6-4-1軽便鉄道橋台の発見
6-4 花見川河川敷におけるトーチカの発見と調査
6-4-1 軽便鉄道橋台の発見
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【軽便鉄道橋台の発見】
20121031記事「未明の花見川散歩」に海老川乱歩さんからコメントをいただき、軽便鉄道架橋跡に橋脚が残っているというURLを教えていただきました。
もし本当なら興味深いことですが、これまでその場所に特段の地物を見かけていなかったので、謎が深まっています。
次の写真は11月4日に撮影した西岸です。
軽便鉄道架橋跡付近の西岸風景
この付近に昭和10年代に鉄道連隊が設置した軽便鉄道の橋脚があることになるのですが、草が一面に繁茂していて、その下にコンクリート製の橋脚があることは確認できません。
なお、この架橋地点背後には下水道施設があり、グーグルアースなどで確認できます。また、その施設の管理のために西岸の台地上(丁度捨土土手の付近)に弁天橋から管理用道路があります。
この道路を通って現場まで行けるのですが、崖に入ることは困難です。
西岸架橋地点付近の下水道施設
過去の写真を調べたら今年の1月24日の積雪の風景写真がみつかりました。
軽便鉄道架橋跡付近の冬季の西岸風景
雪は仮になくてもほとんど枯草におおわれていて、その下に何があるのか判然としません。
この場所は冬季だけでも何十回となく歩いているので、もし枯草の下にコンクリート製の構造物があればわかりそうなものですが、これまで気が付きませんでした。
謎は深まります。
次の地図は昭和40年に農林省が印旛沼開発のために測量した地図で、その後水資源開発公団に移管された資料です。最近水資源機構から提供していただいたものです。
昭和40年測量地図
この地図には軽便鉄道跡が両岸とも出ていて、西岸には橋台らしきものが出ています。
軽便鉄道の軌道幅は60㎝で、この地図の橋台幅は1.5m程度です。
もし橋脚が残っているとすると、幅が1.5m程度のものです。
海老川乱歩さんに紹介していただいたURLに出ている写真をよく見ると、現在の道路等の橋脚と同じような大きさのコンクリート構造物のように見えます。
この場所に軽便鉄道の橋脚(橋台)があるのか、別の施設があるのか、土の崖をコンクリートと見間違っているのか、謎が深まります。
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軽便鉄道が花見川を架橋するところで、写真入りで軽便鉄道の橋脚を説明する資料を見つけました。
地元郷土を調べた資料です。
これで一件落着と感じました。
ところが同じ資料に、この付近で、九十九里浜に米軍が上陸する本土決戦に備えていた終戦に近い時期に、戦車第4師団が築城演習をして防空糧秣倉庫をつくったという記述があります。(正確な地図はでていない。)
この情報に接し、思考の顛末は省略しますが、次のような未知の戦争遺跡がこの場所にあるのではないかと考えるようになりました。
グーグルアースの空中写真に投影した私の見立て
正面写真に投影した私の見立て
上記地元郷土を調べた資料では「コンクリート構造物入口?」と書いた地物の写真を軽便鉄道橋脚としています。
しかし、この地物は軽便鉄道のルートから外れてしまいます。
「軽便鉄道橋脚があるとすれば、この付近」と書いた楕円付近が、正確な軌道の延長部です。
この付近は樹木に覆われていて橋脚を確認できませんが、現在は、枯れかけた樹木背後には地層の露出が見えるだけす。
海老川乱歩さんに紹介していただいたURL(http://johokan.net/history/RailHistory/Haisen/military-ct.html)に掲載されているコンクリート製の橋脚写真はおそらくこの部分です。
樹木を取り払って、あるいは現場に近づいて観察しなければ橋脚があるのかないのか何とも言えません。 しかし、紹介URLの写真は地層の姿が木の枝で区切られ、橋脚のような形になり、見間違えた可能性が濃厚と考えます。
「未知のコンクリート構造物?戦争遺跡(防空糧秣倉庫)?」と書いた部分が、今回発見(?)したことになるかもしれない地物です。
航空写真でも、対岸から撮った写真からもこの部分に灌木が生えていなく、また、その形状からコンクリート構造物のように見られます。入口もあるようです。
おそらく戦争末期につくられた防空壕(防空糧秣倉庫)であり、軽便鉄道を使ってこの場所に本土決戦用の糧秣を蓄えたのだと、想像します。
近くの印旛沼流域下水道施設関連のものではないようです(電話ヒアリング)。
戦後印旛沼開発工事のヤードとしてつくられた構造物であることも考えられますが、その可能性は低いと思います。
海老川乱歩さんのコメントが、紆余曲折を経て、未知の戦争遺跡発見につながる可能性大です。
この見立ての確からしさを高めてから改めて資料等の紹介をしたいと思います。
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午前中電話で行政にヒアリングしました。防空糧秣倉庫については県土木事務所も県下水道事務所も情報はないとのことでした。
午後から雨が止んだので現場に下見に出かけました。 驚いたことに1日か2日前に草刈して橋台までの通路ができていました。
既に用意してあった?通路
橋台はすぐにみつかりました。
橋台のコンクリート
橋台のコンクリート(最上部)
次の地図に既に表現されているものでした。
橋台のコンクリートが表現されている地図
以前の記事で私が地図に記した場所は間違っていました。
防空糧秣倉庫が存在しているかもしれないと考えている場所は藪が深く進めませんでした。
「入口」と考えた付近に鉄筋が見えますが、何か現代の鉄筋かもしれません。
防空糧秣倉庫の存在を疑っている場所に突き出ている鉄筋
防空糧秣倉庫の入口をふさいだ工事の跡が荒れた状態になっているのかもしれません。
防空糧秣倉庫が地下にある可能性を否定する要因を見つけ出すことはできませんでした。
逆に存在の可能性を肌で実感できたように思います。
藪を切り開けば存否が判断できる可能性大です。
予備調査を実施する価値があることが判明しました。