3-2 花見川流域の古代遺跡分布
3-2-1 遺跡に対する興味
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【埋蔵文化財地図のGIS取り込み】
千葉県埋蔵文化財分布地図をGISに取り込んだ様子
上記画像付近に対応する埋蔵文化財リスト
以前縄文海進と貝塚の関係について記事(花見川中流紀行13縄文海進と貝塚分布)にしました。このとき貝塚のデータは「千葉県埋蔵文化財分布地図」(財団法人千葉県文化財センター発行)から得ました。この地図を見て花見川流域に沢山の埋蔵文化財があることに気がつき、いろいろと興味が湧きました。しかし情報が多く、大判(見開きA2)の紙の地図で扱いにくく、情報をどのように整理するか迷っていました。
そこで、思い切ってこの大判冊子地図を電子化するとともに、そのファイルに位置情報を添付してGISで使えるようチャレンジしてみました。
チャレンジ作業は満足いく結果となりました。
埋蔵文化財の分布が他のGISのデータと直接対応できるようになったので、地域に関する発想の源泉が新たに一つ出来て、花見川流域の認識がより深まると思います。
次に、埋蔵文化財地図の電子化とGIS取込の(地べたを這い回るような泥臭い)スキルについて、参考までに報告します。
●用意した地図(千葉市図書館から借用)
・「千葉県埋蔵文化財分布地図(1)」(財団法人千葉県文化財センター発行)(花見川流域の船橋市、八千代市、習志野市、佐倉市、四街道市分が収録されている)
・「千葉県埋蔵文化財分布地図(2)」(昭和61年3月 財団法人千葉県文化財センター発行)(花見川流域の千葉市分が収録されている)
千葉県埋蔵文化財分布地図(2)
●スキャンに使用した機材
・offirio es-10000g(エプソン製A3判スキャナー)(A4スキャナーではこの作業は無理だと思います。)
●事前準備資料
・図郭四隅の緯度、経度を調べ、日本測地系から世界測地系の換算表をつくっておく。
(花見川流域に関わる2.5万分の1地形図は「習志野」「佐倉」「千葉西部」「千葉東部」の4枚。埋蔵文化財分布地図のベースマップは昭和58年測量図であり、日本測地系が用いられている。日本測地系から世界測地系への換算は、国土地理院と海上保安庁のWEBにある変換プログラムを使う。「千葉西部」の南東端は海であり海上保安庁の変換プログラムを、他は国土地理院の変換プログラムを使う。)
(参考 この作業では関係ありませんが、大正7年以前発行の旧版地形図では上記換算の他、「10秒4」の換算が必要となる。)
●作業手順
・見開きA2判のページに2.5万分の1地形図(原寸大)をベースマップとした埋蔵文化財分布地図が印刷されている。
・見開きを2回に分けてスキャンする。(2.5万地形図が左右2枚のjpgファイルに分かれて取り込まれる。)
・フォトショップにjpgファイルを取り込み、整形する。(フォトショップの「ものさしツール」と「角度入力機能」を組み合わせて使い、画像の画角を機械的に微調整正立させる。切り抜きにより接合辺を整える。)
・フォトショップ上で2つのjpgファイルを接合させ、図郭線に沿って切り抜き保存する。(2.5万分の1地形図に対応する1つのjpgファイルが出来る。)
・GISソフト「地図太郎プラス」に上記jpgファイルを位置情報のない地図として取り込む。
・取り込んだjpgファイルのプロパティから、図郭四隅の緯度経度が入力できるので、換算表から正しい世界測地系の値を入力する。
・位置合わせを保存して、作業を終了する。
●綴じ部分のゆがみ
冊子をスキャンしているため、綴じ部分にどうしてもゆがみが出ます。その部分については、GISソフト上で、JPGファイルを一時的に移動微調整することで、精度を保てます。
埋蔵文化財分布図のうち「習志野」と「千葉西部」図幅を取り込んだ様子
いずれも千葉市分のみの情報で、他市の情報は別地図になる
埋蔵文化財地図から得られた興味深い情報は追って記事にします。
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【遺跡分布に対する興味】
北高津川流域紀行6 遺跡分布に興味を持つ
遺跡分布図(基図は地形レリーフ)
遺跡分布図(基図は地形図)
