6-2 下志津演習場
6-2-2 特殊演習場の発見と行政に対する要望
① 特殊演習場の発見
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【特殊演習場の発見】
宇那谷川流域紀行15 下志津射場図 5 近衛師団管轄演習場規程(下)
近衛師団管轄演習場規程の短時間閲覧で発見した2つの重要な事実の2番目は、次の通り特殊演習場の意味が確認できたことです。
2 宇那谷集落を移転させ毒ガス演習場を作ったこと
宇那谷集落を移転させて昭和15年3月までに下志津演習場が拡張しました。そして、この区域に「特殊演習場」が設定されています。
特殊演習場の凡例と位置(近衛師団管轄演習場規程付図)
この「特殊演習場」の意味が付図からは確認できませんでした。しかし、近衛師団管轄演習場規程の中に次の文章を見つけ、「特殊演習場」が毒ガス演習場であることを確認しました。
近衛師団管轄演習場規程 昭和十七年四月一日
第4章 演習場ノ警戒及取締
其ノ一 通則
第三十八条
(五)特殊演習ヲ実施シタル地域ハ厳密ニ危害除去作業ヲ行ヒ尚必要アル期間立入禁止等ノ処置ヲナシ演習場司令官並ニ主管ニ報告又ハ通報スルモノトス
特殊演習場の位置を現在の地図にプロットすると、次図のようになり、国道16号が中央南北に通過している場所です。
特殊演習場の位置
特殊演習場はGIS上の計測では東西方向460m、南北方向350mで約15.85ヘクタールです。
習志野演習場とは別に下志津演習場にも毒ガス演習場があったとの情報は、私はこれまで知りません。
毒ガス演習の実態はどうであったのか、毒ガス演習場の存在がこれまでどれだけ知られているのか、現代の地域づくりにおいて配慮に値する情報であるのか(現代環境問題は100%無いと断言できるのか)など、情報を集めたいと思っています。
次の写真は特殊演習場であった場所の現状です。(2011.3.24撮影)国道16号から南方向を写しています。特殊演習場の中央北端から写し、赤信号の交差点が特殊演習場中央南端です。
特殊演習場位置の現状
参考
実は、上記の「特殊演習場の現状」写真はこの記事の説明のために撮ったものではありません。この写真で示す場所に次の「宇那谷村畑中の独立樹」があったので、その説明のためのピンポイント現状写真として撮ったものです。計らずも転用しました。
「宇那谷村畑中の独立樹」
迅速図「千葉県下総国千葉郡長沼新田印旛郡宇那谷村」図幅(明治15年1月測図)の視図
この視図は改めて掲載して記事にする予定です。
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下志津特殊演習場の位置(付図第六其一)
2011年6月19日記事「下志津射場図5近衛師団管轄演習場規程(下)」で記述したとおり、下志津演習場を拡張し宇那谷集落を移転させた後、近傍に特殊演習場(毒ガス演習場)がつくられたことを史料から知りました。
特殊演習場が千葉市花見川区に存在したことは現在の市民、行政に知られていませんので、6月19日以降にわかった史料情報を記録しておきます。
1近衛師団管轄演習場について
全国の陸軍演習場は「陸軍演習場規則」(以下「規則」と略称します)により管轄軍令官師団長と使用団隊が詳細に定められていました。
昭和15年の規則では、近衛師団長が富士裾野、北富士、西富士、相模原、一宮、下志津、習志野、溝ノ口、八柱の9演習場を管轄しています。(規則は国立公文書館アジア歴史資料センターのWEBで史料閲覧できます。)
下志津演習場、習志野演習場の使用団隊は共通で、「東京、国府台、下志津、習志野、千葉、佐倉、原町田諸団隊」となっています。
2近衛師団管轄演習場における特殊演習場について
