなたのかたちに造られた一人ひとりのいのちと尊厳を奪い去る、あらゆる戦争と暴力に対して、目を開き、声を上げ、あなたの平和の器となることができますように、わたしたちに必要な知恵と勇気をお与えください。主は父と聖霊とともに一体の神であって、世々に生きすべてを治めておられます。アーメン
(司祭ヨハネ古澤)
2025年7月13日 聖霊降臨後第5主日 礼拝説教要旨
(ルカによる福音書 10章25~37節)
律法の専門家が「誰が私の隣人であるか」を問うたのに対して、主イエスは「あなたは誰の隣人になるか」を問題としました。今日の福音書箇所の最も大切な点です。主イエスは言います。「神さまが私たち人間に求めておられるのは、誰が私の隣人か、つまり私が大切にすべきはどの所属の人かというように、愛すべき相手が決められているのではない。そうではなく、あなたが愛すべきは全ての人であり出会う人を大切にしなさい」と。
今日の主イエスと律法の専門家とのやりとりで興味深いことは、私たちが神さまを愛することと隣人を愛することが同等のこととして語られている点です。そして、神さまを愛することと隣人を愛することの前提として、自分を愛することが語られています。私たちが自分をどれだけ大切にできるかが隣人をどれだけ大切にできるかの基準になっている、とも取れる表現です。私たちは自分をどれだけ大切にできるでしょうか。もしかすると、目の前にいる困っている人に手を差し伸べるよりも、自分を大切にする方が難しいかもしれません。
しかし、今日の旧約日課において申命記の中で、モーセは神さまからの言葉を人々に告げています。「御言葉はあなたのごく近くにあり、あなたの口と心にあるのだから、それを行うことができる」。神さまがモーセを通して人々に告げた律法はとても厳しく感じる物だったことでしょう。しかし、「御言葉はあなたのごく近くにある」と言います。神さまは共にいてくれるから大丈夫だ、というわけです。主が私たちを愛してくださっているから主は私と共におられる、この前提があります。自惚れではなく、照れる必要もなく、私は神さまから愛されている存在であると実感し信じることを良しとしてくれる言葉です。私たちはここから出発します。出会う人を大切にし、出会う人の隣人として私たちは送り出されます。
(司祭ヨハネ古澤)
牧師の小部屋 ㊼
髭男爵という漫才コンビをご存知でしょうか。「ルネッサーンス」というかけ声でおなじみのコンビです。その一人、山田ルイ53世さんが文化放送で「山田ルイ53世のルネッサンスラジオ」という番組のパーソナリティを務めています。山田ルイ53世さんは小学生時代は神童と呼ばれていたました。本人曰く大人から褒められるために頑張っていたそうですが、中学はお住まいの町から唯一有名進学校に進んだほどの頭の良さだったそうです。しかし中学時代のある日、ふとしたことがきっかけで不登校になり6 年ほど引きこもり生活を送ります。その後、一念発起し芸人を目指すのでした。
とてもスマートな方で、加えて引きこもりの経験から人の痛みを受けとめる方で、ラジオ番組ではリスナーの悩み相談などに辛口なコメントを加えつつも、必要なときには本当に寄り添う言葉をかけます。笑いながらもふっと暖かい気持ちになるので、ときどきポッドキャストで聴いています。
前回は甲殻類アレルギーを持つ方からのお便りがありました。チェーン店のチキンカツカレーを食べたら体調を崩して救急搬送されます。エビやカニに全く関係無いメニューでアレルギー症状が出たため、店の調査結果を待ったところ、チキンカツを揚げた同じ油でトッピングのエビフライを揚げていたのでした。そのようなことでアレルギーが出るのか、と私は大きく驚きました。工場でエビを切った包丁で別のものを切ってもいけない。そしてほとんどの魚は餌として小エビを食べるので、魚を食べてもアレルギーの症状が出るんですね。アレルギーの大変さは頭では知っていたつもりですが、これほどまでに気を付けなければいけないのかと、私にとっては目から鱗が落ちるお話しでした。お話しを伺わないと分からないことは沢山あるのだな、と改めて感じたのでした。私たちはお互い一見しただけでは、その人が悩んでいること・喜んでいることが分かるようで分からないものです。互いに語り合い耳を傾け合う、その必要性を改めて感じるお便りでした。
(司祭ヨハネ古澤)