2-2-1-①河川争奪現象の見立て

2-2 花見川筋の谷津地形発達史

2-2-1 河川争奪現象の見立て

① 河川争奪現象の見立て

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【花見川河川争奪の見立て】

河川争奪前の水系想像

河川争奪後の水系

もともと花見川団地付近を源流とする水系(柏井の谷津)、花島公園の谷津を源流とする水系、柏井浄水場付近を源流とする水系の3つが柏井橋付近で合流して印旛沼方向に流れる水系があったと考えます。この河川を仮に古柏井川と呼ぶことにします。一方、東京湾方向に流れていた古花見川の最上流部の頭部侵食力が旺盛になり(おそらく海面低下や低温化に起因)、花島公園の谷津はおろか、二つの支流をも争奪し、さらに横戸台南端(「高台」と呼ばれる場所)付近まで古柏井川谷底を奪ったのだと思います。結果として、古柏井川は流域面積のほとんどを取られ、そこに流れる水の量と較べると著しく大きな空堀みたいな広い谷が下流の一部に残ったのだと思います。

後世になり、人々が印旛沼干拓を課題とした時、願ってもいない大きな空堀みたいな谷があり、それは「高台」で突然花見川によって下からちょん切られている光景をみて、掘割普請の意欲が大いに湧いたのだと思います。

掘割普請で難渋した化灯土も、こうした地形発達を想定すると、その成因や分布が合理的に説明できそうです。

河川争奪箇所だったから掘割普請が行われたという仮説については、現場をくまなく散歩してみたり、情報を集めて分析し、今後検証していきたいと思います。

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【河川争奪による分水界の変化】

花見川河川争奪を知る7 河川争奪による分水界の変化

花見川河川争奪による分水界変化図

ベースマップは旧版1万分の1地形図

堀割普請前の復元水系図にもとづいて、大正6年測量の地形図により東京湾水系と印旛沼水系の分水界図を作成し、その中に花見川河川争奪前の復元想定分水界を点線で図示しました。

この図により、花見川河川争奪により、印旛沼水系から東京湾水系に移行した流域を面的に把握することができます。

この図のベースマップを現代の地図に置き換えて、次に示します。

花見川河川争奪による分水界変化図

ベースマップは2万5千分の1地形図

なお、既報(2011年7月27日記事「河川争奪の胚」)でも述べましたが、東京湾水系と印旛沼水系の分水界付近のコンター分布は極めて特徴的な様相を呈しています。分水界線を引くことが困難です。

こうした、私にとって「いわくつき」の地形について、分水界線を引くために、旧版1万分の1地形図のコンターを改めて詳細に見たところ、分水界線を引くためには次のようなイメージを持つと合理的に引けることが判りましたので、河川争奪の成因にもかかわることなので、記録しておきます。

分水界線を引くための地形解釈イメージ

分水界線を引くことが困難な表面的な理由は大きな凹地等を含むどちらの流域に含めてよいのかわからない地域が広がっていることです。

この「困難」を「困難」として捉えるのではなく、そうした流域未確定領域が存在すると考えたらどうだろうかと気がつきました。つまり、人世界でたとえれば、国境紛争地帯があり、国境未確定になっている領域があると考えれば、よいのではないかと気がついたことです。

これまで、力づくで流域界線を引こうとしていたのですが、自然地形にも流域未確定領域という概念を導入すれば、地形(とその成因)の理解がより合理的にできそうだと気がつきました。

今回の作業では、流域未確定領域を東京湾側の水系に「一時帰属」させて分水界線を引きました。

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【花見川河川争奪のイメージ】

2 花見川河川争奪のイメージ

これまでに見立てた花見川河川争奪のイメージを、模式的なレベルで絵にしてみました。

花見川河川争奪前の水系イメージ(2012.5.21)

印旛沼水系古柏井川(*)と東京湾水系花見川の分水界が天戸・犢橋付近に存在していた時代があったと想定しています。

この時代を武蔵野面形成後、立川面形成前に想定しています。

*厳密には天戸・犢橋~花島には古柏井川は発達しないで、より古い時代の印旛沼水系の谷津である下総下位面(浅い谷)があったと考えます。古柏井川は花島から北に発達していたと想定しています。

花見川河川争奪区間のイメージ(2012.5.21)

花見川河川争奪とは、印旛沼水系筋の谷津を丸ごと東京湾筋の谷津に変化させた、谷津谷底を選択的に浸食した地形現象を指しています。

花見川河川争奪後の水系イメージ(2012.5.21)

印旛沼水系古柏井川と東京湾水系花見川の分水界が横戸台付近に存在していましたが、江戸時代の印旛沼堀割普請で消失しました。

印旛沼水系古柏井川は上流部を失ったので空川になりましたが、その空川も印旛沼堀割普請でほとんど消失しました。

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【参考 河川争奪とは】

花見川河川争奪を知る2 河川争奪とは

河川争奪という地学用語について、事典により簡単に復習しておきます。

河川争奪 piracy、capture 河川が流域を越えて隣の河川の水流を奪う現象。流域境界の位置は、河川の浸食力の違いを反映し、一方の河川の浸食が激しく、河床高度が低い場合には、他方の河川流域に食い込み、ついにはその水流を奪う。水流を争奪した河川では、流量の増加で下刻が進む。争奪された河川では、争奪地点から上流流域がなくなり、谷の大きさに対して流量が少ない川となる。そのような河川を無能河川、谷が切断された争奪地点をウィンドギャップ(風隙)という。(新版地学事典、平凡社)

河川争奪の説明イメージとして、デービス原画の次の絵をよく見かけます。

「geomorphology」(c.a.cotton 1958)より