以前、埋蔵文化財地図をGISに取り込む記事(「埋蔵文化財地図のGIS取込」)を書きました。この方法により、GISに取り込んだ遺跡分布を北高津川流域について描いてみると、上図のようになり、北高津川両岸台地上の縁部分に、遺跡が川を臨むような形で分布していることがわかりました。北高津川を遺跡が取り囲んでいるように見えます。年代は先土器縄文のものや、奈良平安のものなどですから全て一辺に立地していたわけではありません。しかし、この小さな北高津川流域が、古代人にとって居住に適した場所であったことは確実に言えることだと思います。特に斜面が南向きになる左岸に縄文遺跡が3箇所立地していることから、水の便利(飲料水、舟運)以外にも日当たりが居住の重要な条件であったかもしれないと思いました。
現在の北高津川の形状からは想像もできないことですが、こんな小さな川と谷が縄文人の生活に役立っていたことは、私にとっては大変興味を刺激されることです。
現在の北高津川(高津団地内)
この分布図をみて縄文人の生活について、次のような想像をしました。
1縄文人にとっての北高津川の役割は、飲料水の確保(や炊事洗濯など生活用水利用)がもっとも重要であったに違いない。この地にたどり着いた集団が、他の一等地(平戸川〔現新川〕沿川台地縁など)が既に先人によって利用されているので、二等地、三等地であるが、飲料水の確保ができるこの場所に居住の地を定めたのだろう。
2北高津川に舟を浮かべれば、高津川、平戸川(現新川)経由で印旛沼(海)まで容易に出かけることが出来るので、魚介類採取や交易などの便利が良かったに違いない。
3北高津川での魚介類採取は、河川の規模からして、あまり期待できなかったに違いない。
4北高津川上流に広がる原野(現在の陸上自衛隊演習場やその上流の工業団地付近)は狩猟の場として利用していたに違いない。
5北高津川から平戸川に出て、上流に歩いて古柏井川(現花見川)を遡れば柏井付近で当時の花見川源流に行き着き、花島付近で古幕張湾の最奥部にたどり着き、舟で東京湾に出ることも可能であったに違いない。(「縄文海進時における近隣流域の様子」「堀割普請前の花見川谷頭その1」「堀割普請前の花見川谷頭その2」)なお、印旛沼(海進最盛期は宮内付近まで塩水であったことが確認されている〔「八千代市の歴史 通史編 上」による〕)や東京湾(古幕張湾)は日帰り行動圏であったと考えられる。
高津川流域の遺跡分布(基図は縄文海進想定図)
パソコンの中で遺跡地図を自由に操ることができるようになって、遺跡(歴史)について強い興味が湧いてきました。現在の川の姿からは想像もできない役割を川や自然が果たしてきたということが遺跡分布図から判ります。同時に、現代人は、祖先が何万年もの間その恵みを利用してきた川や自然を全て放棄して、利便、快適、安全な都市生活を構築しているということも、強く意識させられます。
こうした遺跡マップ作成を契機にして、遺跡(歴史)について基礎から学んで、花見川流域の特徴を知りたいと思っています。
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【千葉県の埋蔵文化財地図のWEB公開】
千葉県教育委員会により千葉県埋蔵文化財地図(GISデータ)がWEB公開されていることを、関係している方から教えていただきましたので紹介します。
千葉県ホームページから入るならば、「千葉県教育委員会」、「組織と仕事内容」、「教育委員会の組織・アクセス・連絡先」、「文化財課」の順に進み、文化財課の画面右にある「ふさの国文化財ナビゲーション」(外部)をクリックします。
目的のページ「ふさの国文化財ナビゲーション」http://wwwp.pref.chiba.lg.jp/pbbunkazai/にたどり着けます。
ここから、「HTMLとFLASHの選択」、「ご利用規約をご確認の上お進みください」、「同意して利用する」を順次クリックすると「住所から探す、包蔵地/指定文化財から探す、地図から探す」画面になります。ここから、例えば地図をクリックしていくと文化財マップが出てきます。マップのくくりをクリックすると、画面右に属性(名称、所在地、解説等)の情報が掲載されます。
この地図のベースマップは国土地理院発行の数値地図25000(地図図像)です。地図の縮尺変更、場所移動なども出来ます。
どこにどのような埋蔵文化財があるのかを知りたい場合はこのWEB公開情報でわかりますから、大判で扱いにくい冊子版は使わなくてすみます。冊子版(改訂版)より最新情報になっているとのことです。
このような情報公開(パソコンとWEBをツールとして行う、情報利用の仕勝手向上を目的とした情報公開)は市民にとって大変ありがたいことです。千葉県教育委員会に感謝します。
「ふさの国文化財ナビゲーション」の地図画像例
