2-2-2-②エ花島付近

2-2 花見川筋の谷津地形発達史

2-2-2 花見川筋周辺の地形面の把握

② 地区別地形地質の把握

エ 花島付近

■□花見川■□素材■□花見川■□素材■□花見川■□素材■□花見川■□

【花島は河川争奪の生き証人】

花見川現地調査報告6

1 花島付近の地形

花島付近の地形分類図(予察図)と地形横断図を示します。

花島付近地形分類図(予察図)

地形横断図

次の写真は花島橋の袂から花島の斜面をみた風景です。

笹と斜面保護工に覆われていて、地層を観察できる露頭は残念ながらありません。斜面の表土は褐色シルト質細砂です。ロームそのものはないようです。

花島の川表斜面

花島は川表だけなく、全体が周辺より1m程度高くなっていて、現地でよく見ると、軍艦のように見えます。

周辺の低位面であると予察した平坦面も意外と高低が目立ちます。

このような明瞭な高低は柏井付近の低位段丘ではほとんどありませんでした。

次の図にこの観察結果を示します。

花島付近の地形詳細図

この図では、低位段丘と予察した平坦面を等高線高度別に区分するとともに、池縁の標高11m等高線で囲まれる範囲を抽出しました。また花島周囲の崖を示しました。

2 花島の不思議

●花島の谷津(*)の出口を塞ぐような形で花島があること自体が大いに不思議です。河岸段丘ができていく過程で、その出口を塞ぐ位置に半島状に地形面がのこり、一部が島状になることなど普通はあり得ません。普通は真っ先に侵食されてしまう場所です。

●さらに、柏井の段丘分布からみたように川は北方向に流れていました。ところが、池の形と地形面の高低からわかるとおり、段丘形成後の花島の谷津の水流は南に向かって流れて本川に合流しています。

この2つの不思議について、現場で地形を見ながら、河川争奪とのかかわりから、次のような地形発達の仮説を考えてみました。

*この場所の地名は「谷津」ですが、一般名称と混同するので、「花島の谷津」とします

3 河川争奪と関わる花島の地形発達

現場を歩いていると、デスクでパソコンにかじりついている時と違って、思いもよらない斬新な発想が湧くことが多くあります。

花島付近を歩いていて、花島の不思議について考えた、現場生まれの仮説を紹介します。

今後この仮説を実証するような証拠を集めたいと思います。

3-1 河岸段丘低位面が河床(谷底)であった時代

河岸段丘低位面が河床(谷底)であった時代があります。

V字谷の谷底が埋積されていた時代です。 川(古柏井川)は北流しています。

河川争奪前の花島付近

3-2 河川争奪が始まった頃

東京湾側水系が古柏井川の河床(谷底)を谷頭侵食により争奪しはじめ、谷頭侵食の前線が南から北に向かいます。 谷頭侵食の前線が花島に近づいたころの説明図を次に示します。

河川争奪進行中の花島付近

古柏井川の上流(南側)は争奪されてなくなっているので、川に流れはほとんどありません。

このような時、数十年に1度とか数百年に1度の大雨が降り、花島の谷津から多量の水が流れ出したとします。その時、本流に流れはありませんから、また河床の勾配はわずかですから、谷津から流れ出した水は北方向にも、南方向にもあふれるように流れ出すと思います。

南方向にあふれ流れだした水が谷頭侵食の前線に到達すれば、そこから新たな谷頭侵食が派生します。一つの流路ができます。

こうした大雨を何度か経て花島の谷津の水が南方向に流れる流路ができてしまいます。

花島の不思議(谷津を塞ぐ段丘の存在と谷津出口における南流)はこのような出来事で説明できると想像します。

3-3 河川争奪のクライマックス期

河川争奪のクライマックス期には、谷頭侵食前線は柏井を通りすぎて北上しています。柏井で合流する前谷津、後谷津にも入っています。

その頃(谷頭侵食前線が花島を通りすぎた頃)の花島付近の説明図を次にしめします。

谷頭侵食前線が通過後の花島付近

もともとあったV字谷の古柏井川の河床に新たなV字谷(谷中V字谷)が形成されました。

花島の谷津にも同じく谷中V字谷がされました。

谷中V字谷の谷底の標高はボーリング資料から花島付近で-2m前後と想定しています。

旧河床の標高が14m~16mですから、谷中V字谷が作った崖の比高は16m~18mくらいになります。

旧河床は谷中V字谷形成のため破壊が進み一部が河岸段丘となりました。花島の谷津の流域規模が小さく、流量が少ないため、谷中V字谷による旧河床の侵食破壊が中途半端におわり、現在のような花島と高度の低い(10m程度)平坦面も合わせて残りました。

(花島の低位面の高度が低いのは地殻変動によるものと最近まで考えていましたが、現場を見て、そうではなく、中途半端な侵食・・・崖による谷頭侵食だけでなく、平面を削るような侵食を含めて・・・によるものであると考えを変えました。)

3-4 縄文海進期

最終氷期が終わり、後氷期になると縄文海進により、河川争奪により形成された谷中V字谷が埋積され、現在の地形の原型ができました。埋積された谷底の標高は4~5mくらいです。

縄文海進期の花島付近

■□花見川■□素材■□花見川■□素材■□花見川■□素材■□花見川■□

【花島の地形】

花見川付近の地形面の対比 その7

桜の頃の花島と花見川の風景

花島の地形を見てみます。

1 地形段彩図

この付近の地形段彩図を次に示しました。

地形段彩図

Q-R、Q-S、Q-T、U-V、W-Vは地形断面図位置

2 地形断面図

Q-R、Q-S、Q-T、U-V、W-V 5本の地形断面図を作成し、現在考えている地形面区分をメモとして書き込みました。

Q-R地形断面図

谷の東岸に幅が狭い花見川河岸段丘が分布しています。

現場に行くと道路沿いなので、よくわかります。

しかし、この付近は戦前から樹木に覆われていて、上からみて地形が見えないので、段丘面は地図に現れませんでした。

最近の航空レザー測量で初めて段丘地形がデータ上現れました。

Q-S地形断面図

花島の支谷津(名称は「谷津」)の方向に広がる花見川河岸段丘が表現された断面です。

段丘の高さは13m~15mであり、柏井付近と比べて1mほど低くなります。

柏井が上流、花島が下流ということを地形が表現しています。

Q-T地形断面図

花見川河岸段丘面の一部が削り残り周辺から孤立したようになったため、花島と呼ばれる島状地形が表現されている断面です。

花島の上には花島観音があります。

U-V地形断面図

西岸に古柏井川谷底がへばりつくように残っています。

地形面の高さは柏井付近と比べて1mほど高くなります。

柏井方面が下流、花島が上流ということを地形が表現しています。

W-V地形断面図

東岸の急斜面下に花見川河岸段丘が分布します。

3 地形面対比の3D表示

現場での観察、空中写真での実体視を踏まえて地形面対比の結果を2つの3D画像で表示してみました。

花島付近の地形3D表示 その1

花島付近の地形3D表示 その2

つづく