6-4-2花見川河川敷におけるトーチカの発見
6-4 花見川河川敷におけるトーチカの発見と調査
6-4-2 花見川河川敷におけるトーチカの発見
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【花見川河川敷におけるトーチカの発見】
2012.11.09記事「未知の戦争遺跡(防空糧秣倉庫?)発見か」で未知のコンクリート構造物と考えた地物について、再度下見をし、若干の藪漕ぎをしたところ、トーチカの監視塔と思しきコンクリート構造物を発見しました。
銃眼口がありますから、間違いありません。
銃眼口のあるコンクリート構造物
銃眼口
「コンクリート構造物入口?」と考えた場所がトーチカの監視塔だったわけです。
防空糧秣倉庫と考えた根拠となる戦前陸軍の資料を国会図書館で閲覧し、この地物がその資料でいうところの防空糧秣倉庫ではないことが判りました。
詳細は追って説明します。
未知の、本物の、実戦で使うトーチカを花見川の河川空間で発見したことになります。
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1 トーチカの存在はほぼ確実だと考える
2012.11.19記事「速報 花見川河川空間内のトーチカ発見(写真掲載)」で報告したようにトーチカの監視塔と考えられる、銃眼口のある古く壊れたコンクリート構造物を見つけました。
対岸からの観察、空中写真の画像等から地下に大きなコンクリートの部屋(トーチカの本体)が埋まっていることが予想されます。
今後調査を深めなければこのコンクリート構造物の真の正体を正確にとらえることはできません。しかし、ここにトーチカを含む戦争遺跡があることはほぼ確実視できると考えるに至りました。
トーチカの上に付いている監視塔と考えているコンクリート構造物
2 私がトーチカに興味を持つ理由
このブログでは花見川流域を散歩し、そこにある自然的・歴史的・社会的資産(例 地形地質やその発達を示す現象、動植物、歴史的地物、土木遺構、地名等の文化的遺産…)を徹底して掘り起し、花見川流域としてそれらを関連付け、川づくりや地域づくりに役立てることができないだろうかと考えています。
そういう意味で戦争遺跡もまた、負のイメージが強くまとわりついている資産ではありますが、花見川流域のアイデンティティを構成する重要資産であり、決して省略することは許されません。
このような視点から戦争遺跡もまた川づくり、地域づくりに必須のアイテムとして強い興味を持ちます。
狭い「趣味の軍事」からではなく、歴史や平和を考える素材の一つとして戦争遺跡に興味を持ちます。
【参考】
トーチカを防空糧秣倉庫と間違って見立てていた時に参照した「築城施設要図」
「鋼作命甲第三十二号別冊 富士号演習築城実施計画 昭和十九年十二月十五日鋼部隊」に収録
「幻の本土決戦 千葉県における軍事機密文書」(野馬曳き文庫、1987)より引用
この図の中にゴルフ場(鷹之台カンツリー倶楽部)として糧秣Ⅶ型6個と書いてあります。
その6個の一つがこの構造物ではないだろうかと最初に考えました。
しかし、資料をよく読むとⅦ型として築城した施設は木材で支えた素掘り防空壕でした。
またゴルフ場の西側に造ったという記述があり、糧秣Ⅶ型は、発見したトーチカとは無関係であることが判りました。
花見川流域は習志野演習場、下志津演習場という日本の軍事力向上に大きな役割を果たした陸軍演習場があっただけでなく、この資料に示されるとおり、戦争末期には本土決戦に備えた糧秣・燃料備蓄防空倉庫を要所につくるなど、上陸米軍を迎撃するための重要防御ラインに位置付けられていたと考えます。
3 トーチカ調査の方向
2012.11.19記事「速報 花見川河川空間内のトーチカ発見(写真掲載)」に書いた現場下見では、安全等の視点から積極的な調査は控えました。
一人で下見したのですから、万が一立坑にでも落ちたら声を出しても、だれかに助けに来てもらえる保証はありません。
しかし、最初は誰かが現場を確認して、言いだしっぺになければ埒が明かないので、多少の安全性は犠牲にして下見した次第です。