近衛師団管轄演習場規程(昭和17年4月1日、近衛師団司令部)(以下「規程」と略称します)(防衛省防衛研究所史料閲覧室で閲覧可能)では、上記規則に定められた9演習場の細部事項を定めています。
規程の中で、特殊演習場は富士裾野演習場内2箇所(瀧河原特殊演習場、板妻特殊演習場)と、下志津特殊演習場、習志野特殊演習場の合計4箇所が定められています。
規程の付図目次によれば、この規程の付図として「付図第一其三 瀧河原特殊演習場要図」、「付図第一其四 板妻特殊演習場要図」、「付図第六其三 下志津特殊演習場要図」、「付図第七其三 習志野特殊演習場要図」があります。(史料未発見)
参考 規程の「付図目次(別冊トス)」に掲載されている付図リストは次の通りです。
付図第一
其一其二 富士裾野演習場要図
其三 瀧河原特殊演習場要図
其四 板妻特殊演習場要図
其五 瀧河原廠舎ノ配置及収容人馬数要図
其六 板妻廠舎ノ配置及収容人馬数要図
其七 駒門廠舎ノ配置及収容人馬数要図
付図第二
其一 北富士演習場要図
其二 北富士廠舎ノ配置及収容人馬数要図
付図第三
其一 西富士演習場要図
其二 西富士廠舎ノ配置及収容人馬数要図
付図第四
相模原演習場要図
付図第五
其一 一ノ宮演習場要図
其二 一ノ宮廠舎ノ配置及収容人馬数要図
付図第六
其一其二 下志津演習場要図(※)
其三 下志津特殊演習場要図
其四 下志津廠舎ノ配置及収容人馬数要図
其五 栗山廠舎ノ配置及収容人馬数要図
付図第七
其一其二 習志野演習場要図
其三 習志野特殊演習場要図
其四 西廠舎ノ配置及収容人馬数要図
其五 東廠舎ノ配置及収容人馬数要図
其六 東新廠舎ノ配置及収容人馬数要図
付図第八
溝ノ口演習場要図
付図第九
其一 八柱演習場要図
其二 八柱廠舎ノ配置及収容人馬数要図
※「付図第六 其一 下志津演習場要図」は図郭内情報全部が、「付図第六 其二 下志津演習場要図」は主要部が「絵にみる図でよむ千葉市図誌 下巻」(千葉市発行)に掲載されています。これを含めて付図原本は全て所在情報不明です。
(つづく)
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下志津特殊演習場区域の現代地図プロット
3 特殊演習場の使用に関する規程の記述
規程の「第三章演習場ノ使用 其ノ三土工作業及特殊演習」には次の記述があります。
「第二十一条 規則第二十七条ニ依ル土工作業ハ演習場内、実線路以上ノ道路上及人馬車両ノ行動頻繁ナル主要地区ニハ行ハザルモノトス
練兵場ニ於テハ所定作業場以外ニ於テ土工作業ヲ行ハザルモノトス
第二十二条 特殊演習ヲ実施シ得ル地域ハ富士裾野演習場(付図第一其一、其三及其四)下志津演習場(付図第六其一及其三)及習志野演習場(付図第七、其一及其三)内所定ノ地域トシ之ガ使用ニ関セテハ第二十五条ニ拠ル
第二十三条 規則第二十九条ニ基キ土工作業ノ実施又ハ存置ニ関シ師団長ノ認可ヲ受ケントスルトキハ作業ノ目的及種類、位置、経始並ニ存置期間其ノ他必要ナル事項ヲ明記シ演習場司令官(常設演習場司令官ナキ演習場ニアリテハ主管)ヲ経由シテ之ヲ申請スルモノトス所定以外ノ場所ニ於テ特殊演習ヲ実施セントスルトキ亦之ニ準ズ
第二十四条 土工作業ヲ行ヒ又ハ射弾ヲ掘出スル場合ハ予メ主管ニ通報シ且其ノ復旧工事ニハ主管ノ立合ヲ求ムルモノトス練兵場ニ於ケル所定区域外ノ土工作業ノ実施並ニ其ノ復旧ニ関シテハ前項ニ準ズ
第二十五条 特殊演習ノ実施及其ノ危害除去ニ就テハ前条ヲ準用ス、但シ習志野特殊演習場及其ノ訓練施設ノ使用及危害除去ニ関してハ陸軍習志野学校長ト協議シ其ノ定ムル所ニ依ルモノトス」
第二十二条で特殊演習をする場合の地域が定められています。
第二十三条で特殊演習を実施する時は必要な事項を明記して近衛師団長の認可を受けることが定められています。
