2-2-6-⑥河道逆行争奪の証拠5
2-2 花見川筋の谷津地形発達史
2-2-6 河道逆行争奪の証拠
⑥ 河道逆行争奪の証拠5 花見川による断層崖先行谷津パターンの取り込み
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【河道逆行争奪の証拠5 花見川による断層崖先行谷津パターンの取り込み】
断層崖である小崖2に起因する先行谷津パターンを花見川が取り込んでいます。このこと自体が花見川が印旛沼水系谷津を河道逆行争奪した証拠として採用できます。
この付近の台地が生まれた時(下総上位面が陸化した時)、最初に次のような印旛沼水系必従谷が形成されました。
下総上位面形成時の必従谷分布
基図は旧版1万分の1地形図(大正6年測量)
その後、地殻変動があり、次のような断層崖発生に起因する谷津パターン(断層崖先行谷津パターン)の形成がありました。(2012.2.29記事「小崖2に起因する谷津パターン」参照)
断層崖先行谷津パターン
基図は旧版1万分の1地形図(大正6年測量)
小崖2に起因する断層崖先行谷津パターンは花見川(古柏井川)だけでなく、近隣の河川に一般的にみられる現象です。
参考 小崖2に起因する断層崖先行谷津パターン例
印旛沼堀割普請前の花見川の谷津パターンは次のようになっています。
印旛沼堀割普請前の花見川の谷津パターン
基図は旧版1万分の1地形図(大正6年測量)
つまり、印旛沼堀割普請前の花見川の谷津パターンは小崖2に起因する断層崖先行谷津パターンをそのまま取り込んでいます。
これが河道逆行争奪現象の証拠となります。
断層崖先行谷津パターンはもともと古柏井川(印旛沼水系河川)で形成されたものですが、それが東京湾水系の花見川に取り込まれていることは河道逆行争奪現象があった証明材料となります。
* * *
2012.5.30記事「河川争奪(河道逆行争奪)の5つの証拠」からスタートした連載を終えます。
江戸時代から現代までの人工改変により、花見川のもともとの地形が専門家でも理解できなくなってしまっています。
しかしこのブログで、花見川に、類例のない特異形式の河川争奪地形(このブログで河道逆行争奪地形と仮称しました)が存在していることを自分なりに究明できました。
さて、今後このブログでは地形そのものから、特異な地形を利用した地域の歴史に興味対象を少しずつ移動していきます。
花見川のもともとの谷津地形が判ってきたので、その知識に立脚して、次のような人文現象について改めて検討したいと思います。
おそらく、花見川のもともとの地形が不明の時と比べて、興味をより深めることが出来ると思います。
・古代遺跡(縄文遺跡、弥生遺跡、古墳等)
・地名(特に縄文由来の地形関連地名)
・小金牧、六方野
・花島観音、横戸弁天、神社
・印旛沼堀割普請
・習志野演習場、下志津演習場
・戦後印旛沼開発
・開拓
・住宅団地開発など
また、折に触れて、「河川争奪現象の発生メカニズム」などマニアックな話題も記事にします。