2-4 横戸川筋、宇那谷川支川筋谷津の地形発達史
2-4-2 谷津の縦断形
③ 横戸4谷津
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【横戸4谷津の出口のない谷地形】
横戸4谷津についても横戸1谷津~横戸3谷津と同じ作業を行い、同じような結果を得ました。
横戸4谷津の位置(旧版1万分の1地形図谷筋線図)
旧版1万分の1地形図は大正6年測量
青網は閉じた等高線で示される凹地
横戸4谷津の位置(DMデータ)
DMデータは千葉市提供
横戸4谷津の3Dレリーフ図
カシミール3D+5mメッシュによる
高さ10倍強調
この図は左が北、右が南
横戸4谷津の縦断面図の解釈
現代地形はカシミール3D+5mメッシュによる
地殻変動に伴う小崖1の成立に際してその南の地形面が相対沈下しただけでなく、南に傾斜したことを確認できます。
横戸4谷津の北下がりの縦断勾配が急であったため、地殻の傾動によって横戸4谷津の勾配の方向が逆転するまでには至らなかったと考えます。
横戸1谷津~横戸3谷津と異なる点は、横戸4谷津では谷地形が出口のない地形として存在していることです。
小崖1付近の横戸4谷津の谷地形
宅地造成(埋立、擁壁設置等)による改変が進んでいるが、出口のない谷地形は残っている。
出口のない谷地形がなぜ湖沼にならないで現代にまで伝わってきたのか、その理由に興味を掻き立てられます。
降った雨は全て地下水に涵養する漏斗のような役割を果たしている地形に違いありません。
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【横戸4谷津の延伸思考実験と副産物】
1 横戸1谷津~横戸3谷津の延伸検討
横戸1谷津~横戸3谷津の上流部は東京湾側水系の深い谷で切られています。
東京湾側水系で切られる前にはもっと南に谷津地形が続いていたことが想定されます。
私は犢橋川の南側の台地(さつきが丘団地付近)まで続いていたと考えています。
旧版1万分の1地形図、1949年撮影米軍空中写真、現代の5mメッシュデータ(標高)など手持ちの情報源で詳しく調べてみましたが、谷津(浅い谷)地形を南方向に延伸して確認できるような決め手を見つけることはできませんでした。
見つけられない理由は次の2点にあると思います。
ア 浅い谷は上流に向かってますます浅くなり、地形として確認しづらくなくなること。
イ 等高線間隔より小さい比高の地形になり、等高線で表現できなくなること。(注)
5mメッシュデータは0.1m単位ですが、私はこのデータを1m単位でしか利用していません。 そこで、5mメッシュデータを使って0.1m間隔の標高区分図あるいは等高線図を作成すれば、ひょっとすると畑地などの土地利用のところで横戸1谷津~横戸3谷津の確認されていない上流部を見つけることができるかもしれません。
0.1m間隔標高区分図あるいは等高線図を手持ちのソフトと自分の技量で作れないか、近々チャレンジしたいと思います。
注
DMデータ等高線間隔:1m
旧版1万分の1地形図等高線間隔(平坦部補助曲線):1.25m
(特徴的地形を表現する場合特殊的に0.625m間隔補助曲線も使う)
(一般部主曲線は2.5m間隔)
2 横戸4谷津の延伸検討
横戸4谷津の浅い谷地形は、上流方向(南方向)にたどると、現在、東金街道(正確には千葉県道69号長沼船橋線)付近まで確認できます。そこで、東京湾側水系(犢橋川)の浸食作用で途切れます。
台地面(下総上位面)は犢橋川を挟んで、もっと南まで広がっていますから、横戸4谷津を上流方向に延伸して犢橋川対岸の台地上にその浅い谷地形をたどることができないか、検討しました。
旧版1万分の1地形図や1949年撮影米軍空中写真、あるいは現代の5mメッシュ(標高)データの判読、分析を行いましたが、結局決め手となる情報は得られませんでした。
犢橋川による台地浸食が進んでいることと、地形改変を伴う開発が著しいためです。
浅い谷地形の延伸部分はわからないのですが、新たな疑問点が浮かび上がりました。 それは、横戸4谷津を思考実験として南に延伸させた場合、犢橋川対岸の台地では標高が3.5m程足りない(低い)ということです。
横戸4谷津を南に延伸させる思考実験
横戸4谷津が現在よりも南に0.5㎞ほど延伸していたと思考すると、その位置の台地標高は3.5m程足りない。
断面図の位置
カシミール3Dの機能による5mメッシュの等高線表示(1m間隔)
横戸4谷津と犢橋川対岸台地のレリーフ図
カシミール3D+5mメッシュ
高さ10倍強調
画面右が北側、左が南側
