-2 印旛沼堀割普請における掘削深の把握
5-2-3 普請前の自然地形復元と現在の地形との比較
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【普請前の自然地形復元と現在の地形との比較】
上図は千葉市図誌下巻(千葉市発行)に掲載されている「小金牧周辺野絵図にみる柏井周辺」(県立中央図書館所蔵)です。「17世紀中頃か」ということと「当時はまだ印旛沼堀割り工事が行われておらず、図では川が完全に分断している」という説明が書かれています。
この絵図から堀割普請前の花見川の上流端は、右岸から流入する川(柏井の谷津)よりもさらに上流にあったことがわかります。
次の図は、同じく千葉市図誌下巻に掲載されている「柏井の地番割図 1934(昭和9)年7月作製1992年写」です。
「小金牧周辺野絵図にみる柏井周辺」とこの「柏井の地番割図 1934(昭和9)年7月作製1992年写」を比較すると、花見川の上流端付近の谷底の地名が「北谷」に対応しており、上流端両側の台地部分の地名が「高台」「西高台」に対応していることが読み取れます。
この地番割図は現代測量図にトレースしたことが推察されますので、地番割図とGIS空間との位置対比を試みました。
位置対比の手がかりは、1地番割図の外周線(柏井村境)と数値地図1/2500(空間データ基盤)(平成18年発行)の町丁目界線(赤点線)を合わせること、2地番割パターンと旧版1万分の1地形図の地形、道路などのパターンを合わせることとしました。GISでは地図の拡大、回転、移動、半透明化、着色が自由に出来ますので、これらの機能をフルに活用して、試行錯誤の手作業で何とか地番割図をGIS空間に対比させました。上図がその結果です。あちらがたてばこちらがたたないという部分がありますが、厳密な結果を必要としていませんのでこの程度で我慢することにします。(つづく)
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前図の花見川上流端部分を拡大したものです。地番割図、旧版1万分の1地形図、数値地図1/2500(空間データ基盤)(平成18年発行)の町丁目界線(赤点線)がオーバーレイして表現されています。地番割図の「北谷」の文字のすぐ左の縦方向の線が他の線より少し太く表現されていますが、この線はこの地番割図の全体の表現から水路を表していることがわかりました。従って、この太い縦線の上の方の終端部分(「西高台」の文字の右下)が谷底の終端であると推察できます。その終端から柏井村境(町丁目境)までの谷底は高台と西高台にはさまれており、花見川の谷頭部であると想像しました。この谷頭部の頂部は古柏井川の谷底になり、その接点が東京湾側と印旛沼側を分ける分水界のなっていると想像しました。分水界の場所は柏井村境(町丁目境)と考えることが自然な想像になります。このような想像を図化したものが次の図です。
この堀割普請前の(想像)原地形分類図を数値地図1/2500(空間データ基盤)(平成18年発行)に落としたものが次図です。
この図から横戸台南端と柏井高校に挟まれた部分に花見川谷頭と古柏井川の分水界が位置することがわかりました。
なお、花見川谷底は堀割普請時の化灯土の分布地域と、古柏井川谷底は堀割普請時の固い砂の分布地域と一致し、この地形分類の正しさを支持しています。(化灯土については改めて書きます。)
この図は想像した地形分類の谷底と台地面の高さを縦断方向に投影したイラストです。これまで説明した地形の考え方をデフォルメして表しています。
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前記事2012.4.26「発見した古河川河道のまとめ」で述べたように、花見川筋に発見した、勝田川と合流する古河川をこのブログでは古柏井川と呼んでいます。
花見川と古柏井川の分水界の位置について、次の記事ですでに詳述してあります。
2011.2.2 花見川上流紀行15堀割普請前の花見川谷頭その1
2011.2.3 花見川上流紀行16堀割普請前の花見川谷頭その2
この2つの記事で検討した要点を整理すると、次の通りになります。
1 印旛沼堀割普請前に作成された「小金牧周辺野絵図」(※)に花見川最上流部の水田、内野(※※)分布が表現されている。
2 水田と内野の地形はそれぞれ谷津谷底と斜面・台地に対比できる。
3 水田と内野分布形状と地番割図の地番割を対比することができる。
4 地番割図をGIS上にプロットできる。
5 従って水田と内野分布すなわち谷津谷底と斜面・台地の分布をGIS上にプロットできるので、実際に作業して、プロットした
6 その結果、花見川谷底、谷頭源頭部、谷中分水界の位置を把握した。
※「絵にみる図でよむ千葉市図誌 下巻」ではこの絵図について1676年成立の高津新田が見られないことからそれ以前の作成と推測し、「17世紀中葉か」とコメントしています。
※※柏井内野と書かれた柿色の部分は柏井村が囲った野(原野、入会地)という意味です。
小金牧周辺野絵図(部分)
千葉県立中央図書館所蔵
引用者によるメモ書き込み
「絵にみる図でよむ千葉市図誌 下巻」(千葉市発行)より転載
印旛沼堀割普請前の地形分布
以上の検討結果をより理解しやすく表現し、引き続く検討の基礎資料とするために、谷中分水界付近の地形縦断図を作成してみました。
(5mメッシュとカシミール3Dを活用することにより、ワンタッチで正確な地形断面図が作成できるようになりました。)
地形縦断線位置図
地形縦断線A-Bは印旛沼堀割普請の捨土の土手を避けた台地西岸の地形縦断線です。
地形縦断線C-Dは現在の花見川河道中心線付近の地形縦断線です。
印旛沼堀割普請前の花見川源頭部付近谷底縦断イメージ
印旛沼堀割普請前の谷底の高さは、花見川サイドでは前谷津(A付近の花見川支流)の谷底の高さが参考になります。ここは堀割普請で掘削されていません。
古柏井川サイドでは鷹之台ゴルフ場河岸段丘の高さが参考になります。
この2つの高さを参考に印旛沼堀割普請前の花見川源頭部付近の谷底縦断を、類似の東京湾水系源頭部地形を参考にイメージしてみました。
古柏井川の横断地形はまだ検討していませんが、仮に古柏井川に谷底面(段丘面)を掘りこむ谷が発達していなかったと仮定すれば、大ざっぱな話ですが、次のような算数が成り立ちます。
現在の花見川西岸地形縦断の高さ-古柏井川谷底縦断の高さ=印旛沼堀割普請前の古柏井川谷津の深さ
古柏井川谷底縦断の高さ-現在の花見川谷底縦断の高さ=印旛沼堀割普請と戦後開発の総掘削深
この谷底縦断イメージ図は、古柏井川を南に追跡して、柏井付近から南に分布する河岸段丘の対比をする際の、検討の出発点になります。
また、印旛沼堀割普請の実際を把握する上でもその検討の出発点になります。
(このイメージ図が結果として正確でないにしても、この情報を使って思考を出発させることができます。それにより、これまで気がつかなかった事柄に気づき、検討を深めることができます。そして、巡り巡ってこのイメージ図の見直しも可能になると考えます。)