5-1 印旛沼堀割普請
5-1-1 印旛沼堀割普請土木遺構
① 捨土土手の現況
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【捨土土手の現況】
横戸緑地は天保掘割普請の土置場(土捨場)の跡をそのまま利用した公園です。掘割の斜面すぐ上の細長い凸状の地形をうまく公園として活用しています。横戸団地造成のために掘割から離れた脚部が一部カットされていますが、ほとんど往時の姿を残しているものと考えられます。土木遺産としての掘割に興味を持てば、サイクリング道路からの斜面の眺望だけでなく、土置場も見ておくことが有益です。その点で、横戸緑地訪問が打って付です。なお、横戸緑地には掘割普請や土置場跡の説明は一切ありません。(なお、サイクリング道路の全区間にも掘割普請や歴史の説明は一切ありません。花島公園にのみ掘割普請の説明板があります。)
上図は「天保期の印旛沼掘割普請」(千葉市発行)に収録されている「北柏井村の掘割筋潰れ地絵図の部分」(千葉市 川口和夫家文書)のトレース図です。この図の地点は横戸緑地より下流にあたると考えられますが、この絵図から掘割の斜面(堤敷)のすぐ外側を土置場(土捨場)にしたことが確認できます。
この地図は旧版1万分の1地形図「三角原(さんかくはら)」(大正6年測量)を青色で示し、その上に数値地図1/2500(空間データ基盤)(平成18年発行)の水部(空色)、街区・道路(墨色)、横戸緑地(赤色網)をオーバーレイしたものです。GISを用いて作成しました。
等高線から判読できる細長い凸部地形(土置場跡)と横戸緑地が見事に重なっています。「高台」は地名(小字)で、掘割普請以前の原地形の分水点付近を示していると考えられます。
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天保期印旛沼堀割普請の土木遺構である土捨て場跡の土手が目の前に現れました。
雑木林が抜開されたためです。
横戸緑地の南端に接したところです。
これから宅地造成工事が進み、資材置き場等の用途に使われるようです。
土手は残念ですが、取り払われ整地されてしまうようです。
昔の単なる「土捨て場跡」と言えばそこが宅地開発されることは問題がないようにも感じますが、そうではないと思います。
昔の単なる「ゴミ捨て場跡」でも、後世に「貝塚」と表現して貴重な文化財として保護します。
「土捨て場跡」ではありますが、天保期印旛沼堀割普請の貴重な土木遺構であり、文化的・学術的価値を有するものです。
特に普請の施工や技術の詳細が続保定記などの資料として現在まで伝わってきており、現物遺構と対比が可能であり、そうした資料とセットで現物遺構が存在しているという意味で、価値を一層高めています。
以前千葉市教育委員会に問い合わせたところ、「印旛沼堀割普請跡は文化的価値があるが、範囲をどこまで指定してよいかわからないから文化財指定はしていない」という趣旨の回答をいただきました。(2011年3月21日記事「花見川の文化的価値評価の現状」参照)
行政も市民も傍観者的になっていると、そのうちに貴重な土木遺構が無くなっていってしまいます。
文化的価値があるのに、その破壊を手をこまねいて見ているという状況をなんとかしたいものです。
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工事現場の人に聞くと、この雑木林の下草を刈っているときに、死体が出てきて大騒ぎになったそうです。
結果としてわかったことは、近くの人が行方不明になって、この附近も捜索はしたのだけれども発見できなかった人がいて、その人がこの場所で行き倒れになって死亡していたとのことでした。