犢橋川南岸の台地で標高が3.5m足りない原因は、犢橋川北岸台地と南岸台地の間付近に地形の段差を生じるような原因があるのかもしれません。
犢橋川の谷は、小崖2→小崖1→○○という何か(○○)があってもおかしくない位置にあり、方向性を有しています。
このような視点から上記レリーフ図をみると、犢橋川北岸台地縁に小崖らしき断片の連続が確認できます。
小崖らしき断片の連続
この小崖らしき断片の連続が小崖1や小崖2と同じように、地殻変動と関わりのある意味のある地形であるのか、単なる浸食地形にすぎないのか、今後検討を深めたいと思います。
もしかしたら思考実験の中から有用な副産物(小崖1や小崖2と同様の地形の新発見)を得たのかもしれません。あるいは「スカ」をつかんだにすぎないのかもしれません。
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【横戸1谷津~横戸4谷津の上流延伸部捜索】
花見川と犢橋川に挟まれた台地上の浅い谷に名称(仮称)を与え(2012.1.22記事「犢橋長沼地区の検討」参照)、現在、横戸1谷津~横戸4谷津について検討しています。
新しい解析手法獲得(0.5m間隔標高区分図作成による解析)等により、予期しない発見があり、横戸1谷津~横戸4谷津の記事連載が続いています。今後順次横戸5谷津、横戸6谷津及び宇那谷川水系の谷津について記事を連載する予定です。
2012.2.6記事「犢橋川北岸台地上の小崖」、2012.2.5記事「0.1m間隔標高区分図」で掲載した0.5m間隔標高区分図は、色分けは0.5m間隔(ただし標高20.0m~29.0m間)ですが、色の下に0.1m間隔の段差陰影が強調されて透かし模様で入っています。
これにより、この標高区分図から0.1m間隔標高区分図に近い、詳しい情報を得ることができます。
1 横戸1谷津~横戸4谷津の上流延伸部捜索
0.5m間隔標高区分図により横戸1谷津~横戸4谷津の上流延伸部を捜索して、見つかった谷津地形を図に書き込みました。
谷津の上流延伸部捜索結果
地図太郎PLUS+5mメッシュによる
0.5m標高区分図 0.1m単位の段彩陰影付加
谷津の上流延伸部捜索結果+DMデータ
DMデータは千葉市提供
この図は位置確認のために掲載
横戸1谷津と横戸3谷津の上流部が見つかりました。
横戸1谷津は東京湾側水系によって切断されて場所に、東金街道より南側になりますが、見つけることができました。
横戸2谷津は東京湾側水系によって上流部は全て失われたようです。
この捜索結果から、横戸1谷津~横戸4谷津はともに、犢橋川によって区切られる台地南端付近までもその流路をさかのぼることができることまではわかりました。
さらにその上流が犢橋川を越えて南に拡がる台地にまで連続していたのかどうかは、南に拡がる台地の浸食開析と人工改変のために、捜索しましたが、不明です。
この捜索により、0.5m標高区分を行うと1m標高区分では知ることができない情報を得ることができるこを実感しました。
なお、この作業はパソコン画面上で現代地図(DMデータ)とのオーバーレイを繰り返し、人工改変の影響をできる限り排除して行いました。
画面上で観察できる起伏から人工改変の顕著な影響を排除しようとする思考を続けているうちに、大規模開発ではない1戸建て住宅地域や小規模業務施設地域では、個別施設の盛土切土量が限定されるので、地域全体としてみると0.5m単位~0.1m単位で見ても、本来の地形(あるいは本来の地形が有していたパターン)が相当程度残存していることがわかりました。
2 横戸1谷津~横戸4谷津と新たに見つけた小崖との関係
横戸1谷津~横戸4谷津と新たにみつけた小崖との関係は、犢橋川の台地開析が進んでいるので、明確なことはわかりません。
しかし、この小崖の東の延長が宇那谷2谷津を切っていることから、同様に横戸1谷津~横戸4谷津もこの小崖によって切られていると作業仮説的に考えておきます。
つまり、小崖1と横戸1谷津~横戸4谷津の関係と同じ関係を想定しておきます。
横戸1谷津~横戸4谷津上流部と小崖の想定分布
地図太郎PLUS+5mメッシュによる
0.5m標高区分図 0.1m単位の段彩陰影付加
横戸1谷津~横戸4谷津上流部と小崖の想定分布+DMデータ
DMデータは千葉市提供
この図は位置確認のために掲載
横戸1谷津~横戸4谷津は、その谷津ができた時は、犢橋川南岸台地から続いてきいたが、小崖によって南側が沈下するような形で切られ(截頭され)たと想定しておきます。頭の部分(谷津の上流側)は現在のところ見つけていません。