2-6-1長沼の既往記述

2-6 宇那谷川本川筋谷津、長沼の地形発達史

2-6-1 長沼の既往記述

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【長沼の既往記述】

長沼がどのように認識され記述されてきたか、手持ちの地名辞典・地誌等の記述を並べてみました。

長沼に関する記述

このブログでは長沼の成因が下総上位面形成後の地殻変動に起因して発生した自然湖沼として追究しています。

ふりかえって、一般の人は長沼を自然湖沼として認識していたのか、人工の溜池として認識していたのか知りたかったので、過去の資料における記述を調べてみたのです。

大正15年発行千葉県千葉郡誌の記述内容から、私は当時の人は長沼をうすうす自然湖沼と考えていたと推察しました。

しかし、当時も今も長沼池の出自(成因)を調べた人はいなかったので、もし当時の人に「長沼池は自然湖沼ですか?」と聞けば、「自然湖沼とは思うが、溜池かもしれない」というあいまいな答えが返ってきたに違いないと思います。

平凡社と角川の2つの地名辞典に湖沼名としての「長沼」が無いことは、この湖沼が既に埋め立てられてしまったためであると思います。

「絵にみる図でよむ千葉市図誌 下巻」では長沼池をめぐる争論の内容と絵図を紹介して、長沼池の姿・歴史が詳しくわかるようになっています。しかし、自然湖沼か溜池かという出自(成因)についての記述は一切ありません。

以上の情報から、これまでの社会では長沼の出自(成因)について問題意識を持った人はいなかったと推察しました。

長沼池が地理・地形地質等の専門的視点からの検討対象となったことはないようです。

千葉県千葉郡誌の表紙