2-6-4-②湖沼堆積物データ

2-6 宇那谷川本川筋谷津、長沼の地形発達史

2-6-4 古長沼の復元と成因

② 湖沼堆積物データ

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【湖沼堆積物データの発見】

古長沼の復元 その2

古長沼の湖沼堆積物の存在を示すと考えられるボーリングデータを見つけましたので報告します。

千葉県地質環境インフォメーションバンクを検索したところ、千葉県立千葉北高校敷地内に8本のボーリングデータがありました。

次にそのデータと位置を示します。

ボーリングデータ

ボーリング位置図

千葉県地質環境インフォメーションバンク検索画面

ボーリング位置図

0.5m間隔地形段彩図プロット(GIS上でジオリファレンス)

ボーリングデータのうち1~7地点は類似した層順になっています。

下から(凝灰質)細砂層、凝灰質粘土層、ローム層、表土になっていて、台地(下総上位面)の一般的な地層堆積状況を示しているものと考えられます。

ところがボーリングデータ8地点は7地点と50mしか離れていないにもかかわらず全くことなった層順になっています。

下から(凝灰質)細砂層、ローム層、粘土層、細砂層、ローム層、表土になっています。

私はボーリンデータ8地点を7地点と対比して次のように解釈しました。

ボーリングデータ8地点も、7地点と同じく(凝灰質)細砂層の上に凝灰質粘土層の堆積があったと考えます。

木下層の上に常総粘土層が堆積したものであると考えます。

凝灰質粘土層(常総粘土層)の堆積後陸化があり下総上位面の台地が形成されました。

その後、ボーリングデータ8地点では谷津形成により凝灰質粘土層が浸食され欠落したと考えます。

そして、8地点は谷津斜面近くであったため、その後降灰した火山灰が流水で流されることなくローム層として堆積したと考えます。

その後、谷津が湖沼化し止水環境下になり、8地点ではローム層の上に粘土層が堆積しました。

ある時点で8地点に流水環境が生まれ、「分級良好で浮石を縞状にはさむ」細砂層が堆積しました。

湖沼の一部が決壊し、水が抜けていく時に生まれた流水環境であると考えられます。

水が抜けて湖沼で無くなった8地点には火山灰が堆積し、ローム層30㎝、表土・ローム層20㎝が堆積しました。

湖沼堆積物を示すボーリンデータ

このボーリングデータの存在から、次のような様々な事柄を考えるきっかけを得ることができます。

1 ボーリングデータ8地点の谷津素性

・古長沼とはどこでつながっていたか。

・宇那谷2谷津の上流部であるのか。

2 湖沼化していた谷津の範囲

3 なぜ流水環境が生まれたか

・湖沼が決壊した場所は。

・流水はどちらの方向に流れたのか。(古長沼に流れ込んだのか、反対に古長沼から流れ出したのか?)

4 湖沼堆積物と考えた細砂の供給源は?

(細砂堆積高度は22.7m~24.9mですが、この附近の細砂供給源である木下層の堆積高度上限は18m程度です。)

5 この地点で湖沼が発生し、終焉した時代は?

突然の湖沼発生とその大決壊があったことなど、1つのボーリングデータからダイナミックな発想が展開する予感がします。

順次検討します。

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【湖沼堆積物地点の谷津地形】

湖沼堆積物の存在を示すボーリングデータ地点の谷津地形復元図を示します。

ボーリング地点の谷津地形 1

0.5m間隔地形段彩図プロット

ボーリング地点の谷津地形 2

旧版1万分の1地形図プロット

ボーリング地点の谷津地形 3

DMデータプロット

宇那谷2谷津の縦断形は2012.2.21記事「宇那谷2谷津の縦断形」で検討しました。

その検討時点では、上記「ボーリング地点の谷津地形2」で示すように、旧版図で25m等高線で示される尾根部を突っ切って谷津地形を連続させることに躊躇していました。

しかし、ボーリングデータで湖沼堆積物の存在を確認できて、上図のような宇那谷2谷津筋の復元を行うこととします。

宇那谷2谷津がボーリングデータ付近で尾根のようになり谷津地形が不明瞭になる理由は地殻変動によるものと考えますが、その論拠については追って説明します。

また、古長沼の中央部で宇那谷2谷津と宇那谷川の筋が交差するような関係になる理由は小崖3にかかわる地殻変動によるものと考えますが、これも詳細は追って説明します。

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【湖沼堆積物地点谷津地形の3d表現】

湖沼堆積物地点付近を拡大して谷津地形を3D表示してみました。

湖沼堆積物地点の谷津地形の平面拡大図

湖沼堆積物地点の谷津地形3D表現 1

湖沼堆積物地点の谷津地形3D表現 2

湖沼堆積物地点の谷津地形3D表現 3

点線で表現した谷津筋の微妙な修正は必要かもしれませんが、大局には関係ないことです。

3D表現してみると宇那谷2谷津の筋を古長沼を横断して南に連続したことの確からしさが、私は、大いに増したと感じました。

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【参考 火山灰の厚さ】

千葉県地質環境インフォメーションバンクのWEBページから、長沼付近の地質柱状図を入手しました。

千葉県立千葉北高校敷地内に8本のボーリングデータがあます。その詳しい検討は後日行うことにし、ここではその1つを例として示します。

このボーリング地点の位置は標高25mであり、谷津ではない台地一般面の部分です。谷津に位置しないことは、旧版1万分の1地形図でも確認できます。

長沼付近台地一般面の地質柱状図(例)

地質柱状図(例)の位置

このデータでは砂層の上に凝灰質粘土層が3m、その上にローム層が4.7m堆積していることが判ります。

芦太川の検討をした時には次のような結果を得ています。(2012.1.8記事「浅い谷の正体」参照)

芦太川におけるボーリングデータ(平均値)

これらのデータから、長沼付近でも陸域には(風成)火山灰が5m弱程度積もったと考えることが合理的であると考えます。

小崖1の形成前と形成後(湖沼が形成される前と後)の火山灰堆積深の割合については、不明ですので、今後検討することにします。

参考

芦太川の例では次のようになります。

(芦太川では小崖1の形成に伴う谷津截頭で谷津のアクティブさが失われ、つまり谷津の浸食運搬能力が失われ、その時点からローム層の堆積が始まったと考えました。)

小崖1形成前ローム層厚=台地一般面ローム層厚-浅い谷ローム層厚=4.7m-2.3m=2.4m

小崖1形成後ローム層厚=浅い谷ローム層厚=2.3m

つまり、小崖1形成後ローム層厚はローム層厚全体の49%となります。ざっくりとらえれば半分です。

この結果をそのまま使えば、小崖1形成後、長沼付近の陸域で約2.5m程火山灰降灰による地盤上昇があったことになります。

しかし、このように芦太川の結果を長沼に敷衍すると、長沼付近で抱いている私のイメージと少し食い違うような気もします。

この芦太川の例が長沼でどの程度参考になるのか、今後評価していきたいと思います。

いずれにせよ、小崖1形成後(古長沼形成後)火山灰降灰による地形発達があったことがボーリング資料からも確認できるので、2011.2.26記事「宇那谷川谷津の拡大プロセス仮説」の確からしさを補強することができました。