2-2-4-⑥本命としての地理的位置仮説

2-2 花見川筋の谷津地形発達史

2-2-4 河川争奪現象存在の証明とその成因

⑥ 花見川河川争奪仮説の本命としての地理的位置仮説

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【花見川河川争奪仮説の本命としての地理的位置仮説】

花見川河川争奪を知る48 花見川河川争奪の成因検討3 クーラーの説23

成因仮説6

花見川河川争奪の地理的位置仮説は2011年11月16日にひらめき、まだ誕生8日目です。

自分レベルではこれまでの各種疑問を体系的に解消できる可能性を感じています。

しかし、単なる「思いつき」から本当の仮説にするには、これからいろいろな専門分野の学習や証拠収集が不可欠であるように感じています。

そこで、この記事ではこの仮説の要点を整理してみました。そして、この要点をベースにして、人に納得していただくための真の仮説(モデル)にしていく上で、私が学習・認識あるいは調査すべき事項をピックアップしてみました。

花見川河川争奪仮説(地理的位置仮説)(2011.11.23)

1 仮説の要点

①必従河川水系網の成立

下総台地が陸化を始めたころ印旛沼水系は台地面の最大傾斜に従って流れる必従河川として形成された。その頃の谷は現在「浅い谷」として残っている。

②V字谷の形成

その後印旛沼水系にV字谷形成の時代があり、古柏井川は花島付近までは少なくともV字谷が形成された。

③水系帰属変更地帯の発生

下総下位面の北側に隣接する幅2キロほどのゾーンは地殻変動で沈下し、印旛沼水系の谷中に分水界が生じ、それまで印旛沼水系の上流部であった谷の流域帰属が東京湾側水系に変更(移行)した。

④東京湾側水系の谷頭侵食前線の北上

最終氷期の侵食基準面低下期には東京湾側水系の谷頭侵食前線が北上し、その前線は水系帰属変更地帯に至った。

⑤谷頭侵食前線のV字谷区間到達による河川争奪発生

東京湾側水系の谷頭侵食前線が古柏井川のV字谷部分に達し、V字谷の谷底を掘り下げる形での谷頭侵食が河道下流に向かって一気に加速し、柏井付近の前谷津、後谷津を取り込み、さらに「高台」付近(柏井高校付近)までの古柏井川の河道を東京湾側水系が争奪した。

⑥古柏井川下流区間の無能谷化

流域の大半を争奪されたため、古柏井川の「高台」付近から下流(北側)が無能谷(截頭川)となった。

参考

⑦無能谷の隠蔽

台地における古柏井川の無能谷(截頭川)存在を利用して、印旛沼と東京湾を結ぶ構想が江戸時代に持ち上がり、3回の普請が行われた。

さらに戦後印旛沼開発工事が行われ、印旛沼と東京湾が結ばれた。

普請と戦後工事の結果、古柏井川の無能谷(截頭川)区間の谷壁斜面等の掘削・盛土が大規模に行われ、無能谷(截頭川)の姿を現場でイメージすることは不可能となった。

普請のきっかけが台地に無能谷があったことによるにも関わらず、普請が3回にわたって繰り返される中で前の普請の結果(古堀)のみを見つめることになったため、当初の無能谷存在という事実は忘れ去られた。

結果、無能谷は社会から隠蔽された。

2 私が学習・認識あるいは調査すべき事項

①必従河川水系網の成立について

ア 東京湾側の下総下位面(海岸段丘)という地形区分の考え(杉原1970をベースに「千葉県の自然誌」など)がオーソライズされているのか?下総台地研究グループの論文では認めていないようであるが? 下総下位面(海岸段丘)を前提とするのかどうかで、必従河川水系網の生い立ち部分の想定が異なってくる。

イ 必従河川水系網の上流部の谷は「浅い谷」となっている。なぜ「浅い谷」なのか?緩斜面における谷発達は一般的に「浅い谷」になるのか?それとも、一旦できたV字谷がその後の火山灰降灰や他の要因による二次的作用で「浅い谷」に変化したのか?

ウ 古柏井川の前谷津、後谷津やその延長方向の芦太川流入支川は、東西方向に直線的に連続することから、構造的な弱線に沿って生まれた適従河川のように感じることができる。それを証明する方法があるか?

