2-4-2-⑥宇那谷1谷津
2-4 横戸川筋、宇那谷川支川筋谷津の地形発達史
2-4-2 谷津の縦断形
⑥ 宇那谷1谷津
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【宇那谷1谷津の縦断形】
宇那谷1谷津の縦断形を検討しました。
1 宇那谷1谷津の谷筋確認
次の図は旧版1万分の1地形図の谷筋線図で宇那谷1谷津を示しています。
宇那谷1谷津の位置(旧版1万分の1地形図谷筋線図)
旧版1万分の1地形図は大正6年測量
等高線の分布から宇那谷1谷津も小崖1で截頭されていることがわかりますが、特徴的なことは小崖1より北約200m離れたところに谷中分水界があることです。
小崖1より北側で谷津縦断形状が南に傾くという現象は横戸1谷津~横戸6谷津では見られませんでした。
また小崖1のすぐ南では23.7m等高線の凹地があります。
そのさらに南で宇那谷1谷津は東京湾側水系の谷によって切られています。
その浸食谷壁に流水が流れ下に池があります。民話の伝わっている子和清水です。(2011.7.28記事「子和清水」参照)
2 宇那谷1谷津谷筋の現代地図投影
次の図は現代地図(DMデータ)に上記谷筋線を投影したものです。
宇那谷1谷津の位置(DMデータ)
DMデータは千葉市提供
この図から、宇那谷1谷津の位置は、上流は千葉北インター敷地内で、千葉北警察署のある交差点の北で国道16号を横断していることがわかります。
なお、子和清水は千葉北インター敷地内に位置し現在は存在しません。
3 宇那谷1谷津谷筋の3D表現
次の図は宇那谷1谷津谷筋を0.5m間隔標高区分図に投影し3D表現したものです。
宇那谷1谷津谷筋の0.5m間隔標高区分図3D表現
地図太郎PLUS+カシミール3D+5mメッシュ
DMデータも投影表示している
東関東自動車道と千葉北インター、国道16号とその沿線開発などにより自然地形の面影の大半は失われています。
4 宇那谷1谷津の縦断面図作成
上記3のデータから、谷筋の現代地形における縦断面図を作成しました。 縦断面図には1で得た旧版1万分の1地形図の等高線交点情報による大正6年地形の縦断線も記入しました。
宇那谷1谷津の縦断面図
現代地形はカシミール3D+5mメッシュによる
宇那谷1谷津縦断面図は、横戸1谷津から横戸6谷津と同様に、地殻変動に伴う小崖1の成立に際してその南の地形面が相対沈下しただけでなく、南に傾斜したことを確認できます。(本来北に向かって下がるべき縦断形がほぼ水平になっているため、土地全体が南に傾斜したと判断できる。)
さらに、小崖1より約200m北の範囲も南に傾斜しています。
小崖1より北側が南に傾斜することは横戸1谷津~横戸6谷津ではなかったことです。
宇那谷1谷津のこのような縦断形が南側に対する集水効果を持つことになり、子和清水の存在理由の一つになったと考えます。
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【子和清水が強い理由】
2011.7.28記事「子和清水」で、子和(コワ)清水のコワは強(コワ)い清水の意味で、どんな干天でもこの清水だけは水が枯れないという意味だと述べました。
その強(コワ)い理由が宇那谷1谷津縦断形の検討の中で浮かび上がってきました。
理由を箇条書きしてみます。
子和清水が強(コワ)い理由
1 背後の流域が広いこと
子和清水の地形的流域を旧版1万分の1地形図から抽出しました。
子和清水の地形上の集水流域
旧版1万分の1地形図(大正6年測量)
子和清水の地形上の集水流域は面積が12.5haあり、近隣の東京湾水系谷頭浸食部の中では広い面積を有しています。
広い集水流域を有する理由の一つは、小崖1より北側200m程度の土地が東京湾側水系になっているからです。
小崖1より北側が東京湾側水系になっているところは、横戸1谷津~横戸6谷津では見られませんでした。
2 流域に凹地があること
旧版1万分の1地形図には閉じた23.75m等高線で凹地が表現されています。
台地上の浅い谷の凹地は地下に対して漏斗のような役割を果たしている地下水涵養装置であると考えられます。
3 子和清水が流域狭窄部の直下にあること
子和清水流域の最下流が地形的な狭窄部になっています。このため、流域に集まった水がおのずと一か所に集まり、子和清水に流れ出すようになっています。
地形からみると、子和清水流域が地下ダムのような役割を果たしている印象を受けます。
子和清水北の地形的狭窄部
旧版1万分の1地形図(大正6年測量)
4 東側台地に広大な凹地があること
子和清水東側には宇那谷2谷津の広大な凹地があります。この凹地から涵養された地下水の逃げ場の一つが子和清水である可能性が濃厚です。
旧版1万分の1地形図では、子和清水は池と流路筋によって、オタマジャクシのような姿で描かれています。
流路筋は標高22.5m等高線から下に描かれていて、台地(正確には宇那谷1谷津の谷底)の標高は23.75m~25mです。このことから流路筋を流れる水は地下水といっても降雨の影響を受けやすい宙水であると考えられます。
池は17.5m付近に描かれていてここには降雨の影響を受けにくい地下水が湧いていたものと考えます。
子和清水の姿と等高線
旧版1万分の1地形図(大正6年測量)