参考 規程第二十三条に出てくる規則第二十九条の本文
規則第二十九条 演習ノ為大ナル土工作業ヲ行ハムトシ又ハ将来演習ニ利用スル為特ニ土工ヲ存セムトスルトキハ団隊長ハ予メ管理委員長ヲ経テ所管軍司令官、師団長ノ認可ヲ受クベシ此ノ場合ニ於テ管理委員長ハ之ヲ関係軍司令官、師団長 第十八条ニ係ルモノニ在リテハ教育総監、常設セル演習場司令官、経理部長及主管ニ報告又ハ通牒スベシ
第二十四条では特殊演習の実施に際して演習場主管に通報し、危害除去に関して演習場主管の立ち合いを求めることが定められています。
また、習志野特殊演習場の使用と危害除去は陸軍習志野学校と協議して、その定めるところとするとしています。習志野特殊演習場は陸軍習志野学校が専用的に使用し、監理していた特別の特殊演習場であったことがわかります。
4特殊演習場の危害予防に関する規程の記述
規程の「第四章演習場ノ警戒及取締 其ノ一通則」には次の記述があります。
「第三十八条 射撃演習、特殊演習及其ノ他ノ演習ノ際ニ於ケル演習場内外ノ危害予防、警戒並ニ防諜ニ関シテハ規則第四十四条乃至第四十七条ニ依ルノ外左記各号ニ拠ルモノトス特ニ常設演習場司令官ノ定メナキ演習場ニ於ケル危害予防等ニ関シテハ主管ト連絡シ地方官公衛ニ対スル通牒其ノ他ニ関シテ遺漏ナキヲ期スルモノトス
(五)特殊演習ヲ実施シタル地域ハ厳密ニ危害除去作業ヲ行ヒ尚必要アル期間立入禁止等ノ処置ヲナシ演習場司令官並ニ主管ニ報告又ハ通報スルモノトス」
実毒演習に関して危害除去に注意を払う記述です。
参考 規程第三十八条に出てくる規則第四十四条~第四十七条の本文
規則第四十四条 演習場司令官ハ射撃演習並ニ実毒使用ニ際シ演習場内外ニ危害予防及防諜ニ関スル事項ヲ指示シ演習団隊ヲシテ確実ニ之ヲ履行セシムベシ其ノ主要ナル事項概ネ左記ノ如シ
一 演習場ニ通ズル主要ナル道路ノ入口ニ禁令、危険区域其ノ他注意事項ヲ掲示スベシ
二 射撃開始時ニ赤旗ヲ掲揚シ射撃終了後全ク危険ナキヲ認メタル後之ヲ降下スベシ
三 火砲ヲ以テ射撃ヲ行フ場合ニハ当日第一ニ射撃スベキ部隊ヲシテ射撃開始前号砲ヲ発射セシメ若クハ煙火ヲ打上ゲシムベシ
四 将校ヲ長トスル警戒硝ヲ設ケ危険区域ニ通ズル道路ノ入口其ノ他所要ノ地点ニ哨兵ヲ配付スベシ
飛行演習其ノ他射撃以外ノ演習ニ在リテモ危険ヲ及ボスベキ処アルトキ若クハ軍事上特ニ必要ト認ムルトキハ演習場司令官ハ前項ニ準ジ警戒及取締ヲ実施セシムベシ
規則第四十五条 団隊長ハ射撃演習並ニ実毒使用ヲ行フ一週間前ニ予定日割ニ場所、危険区域、射撃及実毒使用中交通遮断ヲ要スベキ道路等ヲ記載セル要図ヲ添ヘ之ヲ主管並ニ関係アル軍隊、地方官公衛等ニ通牒シ要スレバ交通遮断ヲ要求シ且演習場到着後直チニ演習場司令官ニ報告スベシ
常設演習場司令官ヲ置ク演習場ニ在リテハ団隊長ハ射撃演習及実毒使用ヲ行フ十日前ニ前項ノ要旨ヲ演習場司令官ニ届出テ演習場司令官前項ノ通牒及要求ヲ為スベシ
第二十条ニ依リ演習場ヲ使用スル官衛、学校ノ長官ハ演習場使用ニ際シ危険ノ顧慮アルトキハ前二項ニ準ジ処置スルモノトス又此ノ通牒ヲ受ケタル常設演習場司令官ハ前項ニ準ジ処置スルモノトス
規則第四十六条 演習場司令官ハ射撃演習及実毒使用間危険予防及地方民ノ便宜ヲ図ル為必要ナル事項即チ日日ノ演習開始並ニ其ノ終了時刻及休日等ヲ遅クモ其ノ三日前ニ関係地方官公衛ニ通牒スルモノトス其ノ予定ヲ変更シタル場合亦之ニ準ジ成ルベク速カニ通牒スルヲ要ス
規則第四十七条 前諸条ノ外演習場ニ於ケル警戒ニ関シテハ各兵射撃教範ニ準拠スベシ
(つづく)
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「陸軍習志野学校」(昭和62年1月、陸軍習志野学校史編纂委員会発行)
5参考 陸軍習志野学校が利用した演習場
