3-7-7-②高台南古墳の見学
3-7 双子塚古墳
3-7-7 後代における双子塚古墳の境界機能
② 高台南古墳の見学
■□花見川■□素材■□花見川■□素材■□花見川■□素材■□花見川■□
【高台南古墳の見学】
花見川源頭部付近にあった古墳 その8
1 行政資料等から高台南古墳の「裏」が取れない
2012.5.4記事「双子塚の境界機能 測量技術発達的特徴」で、双子塚との関連から、現在の鷹之台カンツリー倶楽部内に位置する高台南古墳に注目しました。
この高台南古墳についての基本的な情報を知っておくことは、その記事で述べた「古墳境界杭説」の確からしさを確保しておくためにも必要なことです。
千葉県埋蔵文化財分布図(3)(平成11年3月、千葉県教育委員会)には地図上の位置とともに次の情報が掲載されています。
埋蔵文化財包蔵地所在地名一覧(抜粋)
この表で、所在地が柏井町になっていることが気になります。
高台南古墳の地図上の位置はGIS上で確認すると明白に横戸町に位置します。
また、私の古墳境界杭説の視点から見ると、この古墳は元来は高津川流域を領地とする豪族が築造したものを、近世に横戸村(勝田川流域)が奪取したものであると考えます。
柏井方面(花見川流域)の豪族が造った双子塚を近世に横戸村が奪取したのと同じパターンであると考えます。
このような情報と発想から、上記した高台南古墳の所在地「柏井町」は誤りで「横戸町」が正しいと考えました。
おそらく地図位置比定能力が虚弱な人による台帳作成作業に起因する誤り-ケアレスミス-と考えました。
そこで、千葉県教育委員会に高台南古墳の所在地が間違っているのではないかということと、千葉県埋蔵文化財分布図(3)掲載情報以上の情報にアクセスしたい旨問い合わせしました。
結果、次のような回答を千葉県教育委員会文化財課から電話でいただきました。
・高台南古墳の千葉県埋蔵文化財分布図上の位置は横戸町に位置するようであるが、千葉県及び千葉市教育委員会には高台南古墳の資料がないので確認できない。
・したがって埋蔵文化財包蔵地所在地名一覧の所在地の修正はできない。
・この古墳の調査は武田先生が実施したようである。
なんとも心もとない情報です。
本当に古墳がこの位置にあったのか、不安になります。
2 鷹之台カンツリー倶楽部より情報をいただき、現場も見せていただく
そこで、思い切って社団法人鷹之台カンツリー倶楽部に連絡して高台南古墳に関する情報について訊ねたところ、情報を教えていただけることになりました。
5月4日にゴルフ場を訪ね、副支配人の永島さんから高台南古墳の発掘経緯等について関係資料を踏まえて教えていただくとともに、現場も見学させていただきました。
次にその概要をまとめました。
ア 高台南古墳発掘経緯
・鷹之台カンツリー倶楽部内に前方後円墳1基、円墳数基が確認されている。
・昭和27年にゴルフ場クラブハウス(旧クラブハウス、現存)建設のための土地造成中に石棺が発見された。石棺は縦2m、横1mで石の厚さは7㎝で、中には男性の骨があり、頭部は東を向いており、かたわらには副葬品として二本のそりのない鉄製の刀剣が添えられていた。
・石棺は、当時のゴルフ場地主会会長川口幹さんが千葉大学文理学部教授であったことから、千葉大学文学部史学科に保存されている。
イ 高台南古墳跡見学
永島さんの案内で石棺の出た場所付近を見学させていただきました。
ゴルフ場旧クラブハウスが現存していることから、前方後円墳跡の大まかな位置は現場で確認することが出来ました。
それは千葉県埋蔵文化財分布図上での位置と一致することも判りました。
「本当に古墳がこの位置にあったのか、不安になります。」という気持ちは杞憂にすぎませんでした。
逆に双子塚と高台南古墳を結んで領域界を設定したという説の確からしさを現場であらためて実感できました。
高台南古墳跡地付近の状況
双子塚方面を望む
ウ 円墳(女塚)見学
高台南古墳跡地から東350mほどのところにある、女塚と呼ばれている円墳を見学させていただきました。