銃眼口のあるコンクリート構造物を発見してしまった以上、本格調査(学術的調査)が必要であると私は考えます。しかし、その前段として予備調査が必須です。
行政サイドも、学術サイドもこの場所に本格調査を展開すべき価値ある対象物の存在を認識するに足る情報が必要であるからです。
このような思考から、少なくとも予備調査までは私自身としてぜひとも実現したいと考えています。予備調査で構造物としてのトーチカの全体像を想定できる情報を得たいと思います。
その後は行政等に働きかけ、学術的調査を実施していただき、トーチカの内部を含めた詳細な構造、目的、戦後これまで気がつかれなかった理由、現代社会における存在意義(戦争遺跡としての保存価値)等について明らかにしてもらいたいと思います。
(つづく)
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トーチカに関する見立て
このブログは、度々申し上げているように、調べて得た結論(成果)を発表する場ではなく、興味を持って調べている行為や思考プロセスを実況中継している場です。
そういう観点から、問題のトーチカについて私が考えている見立てを、(結果として正しいかどうかは保証できませんが)、書いてみます。
後日、ここで書いたことが正しければ自分の思考に自信を持てますし、間違っていれば貴重な学習体験になります。
●見立て1 【このトーチカは本土決戦における米軍侵攻阻止の防御ラインの一環としてつくられた。】
九十九里浜に上陸した米軍が首都圏に侵攻するメインルートの防御は、大本営は、当然のことながらそれなりの作戦を考えていたと思います。
一方、米軍侵攻のメインルートから外れた軽便鉄道架橋地点について、大本営はトーチカを建設して極小兵力で防御することとし、作戦立案のなかで位置付けた(そしてそれ以上の思考を省略した)のだと思います。
大本営は、上陸米軍戦車部隊などの本体とは、成田街道なり東金街道なりのどこかで対峙迎撃殲滅すると考えたのだと思います。
一方、上陸米軍の支隊が軽便鉄道架橋付近に来たらトーチカに配置した極小部隊で対応して、最後は自ら橋を落として玉砕して侵攻米軍の速度を落とす。ということだと思います。
トーチカの意義は極小部隊(10名程度?)で花見川堀割部においては侵攻米軍を通過させない(軽便鉄道橋梁は利用させいない)ということにあったと思います。
トーチカのすぐ近くで確認した軽便鉄道橋台
橋台の上に立ち真下を写した写真
(私の足が写っています)
トーチカと軽便鉄道橋脚の位置関係
トーチカ付近から見た東岸
横戸緑地と花見川サイクリング道路を結ぶ私製階段が見えます
(つづく)
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●見立て2
【このトーチカはいつ覆土された?】
トーチカとして用をなすためには銃眼口を備えた監視塔だけでなく、小砲口を備え花見川東岸に迫る敵軍を殲滅できる攻撃的構造が必要です。
そのような構造は土に覆われている(ように見える)ので確認できません。
現在、トーチカが草木に覆われて、誰からも気がつかれないような状況になっている理由として次の3ケースが考えられます。
1 トーチカ築造時に空爆を避けるためにカムフラージュとして覆土された。
2 終戦後、軍部によって覆土され、トーチカの存在が秘匿された。
3 終戦後の年月経過の中で、草木の繁茂でトーチカがあたかも覆土されたような見かけになった。
1(あるいは1と3)の理由である可能性が最も有力であるような感じがします。
もし、2であれば、かなり危険なトーチカである可能性も考える必要があります。危険特殊物質を貯めて隠した可能性などが心配されます。
3だけの可能性は低いと思います。最初からコンクリート構造物が露出していれば、必ずや人々に気づかれているはずです。米軍空中写真の画像を見てもこの可能性は低いと考えます。
トーチカと考える構造物の正面写真
あれこれこれ以上妄想を深めていても時間の浪費になりますから、草木の枯れた今冬季に、予備調査を実施したいと考えています。
(おわり)