陸軍習志野学校は「瓦斯防護に関する教育、調査研究を行ふ所とす。学生は各兵科(憲兵隊を除く)将校を以て之に充つ。なお幹部候補生の教育を行ふ。」(昭和18年版陸海軍軍事年鑑、財団法人軍人会館図書部編)とされており、旧軍の化学戦研究教育の中枢機関でした。
「陸軍習志野学校」(昭和62年1月、陸軍習志野学校史編纂委員会発行)によれば演習場に関して次の記述があります。
「習志野学校が学生や練習隊(教導連隊)等の野営演習や研究演習のために使用した演習場は全国各地にわたっており、とくに研究演習は縷々内地以外の地域の演習場を使用した。このうち数多く利用したのは習志野原、下志津原、相馬ヶ原、王城寺原等である。」(196ページ)
また、習志野学校で教育を受けた幹部候補生の回想記事に次のような記述があります。
「瓦斯教育は、遭遇戦、陣地攻撃における瓦斯用法の原則等を学科及び術科として習得もしたが、防護服を着用し、暑い習志野原を駆け回ったときは、流汗淋漓そのものであった。
習志野原、下志津原、相馬ヶ原(群馬県)、王城寺原(宮城県)、富士山麓滝ヶ原廠舎、東金方面、箱根等における戦術教育、実弾射撃は、僅か二〇名の候補生に、今にして思えば、よくこのような徹底した教育を授けてくれたものと感銘一入である。」(283ページ)
これらの記述から、下志津特殊演習場が陸軍習志野学校の毒ガス演習にも利用されていたことがわかります。
6 千葉の団隊に対する毒ガス弾等交付状況
下志津特殊演習場は陸軍習志野学校の外、近隣団隊の毒ガス演習に使われていたものと考えます。
次に、環境省資料(「昭和48年の『旧軍毒ガス弾等の全国調査』フォローアップ調査報告書 平成15年11月28日(平成16年3月31日更新版)」)より、千葉の団隊に対する毒ガス弾等交付状況を示します。
なお、この資料は平成に入ってから環境省が調査したものであり、限られた情報源(教育総監起案文書等)による情報です。
この資料による、交付された毒ガス弾等は全て教育演習用のものと考えられます。
年次は1931年から1940年に限られています。
実戦部隊に対する交付情報は含まれていません。
参考(環境省資料 別表2毒ガス弾等の交付 千葉分)
1931年
●演習用弾薬特別支給
陸軍歩兵学校…みどり棒10缶、みどり筒甲350本
陸軍騎兵学校…みどり筒甲150本
陸軍野戦重砲兵学校…みどり筒甲200本
陸軍工兵学校…みどり棒10缶、みどり筒甲30本、みどり筒乙30本
1934年
●演習用弾薬特別支給
陸軍習志野学校…きい1号300kg
●弾薬調弁並支給
陸軍習志野学校…試製あか筒2000本
1935年
●演習用弾薬特別支給
陸軍習志野学校…拳銃用90式みどり弾300発、95式90mmあか弾600発、95式90mmきい弾300発、試製93式あか筒1000本、きい1号5.5トン、きい2号1.5トン
1936年
●演習用弾薬交換支給
陸軍習志野学校…前支給95式90mmあか弾600発を200発に修正
●弾薬特別支給
陸軍習志野学校…95式90mmあか弾400発
1937年
●演習用弾薬一部支給
陸軍習志野学校…きい1号甲1トン、きい2号乙2トン、試製93式あか筒900本、95式90mmあか弾235発、95式90mmきい弾190発
●弾薬支給
陸軍習志野学校…きい1号乙500kg、93式あか筒100本、89式催涙筒200本、89式催涙棒25函
●演習用弾薬特別支給
陸軍野戦砲兵学校…92式75mmあか弾40発、92式尖鋭150mmきい弾10発
●化学戦資材特別支給
陸軍歩兵学校…きい1号125kg、きい2号75kg、93式あか筒100本
●弾薬特別支給
陸軍習志野学校…95式90mmあか弾65発、95式90mmきい弾50発、きい1号500kg
●化学戦資材特別支給