1番ホールにあります。
見かけの比高2mくらい、直径20m弱といった大きさです。
双子塚発掘調査報告書の写真でみる双子塚と大きさがほぼ同じです。
双子塚が現存していれば、このような姿に違いないと思うと、とても参考になりました。
1番ホールにある円墳
「ゴルフ場で働く人夫(地元の人)は女塚が古墳であることを知っていて、ゴルフコース造成に際して、設計上の指示はないけれども、現場で古墳を破壊しないように工事をした」というお話も聞くことができました。
また、すぐ近くの柏井小学校の子どもが古墳の学習でゴルフ場を訪れているそうです。
急な問い合わせにも関わらず、快く古墳に関する情報を教えていただき、現場も案内していただいた社団法人鷹之台カンツリー倶楽部に感謝申し上げます。
つづく
■□花見川■□素材■□花見川■□素材■□花見川■□素材■□花見川■□
2012.5.5記事「鷹之台カンツリー倶楽部内古墳の見学」で話題にした高台南古墳について、追加情報を期待して調査しましたが、結局新たな情報を得ることができませんでした。
その経緯を記録しておきます。
1 鷹の台自治会長ヒアリング
鷹の台自治会会長の原田雅男さんにヒアリングする機会を得ました。
原田さんは旧ゴルフ場跡地開拓者であり、高台南古墳の石棺が出土したときに、実見されている方です。
原田さんは、また、柏井小学校の10年誌、20年誌、30年誌を執筆され、地域の歴史にとても造詣の深い方です。
その原田さんから、これまで高台南古墳の調査記録等は見たことがなく、古墳に関わる学術的調査は行われなかったのではないかというお話を聞きました。
県教育委員会の情報では、この古墳は武田宗久が調査されたのではないかとのことでした。この情報を原田さんに話すと、原田さんは千葉高校で武田宗久先生に教わったことがあり、柏井小学校の年誌執筆に際して、地域の歴史について指導を受けたことがあるが、ついぞ高台南古墳の調査については聞いたことがないとのことでした。
2 千葉大学史学科問い合わせ
ゴルフ場地主会会長の川口幹さんが千葉大学文理学部の数学の教授であった関係で、出土した石棺等は千葉大学文学部史学科に保存されているという情報が柏井小学校年誌に伝えられてきています。
この情報にもとづいて、千葉大学史学科に高台南古墳の出土物が保管されているのか、調査記録等が存在するのか、それらは閲覧できるのか問い合わせてみました。
史学科考古学講座より次のような回答がありました。
・考古学講座の台帳には高台南古墳の記載はない。
・おそらく教養部所管の倉庫に格納されていると推測される。
・ただし、所在が不確かで、調査されたものではない表採品を精査することは諸般の事情から困難である。
とのことでした。
何かの機会に判明したら知らせていただけるとのお話はいただくことができました。
千葉大学に出土物は運ばれたけれども、結局調査はなされていないようです。
3 資料調査
3-1 「前方後円墳集成 東北・関東編」(山川出版社、1994)
次の情報と位置図が掲載されています。
この中の文献「千葉県所在古墳詳細分布調査報告書」を次に示します。
3-2 「千葉県所在古墳詳細分布調査報告書」(千葉県教育委員会、1990)
次の情報と位置図が掲載されています。
これらの資料から得られる情報は千葉県埋蔵文化財地図とほぼ同じです。
武田宗久が確認調査とあることから、現場確認を武田宗久がおこない、このリスト情報を作成し、それ以外の調査報告書類はないということがわかってきました。
双方の資料ともに住所が柏井町で間違っています。地図上の位置は正確には横戸町です。最初の調査表作成者が住所を勘違いし、それが延々と引き継がれているようです。
ということで、高台南古墳について少し動き回ってみましたが、特段の情報が得られなかったことを記録しておきます。
* * *
横戸台にある双子塚古墳について、その出土物の閲覧機会が得られることになりそうです。閲覧後、報告します。