8-2-5-⑤ア道教石

8-2 花見川流域の風景

8-2-5 風景上特徴的な地物

⑤ 道教石・碑

ア 道教石

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【道教石】

上記の視図「柏井村道教石」は迅速図「千葉県下総国千葉郡大和田村」図幅(明治15年2月測量)の右側に描かれているものです。現代人がこの絵を見ると、石塔と樹木のバランスがとれた風景を描いた絵として鑑賞してしまいます。しかしこの絵は、内戦行軍時に備えて、兵士が道に迷わないようにするための情報として描かれたものです。

描かれている石塔は道が北方向に向かって分かれる場所に、道案内として立てられたもので、現在でも同じ場所に立っています。

迅速図では「イ」記号が道が二股に分かれてスペースがないため表記できないので、近くの別の場所に表記されていますが、目標となる石塔(及び樹木)は□記号で正確な位置に表記されています。

視図では、正面に向かっている道(大和田方向)と石塔(と樹木)手前で右に分岐している道(横戸・志津方向)が表現されています。現場で現物を確認すると、確かに石塔の左側面は「是ヨリ大和田道」、右側面には「是ヨリうすい道」と書かれています。

視図の石塔の部分を拡大して、現地で撮った写真と比較すると「青面金剛王(しょうめんこんごうおう)」の文字と石塔の外形が一致します。この石塔が庚申塔であることが確認できます。文政2年(1819年)の年号が確認できます。

約130年前の陸軍兵士によってスケッチされ、その資料を廻りまわって散歩人の自分が見たことを考えると、現場で感情が少し高ぶりました。

視図に出ている樹木は現在ありません。次の資料は大正6年測量の旧版1万分の1地形図「三角原」図幅の部分を拡大したものです。ここに「庚申櫻」という独立樹が描かれています。この「庚申櫻」が視図に描かれた樹木と同じものであることがその名前から確認できます。

なお、視図に描かれた樹木の画像をパソコンで拡大してよく見ると、樹皮の描き方が桜のそれとして描かれていることが確認できます。視図が描かれたのが2月ですが、最近(平成23年2月12日)この場所の近くでみた桜の姿とこの視図の桜の姿の感じが良く似ていることに驚かされています。迅速図を作成した陸軍兵士が、高度なフランス式絵画風描画技法を身につけていたことに脱帽します。

この道教石が教えてくれる2つの道である大和田道とうすい道を旧版1万分の1地形図に表示してみました。迅速図表示の幹線道路が限られているので道の同定は困難ではありませんでした。船橋、検見川方面や御成街道から大和田方面や成田街道に出る北方向移動の主要ルートとしてこれらの道があったと思われます。このうちうすい道は当時の元池弁天の近くまできてから、現在の弁天橋付近で花見川(新川)を渡ります。私が古柏井川と呼んでいる川の沖積平野への出口付近です。

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東小深川流域紀行6 四街道十字路の道教石

四街道十字路は花見川流域界線上にありますが、丁度この位置に、迅速図(「千葉県下総国印旛郡山梨村和良比村」図幅 明治15年測量)において、視図「(ロ)畦田村字四街道」が描かれています。他の迅速図図幅では類似物を、軍隊行軍時の目印の意味で「道教石」名称で視図に表現しています。

道教石 視図「(ロ)畦田村字四街道」

迅速図における視図位置((ロ)で表現される)

この道教石は現存しています。四街道十字路には、囲いがあり、その中に、この道教石とその説明板、背後のエノキ大木とその標識があります。

道教石の北面

道教石の西面

道教石とエノキ、説明板

道教石の現在の位置

道教石の説明板には次の記載があります。

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市指定文化財 四街道十字路の道標石塔(四街道地名発祥の地)昭和58年4月指定

この道標石塔の各方向には、次のような道案内が書かれています。

北 成田山道 畦田村 願主 林佐野右ェ門

南 千葉町道 明治14年12月吉日

東 登宇がね

馬渡 道

西 東京 当村世話人

船橋 道 佐久間澤右ェ門

佐久間源治郎

寸法 117.0×33.0×20.0cm

この道路標識が示すように、ここは四つの道が交わることから「四街道」という地名が生まれた場所です。

昭和62年2月 四街道市教育委員会

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道教石は軍隊行軍時の目印ですから、交差点中央に立った時、見える面が視図に描かれていることになります。現在の位置ではそうならないので、創建された当時の位置は現在地より一つ左の象限(迅速図で(ロ)と描かれた位置)か、対角象限に在ったと判断できます。(※)

また、視図に描かれている台座がなくなり、現在は粗末なコンクリート基礎の上に立っています。

※ 迅速図における交差点道教石の視図位置表示は、他の例から、「その道教石がある位置の隣接象限に記号を描く」規則性(?)があるように考えられますので、四街道十字路道教石の位置は、現在ある場所の対角象限に在った可能性が高いと思います。狭くて使えない角地には石碑を立てやすい条件があります。また、視図に東面も描かれていますが、これもかつて対角象限に在ったことを示唆します。