陸軍歩兵学校…きい1号500kg、きい2号300kg、93式あか筒300本
1938年
●弾薬特別支給
陸軍野戦砲兵学校…93式75mmあか弾1500発、92式75mmきい弾600発、93式尖鋭100mmあか弾700発、92式100mmきい弾200発(交付地:富士駒門)
●緊急化学戦資材特別支給
陸軍歩兵学校…きい1号甲400kg、きい2号100kg、試製98式小あか筒300本、89式催涙筒甲600本
陸軍戦車学校…きい1号甲100kg、きい2号30kg、試製98式小あか筒60本、89式催涙筒甲90本
陸軍騎兵学校…きい1号甲150kg、きい2号30kg、試製98式小あか筒30本、89式催涙筒甲150本
陸軍野戦砲兵学校…きい1号甲150kg、きい2号30kg、試製98式小あか筒30本、89式催涙筒甲150本
陸軍工兵学校…きい1号甲100kg、きい2号50kg、試製98式小あか筒30本、89式催涙筒甲210本
陸軍習志野学校…試製98式小あか筒150本、89式催涙筒甲300本
1939年
●弾薬特別支給
下志津陸軍飛行学校…きい剤200kg
1940年
●化学戦教育用資材特別支給
陸軍防空学校…98式あか筒100本、あを1号500kg
●弾薬特別支給
陸軍習志野学校…きい1号甲350kg、きい1号乙200kg、きい1号丙200kg、95式90mmきい弾30発
●化学戦教育用資材特別支給
陸軍騎兵学校…きい1号甲60kg、きい2号30kg
●化学戦教育用弾薬特別支給
陸軍工兵学校…きい1号30kg、きい2号10kg
みどり…催涙剤
きい…びらん瓦斯
あか…くしゃみ瓦斯
あを…窒息瓦斯
(つづく)
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7 下志津特殊演習場の使われ方について
7-1はじめに
下志津特殊演習場の区域は、「絵にみる図でよむ千葉市図誌 下巻」(千葉市発行)掲載地図(近衛師団管轄演習場規程付図第六其ノ一)を、趣味のGIS分析している最中に偶然発見しました。
特殊演習場の意味を知るために、近衛師団管轄演習場規程の本文を閲覧して、間違いなく毒ガス演習場であることを確認しました。
この特殊演習場から約1.8km南東の千葉市稲毛区内では平成19年以降合計175発以上の毒ガス弾(95式90mmきい弾)が地中から発見されており、この特殊演習場がどのように利用されていたのか、区内近傍生活者の一人として気になります。
一方、千葉市花見川区に毒ガス演習場が存在していたという事実は市民はもとより、千葉市も初耳であるということでした。このことから下志津特殊演習場に関する情報は世の中の表には出ていないことが判りました。
そこで下志津特殊演習場の利用内容に関する情報を集めてみました。
結論から言うと、下志津特殊演習場の利用内容を直接示す資料は見つけることができませんでした。
しかし、下志津特殊演習場が置かれた状況に関連する情報を幾つか得ることができましたので、紹介します。
7-2 陸軍習志野学校における毒ガス演習
「陸軍習志野学校」(昭和62年1月、陸軍習志野学校史編纂委員会発行)によれば、陸軍習志野学校は昭和12年からは動員予定の迫撃大隊、野戦瓦斯隊に対する教育を実施しました。迫撃大隊は迫撃砲でガス弾を発射するガス兵であり、野戦瓦斯隊は撒毒、制毒、除毒を行うガス兵です。
実毒演習は2段階あり基本(各個)訓練と練成(部隊)訓練がありました。
基本(各個)訓練は習志野原で行いました。
「○実物演習場は習志野原のほぼ中央、射撃場北側の平坦な松林の中にある。東西500m、南北300mで周囲は土堤に囲まれており、僅かに中央部分が緩やかな凹地状をなし、この区画内のほぼ中央部分の東西200m、南北150mの地域に通常100~200kg程度の「きい剤」を撒布した撒毒地を構成し、捜索、検知、除毒、通過など各種の基本動作の訓練を行った。」