②V字谷の形成について

ア 勝田川や高津川を対象とした河岸段丘調査研究成果を学習する。(千葉第Ⅰ段丘、千葉第Ⅱ段丘に対比される河岸段丘がどの程度調査研究されているのか?)この地域における河川地形発達について論じた調査研究成果を学習する。

イ 「浅い谷」とV字谷の変換点が存在する理由を知る。「浅い谷」、V字谷の形状(埋没部分を含む)を定量的に調べ、その縦断方向の変化を知る。V字谷の堆積物を知る。「侵食基準面低下による下刻作用の上流方向への波及」理論を理解する。

ウ 古柏井川において、少なくとも花島付近まではV字谷が発達したことを証明する。(古柏井川由来地形[古柏井川形成の谷底・段丘・斜面等]の把握を地質学的事実を添えて行い、それを証拠にしてV字谷形成を証明する。)

③水系帰属変更地帯の発生について

ア 横戸川、宇那谷川が東京湾側水系(犢橋川)と関わる地域の旧版地形図等を証拠に、水系帰属変更地帯発生を説明する。

④東京湾側水系の谷頭侵食前線の北上について

ア 東京湾側水系の谷頭侵食の地形的特徴を旧版地形図から把握し、印旛沼水系由来のV字谷と形態的に差別化できるか検討する。

⑤谷頭侵食前線のV字谷区間到達による河川争奪発生について

ア 古柏井川のV字谷が河川争奪によって河道下刻された部分区間について、河川争奪によっても改変されないで残った地形・地質要素を知る。

⑥古柏井川下流区間の無能谷化について

ア 古柏井川の無能谷区間の存在を伝える古文書がないか、調べる。

イ 古柏井川の無能谷区間の古地理復元(地形復元)を行う。地形復元を行うための地形的・地質的証拠を集める。

以上の学習・認識・調査を、一定の期間限定のもとに、自分なりに最大限愉しみたいと思います。

oryzasan氏から厳しく指摘されているように、現場調査を大切にして、全体の取組を組み立てたいと思っています。

露頭観察は40年ぶりになります。昔の感覚が戻る可能性を感じることができるのか、もう感覚がなまっていて使い物にならないとあきらめの気持ちが生まれるのか、露頭の前で生じるその時の自分自身の感情をはやく知りたくてうずうずしています。

この際、露頭観察スキルを再獲得して、私の散歩技術の一つとして組み込みたいと希望しています。

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花見川河川争奪について、ああでもない、こうでもないと思考し、時間を消費し続けています。

「下手の考え休むに似たり」ですが、趣味とはこういうものだと思い、検討を楽しんでいます。

現時点では、次のような事柄を知りたいと思っていますので、メモとして記録しておきます。

花見川河川争奪の現場

1 河川争奪の時期

ア F付近からB付近まで下総上位面を刻む印旛沼水系の谷(図の上に向かう谷)があったと考えられます。(いくつかの証拠を用意できます。)

イ 印旛沼堀割普請前の自然地形を見ると、B地点が印旛沼水系と東京湾水系の谷中分水界になっていたことが確認できます。(古文書資料による)

ウ アとイの間のどこかの時期にアで述べた谷のうちF~B間が東京湾水系にそのまま奪取されたことになります。(河川争奪)

エ その河川争奪の時期を特定すべく、検討を深めたいと思います。

【現在の見立て】

オ A付近で下総下位面を刻む古河川の地形・地質を見つけ、それが武蔵野面相当であることがわかりました。

カ この古河川はもともとE付近まで追跡できるもので、その河川をその後の時代(立川面の時代?あるいはその前?)の東京湾水系が争奪したと見立てます。(その見立てに基づいて証拠データを集めています。)

2 河川争奪の成因

ア 河川争奪の成因についてF地域(大きな楕円で示した地域)の特異な地殻変動が関わっていることは確実です。(過去の多くの記事で詳述した通り、小崖1の南のこの地域は土地が南に傾斜した結果、下総上位面離水後の谷津が化石地形化し、博物館展示のように残存したり、湖沼「古長沼」が形成されました。)

イ F地域は谷津による浸食作用が停止してしまった営力上の無風地帯になってしまったと考えます。

ウ 東京湾水系がこのF地域を主要な浸食前線としているように、上図から、見えるのはこのような要因があるからだと考えます。

エ F地域のこのような特性のなかで、花見川筋でだけ河川争奪が生じた理由は、2011.11.20記事「地理的位置仮説」で説明できると考えます。

3 河川争奪という定義

ア 河川争奪という学術用語を専門書で調べると、4つのタイプが記述されていますが、花見川の現象はこれら4つのタイプと合致しません。

イ 花見川における現象(別河川が河道を上流から下流に向けて丸ごと奪取する現象)を河川争奪という用語で記述することがよいのか、それとも別の新たな概念として定義し、用語造成した方がよいのか、検討したいと思います。