また、以前の記事「埋蔵文化財地図のGIS取込」で紹介した冊子版「千葉県埋蔵文化財分布地図」(昭和61年発行)は、既に旧版になっており、平成に入って改訂版が出ていることを知りました。私は現在、改訂版の埋蔵文化財地図の情報を自分のパソコンに取り込み作業中です。(WEBで公開されている情報は自分の所持している散歩情報とオーバーレイできません。ですから、私の場合、最終的にはどうしても冊子版情報のGIS取込が必要となります。)
なお、蛇足ですが、包蔵地の括り線(総描線)の描き方が、昭和61年の旧版と平成9年の改訂版でイメージ的に異なります。改訂版の方が丸くなっており、地図情報量が少なくなっているような印象を受けます。
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【埋蔵文化財に関する学習企画】
過去に閲覧した黒曜石石鏃(子和清水遺跡出土物)
小突起をカウントしてみた
20110917記事「子和清水遺跡の出土物閲覧4」参照
1 知的欲望
このブログではこれまでに犢橋貝塚、落合遺跡、子和清水遺跡、双子塚遺跡などいくつかの古代遺跡について記事にしてきました。
落合遺跡では出土丸木舟を、子和清水遺跡では多種の出土物を所蔵機関で閲覧しました。
明後日には双子塚遺跡の出土物閲覧も予定しています。
このような活動をする中で、たまたま興味を持った遺跡について調べるのではなく、花見川流域の全遺跡情報を悉皆的に知りたいという知的欲望が育ってきています。
遺跡数は数百であり、作業という面で手に負えない範囲ではありません。 またこの地域の全遺跡情報を知り、解析すれば必ずや新たな有益情報が得られると予感できます。
活動量に対する収穫効果は大きいと考えます。
おそらく花見川流域の埋蔵文化財情報を全部詳細に検討するという行為をする人は、専門家を含めてこれまで誰もいないと思います。そう思うと、ひそかな自己満足感も得られるに違いありません。
そこで、その実現に踏み出すこととしました。
2 学習活動企画
次のような学習活動を予定して、実行に移ります。
1 埋蔵文化財地図の情報をGISにプロットする。
2 関連文献を全て入手し読む。
3 主要遺跡の出土物を閲覧する。
4 埋蔵文化財から得られる情報により、古代における川(谷津)と生活の関係を知る。
具体的な活動内容は次のようにイメージしています。
1 埋蔵文化財地図情報のGISプロット
ア 千葉県発行埋蔵文化財地図そのもののGIS取り込み
千葉県発行埋蔵文化財地図(平成11年、12年)のⅠ(船橋市、佐倉市、八千代市、習志野市、四街道市)とⅢ(千葉市)の2枚の地図を各図幅毎にパソコン上で張り合わせ、GISに取り込みます。
イ 情報のGISファイル化
ア資料の情報を類型区分してGISに入力ファイル化し、それぞれ新規レイヤーにします。 情報をGISファイル化することにより、適宜に情報の修正、追加等を行えるようになります。 またア資料以降の新情報の追加も行えるようになります。
ウ 情報そのものの分析
イ資料を統計的整理、分布把握して、全体的な分析を行います。 この分析だけでも、新たな発見や興味(疑問)が沢山生まれつと思います。
2 関連文献入手読破
ア 全関連文献の入手
リストに掲載されているすべての関連文献を入手してpdf化し、パソコン上でいつでも読めるようにします。(これまでにもかなりの文献を既に入手pdf化しています。)
各市図書館等でほとんどすべて入手できると思います。
イ 全文献の読破
全文献を読みます。
3 主要遺跡出土物閲覧
ア 主要遺跡の出土物(現物)の閲覧
所蔵機関にお願いして、主要遺跡出土物を閲覧します。
イ 閲覧メモの作成
出土物閲覧で気が付いたこと、感じたこと等をメモします。
4 埋蔵文化財情報と地形等との関連分析
1~3で得られた情報とこれまでこのブログで検討してきた地形等との情報をGIS上で重ね合わせ分析するなどします。
この分析の中で、古代において花見川(古柏井川)が東京湾と香取の海との交流幹線であるとの自説を裏付けたいと思っています。(正確に言えば、自説の確からしさを飛躍的に向上させたいと思います。)
また、縄文由来の地名の意味(解釈)を深める手がかりが少しでも得られないかと、その可能性は極めてわずかだとは思いますが、ダメモトで期待しています。
さらに、神社等霊的空間の起源を考える際の参考情報を得たいと思っています。
実際は、作業のステップを踏んで最後に分析するということではなく、作業しながら随時分析的検討を行うことになると思います。
しばらく埋蔵文化財関係の記事が増えると思います。