「○実物演習場を利用して行われた教育課目の一例は次のとおりである(甲種学生の例)。
(1)撒毒…手撒又は車撒
(2)捜索…撒毒地前後縁の捜索(各種風向、夜間)
(3)通過…通過準備、戦闘通過、応急消毒、馬匹の通過
(4)工事…撒毒地内の工事、作業と消毒の関連
(5)制毒…晒粉、草刈、掩覆の効力
(6)対雨下行動…雨下準備、雨下体験、応急消毒」
習志野実物演習場の説明図
「陸軍習志野学校」(昭和62年1月、陸軍習志野学校史編纂委員会発行)347ページ掲載図
習志野特殊演習場の利用説明図であると考えられます。
「○野営綜合演習または習志野原の実物演習終了後、次の段階として行われた。場所は実物使用演習場に指定された赤城、相馬ヶ原、王城寺原、富士裾野等である。この演習は教導連隊の支援を受けて行われた。学生に対する野営綜合演習の教育課目の一例は次のとおりである。
(1)演習計画立案(宿題)…資材準備、演習地域の選定、標示、消毒設備、勤務員の配慮・任務
(2)対ガス放射…初動の発見、警報伝達、防護
(3)捜索…捜索計画、斥候長の指揮、気状瓦斯滞留地域の判定と処置
(4)防御…陣地の防護設備、警戒、捜索、対雨下、対瓦斯弾動作、陣地の制毒
(5)攻撃…撒毒地帯を有する敵陣地に対する攻撃準備位置の選定、防護施設、警戒部署、標示、装面指揮、長時間の装面、工事と戦闘と防護の調和、夜間の消毒路の構成」
習志野実物演習場(習志野特殊演習場そのものであると考えられます)の大きさが東西500m、南北300mとなっていますが、下志津特殊演習場の大きさは東西460m、南北360mであり、大きさが近似しています。これから、下志津特殊演習場も習志野実物演習場(習志野特殊演習場)と同様の働きをしていたのかもしれません。
7-3実弾演習の場としての下志津演習場
規程では下志津演習場と習志野演習場の射撃に関し、次のように定めています。
下志津演習場…一般の演習、歩砲其ノ他ノ射撃
習志野演習場…実弾ヲ使用セザル各種演習但シ習志野演習場ニ限リ歩兵一小隊以下ノ戦闘射撃ヲ行フコトヲ得
規程ではさらに詳細に射撃に関して規定しており、下志津演習場では歩兵重火器、戦車、砲兵(山砲、十榴、十五榴、十加)の射撃方法について記述しています。習志野演習場では火砲(歩兵重火器を含む)を禁止して、歩兵の戦闘射撃(軽機を含む)は1小隊(80人)以下までとしています。
こうした演習場全体の運用の違いは、下志津特殊演習場と習志野特殊演習場の運用の違いに反映していた可能性を排除できないと思います。
ただし、「陸軍習志野学校」(昭和62年1月、陸軍習志野学校史編纂委員会発行)の幹部候補生の回想録には習志野演習場および下志津演習場双方における迫撃砲実射の思い出がでています。習志野演習場でも迫撃砲の実射が行われていたのは事実のようです。
(つづく)
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8下志津特殊演習場が作られた時期
下志津演習場制定年別
「下志津原」(陸上自衛隊高射学校、1976)掲載地図
「下志津原」(陸上自衛隊高射学校、1976)によれば、
「宇那谷部落は、昭和十二年から十三年の演習場拡張の際、六十五戸の大部落が、主力は現在の千葉市若松町へ(A元千葉県議員の土地一〇町歩を千葉市と千葉県が協力して買い上げた土地)、大聖寺というお寺もろ共に三十七戸が集団移住、一部は現在の千葉市大日町に移転し、部落あとは『宇那谷の森』という部落林を残し原野と化したのである。」
とあります。
従って、昭和13年から昭和17年までの間に下志津特殊演習場が作られたことが確認できます。
(千葉市花見川区に在った旧軍毒ガス演習場 終)